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主を愛する選択をしよう(詩篇137:1-6)
고영수 2022-09-03 추천 1 댓글 0 조회 542

20220904 日曜午後礼拝(本文)

聖書:詩篇137:1-6

題目:主を愛する選択をしよう

内容:バビロンにいるユダヤ人の神様を愛する気持ちを理解し、私たちは主を愛する選択をしよう。

賛美:福音賛美314、福音賛美435、賛美歌273

 

1.幸福の条件

 中学生の時の家庭科の教科書に『幸福の条件』(1993年)という映画の紹介をしているページがありました。なぜかよく覚えています。それは映画の内容を紹介しながら「愛かお金か」というテーマで考えさせられる内容でした。映画の内容はこうです。若くして結婚した夫婦が幸せに暮らし、念願のマイホームを購入しました。しかし不況によって職を失い、ローンを組んだ銀行に支払いをしないと家を差し押さえられるところまで来ました。貯金はゼロで支払額は5万ドルにもなります。なんとか苦心して5千ドルを集めましたが、それでも全然足りません。その夫婦は最後の手段としてラスベガスのカジノに手を出します。運良く2万5千ドルまで稼ぎましたが、その後負けて全てを失うことになります。そこに大金持ちの男が現れて、100万ドルで妻を1晩だけ借りたいと申し出ました。最初は反対していましたが、夫婦で相談した結果、たった一晩の出来事なんかすぐに忘れられるだろうということで、大金持ちの男の提案を受け入れます。その結果、夫婦は100万ドルという大金を手に入れました。しかしその後も、その大金持ちの男の妻へのアプローチが続きます。次第に夫婦の関係がぎくしゃくし、ちょっとしたことで疑心暗鬼になり、ついに別れることになります。大したことにならないと考えたたった一晩のできごとが二人を引き裂いたのです。愛だけでは生きていけないが、お金だけでは幸せになれない、両方必要である、と人々は考えます。しかしどちらかを選ばないといけない時が来ます。その時の選択を誤れば私たちはずっと後悔することになるでしょう。

 

2.バビロン捕囚後のユダヤ人

 北のイスラエルはアッシリアに、南のユダはバビロニアに滅ぼされます。神の支配する国が人の手によって滅ぼされました。それは神に原因があるのではなく、人にありました。彼らユダヤ人は神の民でありながら、主なる神以外のバアルやテラピムをも愛し、そのため神との関係が壊れたからでした。強力な国家の台頭が問題なのではありません。ユダヤ人の不貞が原因で神様と別れることになったのです。当然神様の心も痛みました。ユダヤ人たちは、自分たちの国があるときは、神の愛を当たり前に感じ、大切にしませんでした。しかし、失ってからようやく神の愛の大きさに気付くことができたのです。

 詩編137篇は、ようやく神の愛の大きさに気付いたユダヤ人の嘆きの歌です。彼らの持つ琴も、作った歌も、歌うその口も、主に喜んでもらうためのものでした。しかし、バビロンの人々はその琴と歌と口を使って、自分たちを楽しませるよう要求します。しかし、逆らえば生活していくことができません。ユダヤ人たちはそれが悔しくて、涙し、琴を置き、「わが右の手を衰えさせて下さい」「わが舌をあごにつかせてください」と嘆いています。断ることもできず、愛する主のために存在する琴、手や口を使って主の敵を喜ばせなければいけないのです。そのやるせなさがこの歌に現れています。

 私たちはどうでしょうか。神の民として、主を賛美するためのその手やその口で主を悲しませていないでしょうか。神様から受けたたくさんの祝福を忘れて生きていないでしょうか。例えば、たばこやお酒、刺青をしてはいけないとは聖書には書かれていないと言って、喜んでしている人々がいます。確かにそれ自体で罪には定められません。しかし、一時的な自分の快楽のために、その体を傷つけて、主が喜ぶでしょうか。また、日本で生きていく中で、1週間に1度の大切な主日を守れない時があります。しかし、主を礼拝するための体が、主のために使われるのではなく、他の所に使われる時、私たちはどんな気持ちでしょうか。バビロンにいるユダヤ人は悔しくて嘆いていました。私たちが自分の体を、神様以外の物に優先して使う時、神様は心を痛めます。そして、その時は分からなくても、私たちが神様から遠く離れてしまったとき、私たちは必ず後悔することになります。

 

3.イエスの愛の怒り

 穏やかな性格のイエスですが、聖書の中で何度か怒っている場面を見ます。しかしその怒りには嘆きのような悲しみが見られます。最も怒りをあらわにしているのは、エルサレムの宮での出来事です。イエスは、神の宮で両替人や牛や羊、鳩を売る商売人たちを怒りました(ヨハネ2:13-17)。その時にイエスは『わたしの父の家を商売の家とするな』と言いました。ただこの場合は、商売自体を非難したわけではなく、礼拝に来る人々の足元を見てあくどい商売をする人々を叱ったのです。神の宮は利益をむさぼる場所ではなく、神様との関係を大切にする場所です。イエスは神様への信仰や愛する心を利用して悪事をたくらむ人々に我慢が出来なかったのです。私たちの体は神の宮です(Ⅰコリント3:16)。私たちが主を礼拝するためのその体でお金を優先させる生き方をする、神様は同じように悲しまれます。

 

4.詩篇137篇の意味

 詩篇137篇はユダヤ人たち以外にも、世の人々にとっても有名な詩でした。バッハ作曲のオーケストラに用いられたり、ジャマイカのレゲエ音楽家によって用いられたり、ドイツのディスコミュージックの歌い手ボニーMによっても用いられました。1978年に発売したこの曲は世界的に有名になりました。世の人々は、詩編137篇は捕虜となって苦しみの中にいるユダヤ人が故郷を懐かしんで歌ったものだと考えるでしょう。しかし、実際は単純なものではありません。神様の愛を当たり前に思っていたユダヤ人が、主との関係が壊れた後に、ようやく神様がどれだけ自分たちを愛していたか、自分たちがどれだけ神様を愛すべきだったか、その大きさに気付き、悔やみ嘆いている歌です。

 

5.まとめ

 私たちはどんな気持ちで信仰生活をしていますか?私たちはどれだけ主を愛していますか?生きていくうえで、主日を守れない時もあるでしょう、御言葉を守れないこともあるでしょう。もちろん守ることは大切ですが、それ以上に私たちの心が大切です。なぜなら私たちの主なる神様は、心を見る方だからです。いくら毎週教会に来て礼拝を捧げ、一生懸命奉仕し、たくさん祈ったとしても、愛する気持ちがなければ意味がありません。私たちは日々キリストを花婿として迎え、愛しているでしょうか。私たちの手もこの口も花婿なるキリストのために用いていますでしょうか。自分の快楽のために、自分の感情を爆発させるために、その体を汚さないでください。その時は分からなくても、必ず後悔する時が来ます。私たちの体は神の宮であり、キリストの花嫁です。主が与えてくれた今の生活に感謝し、主を愛するためにその体を大切にして日々生きて下さい。その体が他のもののために使われる時、神様だけでなく私たちも傷つきます。失ってから後悔しないように、いつも主を愛する選択をしましょう。​ 

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