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飼い葉桶のイエス(ルカ2:6-7)
고요한 2024-12-22 추천 0 댓글 0 조회 69

20241222 日曜午後礼拝

聖書:ルカ2:6-7

題目:飼い葉桶のイエス

内容:イエスキリストは、助産婦もおらず、冷たくて暗くて臭う、人が生まれ寝かされる場所ではない、馬小屋の飼い葉桶で生まれました。そして、その姿は望みを置けるような美しさも威厳もありませんでした。そのような劣悪な環境下で生まれたのは、神様の愛を全ての人々に正しく伝えるためです。飼い葉桶は神様の愛の象徴です。イエスキリストを通して伝えられた神様の愛を受け入れるのならば、このクリスマスの日に、サンタクロースに何かをもらうことを期待するのではなく、神様の愛に対する感謝を捧げましょう。

説教者:高曜翰 牧師

“ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。”

‭‭ルカによる福音書‬ ‭2‬:‭6‬-‭7‬ 口語訳‬

1。キルケゴールの譬え話

 ある国の王子様が、一般人女性に恋をしました。彼女の心を射止めるためには、王子様はどのようにアプローチするべきでしょうか?王子の立場でアプローチするなら、ほぼ確実に成功するでしょう。しかし、二人の間の愛には、権力やお金などの影が付きまといます。どのようにアプローするならば、純粋な愛を得ることができるでしょうか?それは王子の立場を捨てて、同じ立場になってアプローチをすることです。一般人男性になれば、アプローチは失敗するかもしれません。しかし、権力やお金など余計なものがないので、より純粋な愛を得ることができます。

2。イエスキリストの誕生

 ヨセフとマリアはベツレヘムに滞在している間に、イエスを出産しました。初代ローマ皇帝アウグストの勅令で住民登録が始まり、ナザレを出て故郷のベツレヘムに帰らなければならなったためです。このタイミングでナザレからベツレヘムに移動することになったのは、メシア預言が成就するためだったと言えるでしょう。

 しかし、イエスは、布に包まれ、飼い葉桶に寝かされました。それは客間にいる余地がなかったからとあります。「布に包まれた」というのは、マリアが助産婦の力を借りず、一人で出産をしたことを意味しています。また、「飼い葉桶に寝かせた」というのは、イエスが家畜小屋かそれと同等の劣悪な環境下で生まれたということを意味しています。「客間には彼らのいる余地がなかった」というのは、イエスの誕生が歓迎されている状態では行われなかったという意味です。

 さらに、イエスの外見については、預言者イザヤが800年ほど前に「彼は主の前に若木のように、 かわいた土から出る根のように育った。 彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、 われわれの慕うべき美しさもない」(イザヤ53:2)と預言しています。「主の前に若木のように、乾いた土から出る根のように育った」というのは、神の目には良いが、人の目には全く目立たないという意味です。実際、冷たく寂しく暗く臭い馬小屋で目立たずイエスは生まれました。そして、「見るべき姿がなく、威厳もなく、慕うべき美しさもない」とありますが、英語では“no beauty, no majesty, nothing in his appearance we should desire him“と翻訳されています。美しくもなく、威厳もなく、何かを期待できるような外見ではないということです。神の子と言われたアウグストとは対照的に、イエスには残念さが目立つようになっています。

3。誰よりも劣悪な状態で生まれた理由

 なぜ真の神の子であるイエスは誰よりも劣悪な状態で生まれなければならなかったのでしょうか?それは、神様の愛を全ての人々に伝えるためです。もし、イエスが神様の姿で地上に来たのなら、人々は神様の愛を受け入れるしかなかったでしょう。しかし、それは権威による力であり、強制された愛であり、本当の愛ではありません。もし、イエスが人々に囲まれ、華やかな王宮で生まれたのなら、一部の人々は喜んで従ったでしょう。しかし、苦しんでいる人々は「あんたに俺の何がわかる?」と関心を示さないのではないでしょうか。神様は、一人息子を犠牲にするほど私たち人間を忘れられず、愛しています。その事実を、捨てられた私たちが理解できるように、自分も捨てられた存在になったのです。

4。まとめ 

 飼い葉桶の意味は何でしょうか?神様の私たちに対する愛の大きさを表しています。イエスが飼い葉桶で生まれたのは、その神の愛を私たちに伝えるためです。みなさんはその愛を受け入れますか?受け入れるのなら、このクリスマスの日に、サンタクロースから何かを貰おうとするのではなく、これほどまでに私たちを愛している神様に、感謝の祈りを捧げましょう。 

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