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その名はヨハネ(ルカ1:63-64)
고요한 2024-12-16 추천 0 댓글 0 조회 14

20241215 聖歌隊献身礼拝

聖書:ルカ1:63-64

題目:その名はヨハネ

内容:ザカリヤは神殿での奉仕の中で、新しい奉仕のお告げを聞きました。しかし、信仰で受け入れるのではなく感情的に拒絶し、神の計画に関心を持つのではなく自分の状況を表すことに集中しました。その結果、口が聞けなくなり、9ヶ月もの間、神様を賛美できなくなりました。しかし、お告げ通りに誕生した息子に「ヨハネ」(エホバは恵みを与える方)と名づけた時、口が開かれ、聖霊によって神様を賛美することができるようになりました。奉仕とは、感情ではなく信仰によって、自分ではなく神様を表すためのものです。私たちもザカリヤのように、主が与える奉仕を「主の恵み」として受け入れるのなら、心から主を賛美することができるでしょう。

説教者:高曜翰 副牧師

“ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。 すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。”

‭‭ルカによる福音書‬ ‭1‬:‭63‬-‭64 口語訳

1。どっちの男性とデートしますか?

 ある女性が、2人の男性と別々に食事に行きました。1人目は、❶自分のデートプラン通りにいかないと感情的になり、❷自分はこういう人間だと自分語りが多く、❸自分の努力に対する見返りを求めてくる男性でした。2人目は、❶想定通りにいかなくても女性に合わせてくれて、❷女性に関心を持って褒めてくれて、❸会えたことを喜んで見返りを求めない男性でした。女性はどちらの男性とまた会いたいと思うでしょうか?2人目の男性ではないでしょうか?しかし、私たちは知らない間に、神様に対して1人目の男性のような態度をとっていることがあります。

2。祭司の奉仕

 聖所では、毎日、朝と夕の2回、香を焚きます。この奉仕は、1人で行うのではなく、24組のグループに分かれた祭司たちが交代で行います。1組が年に2回、1週間ずつ奉仕します。つまり、1年間で1組あたり14人の祭司が奉仕をします。学者の話では当時18,000人の祭司がいたそうなので、単純計算だと、1組あたり750人の祭司がいたことになります。50人➗14人=53.6の計算から、53年間祭司を務めていたとしても、香を焚くことのできない祭司がいることになります。ユダヤの伝統では、この奉仕は一生に1度だけと規定されているそうですが、さらに奉仕の当番はくじ引きで決めるため(ルカ1:9)、いつ順番が回ってくるかわからない状態です。この奉仕は、大祭司以外で至聖所に最も近づける唯一の機会であると同時に、祭司にとって一生で一度の晴れ舞台となるのです。

3。ザカリヤの奉仕

 今日のお話の中心となるザカリヤは、アビヤ組の祭司です。24組中8番目に当たるグループであり(1歴代誌24:7−18)、4番目のタムズの月(今の暦で6月中旬〜7月中旬)に1回目の当番になります。妻のエリザベツも祭司の家系であり、信仰深い人であったことが書かれています。ただ1つの問題は、年老いたにもかかわらず、妻の不妊のため子供がいなかったことでした。そんなザカリヤに嬉しい知らせが届きます。くじで香を焚く奉仕に選ばれたのです。

 しかし、その一生に一度の舞台で事件が起こります。ザカリヤが聖所に入って香を炊いている時、天使が現れました。そして、「恐れるな。あなたの祈りが聞き入れられた。あなたの妻エリサベツは男の子を産む。ヨハネと名づけなさい」と言いました。聖所の中で祭司が個人的な祈りを捧げるとは考えにくく、イスラエルが慰められることを祈っていたのではないかと考えられます。おそらく、これよりも以前に子供が欲しいと祈っていたのでしょうか。天使の「あなたの祈りが聞き入れられた」という言葉は、祭司としての祈りに対する答えなのか、ザカリヤ個人の祈りに対する答えなのかは不明ですが、天使は子供を授けるという嬉しい知らせを伝えました。

 ところが、どういうわけか、ザカリヤは祭司でありながらも、「どうしてそんなことが私にわかるでしょうか。私は老人ですし、妻も歳をとっています」と、不信仰から拒絶をしました。それに対して天使は「私は神の前に立つガブリエルです」と対抗しました。そして「私の言葉を信じなかったから、子供が生まれるまで口が聞けなくなります」と宣言しました。天使はイスラエルにおける神様の計画を伝えて奉仕を求めていたのに、ザカリヤはそれを拒否してしまったのです。ザカリヤはアビヤ組の務めの1週間を終え、家に帰りました。その後、天使の言葉通り、妻のエリザベツは妊娠しました(6月下旬〜7月下旬)。

 そして無事にヨハネが生まれました。妊娠期間を280日とするなら、出産時期は4ー5月上旬になるのではないでしょうか。誕生後、8日目に割礼を受ける際、人々が集まってザカリヤと名付けようとしました。しかし、妻のエリザベツは「ヨハネ」にしなければいけないと言い、ザカリヤも「その名はヨハネ」(主は恵み深い方)と書板に書き記しました。すると、ザカリヤは話せるようになり、神を褒め称えた。その歌を見ると、まず救い主の誕生を歌い、そして自分の息子ヨハネについて歌っています。話せない約9ヶ月間を通して信仰を回復したのです。

4。奉仕に必要なこと

 まず、①奉仕とは、感情ではなく信仰によるということです。ザカリヤは「どうやって私が理解できるか?」と反論しました。息子のヨハネがメシアの道を準備する計画を伝えられましたが、香を焚く奉仕でいっぱいいっぱいのザカリヤは、自分の想像を超える神様の言葉を感情で拒否したのです。神様への信仰よりも、自分の感情が上回っている状態です。しかし、私たちは自分の感情に従うのではなく、神様への信仰に従って奉仕をすべきです。イエスは自分の望みよりも、神様の望みを優先し、奉仕の道を進みました。十字架への道は感情的には拒否したい、しかし、自分の思いではなく、神様の思いが成るように祈りました(ルカ22:42)。イエスは理解できなくても、信仰によって神様の言葉を受け入れたのです。自分の感情よりも、神様への信仰が上回っている状態です。私たちもイエスのように、感情に従って奉仕するのではなく、信仰によって行う必要があります。先週は気分が良かったから奉仕して、今日は気分が悪いから奉仕しない、では困るのです。自分の思い通りの奉仕ができず、他の奉仕を求められたとしても、感情的にならず、神様を信頼して行うのが奉仕なのです。

 次に②奉仕とは、自分ではなく神様を表すために行います。ザカリヤは「私は老人なのに、私の妻も老人なのに」と反論した。ガブリエルを通して神様の偉大な計画を聞いたのにもかかわらず、神様を見るのではなく、「私は…」と、自分を表すことに集中したのです。奉仕は、自分を表すのではなく、神様を表すために行います。イエスは自分を表すのではなく、神様の恵みを表すことを優先しました。12軍団以上の天使を呼んで、力を見せつけることができるが、そうしないのは、神様の言葉が成就されるためだ、と自分を逮捕しに来た人々に伝えました(マタイ26:53−54)。危機を回避するために、自分の力を表すのではなく、神様の恵みの計画を人々に表すために自ら捕まったのです。私たちも神様の恵みを表現する奉仕をすべきではないでしょうか。自分の技術力の高さや努力をアピールするのではなく、神様の栄光を表すために行うのが奉仕なのです。

 最後に③奉仕とは、苦労ではなく、恵みであるということです。ザカリヤは「エホバは恵み深い方」であるという意味の「ヨハネ」という名前を受け入れることで、再び神様を賛美することができるようになりました。つまりザカリヤは神様が与えた「ヨハネ」という計画を恵みとして受け入れたことで、喜びが溢れたのです。奉仕の席に選ばれることは、苦労ではなく恵みなのです。イエスの譬え話の中で「タラントの比喩」というものがあります。その中で主人は「良い忠実な僕よ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と言っています(マタイ25:21)。これは神様が私たちに望んでいることです。神様は、自分が楽をしたいから私たちに労働をさせているのではありません。私たちがいてもいなくても、神様は1人で全ての計画を達成できるお方です。私たちを奉仕の席に呼ぶのは、神様の計画に参加し、計画の成就を共に喜ぶためです。奉仕とは義務である以上に、特権なのです。義務感や人の目を気にしたり、見返りを求めて奉仕をするのは、本当の奉仕ではありません。神様に仕えることのできる恵みを喜ぶことが奉仕なのです。

 

4。まとめ

奉仕とは、感情ではなく信仰による

奉仕とは、自分ではなく神様を表すため

奉仕とは、苦労ではなく、恵みである 

感情ではなく信仰によって、自分ではなく神様を表すために、奉仕する恵みを受け取りましょう。そうすれば私たちもザカリヤのように主を心から賛美する存在になることができます。 

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