20250105 日曜午後礼拝
聖書:イザヤ26:7−9
題目:主が平らにされる
内容:主に完全に信頼している者には完全な平和が与えられます。完全な信頼とは、主がその道を平らにすることを信じて歩み、その得られた結果を主がしてくださった恵みだとして受け入れることです。私たちは一人ではありません。自分への執着を捨てて、自分ではなく主が現れることを喜びましょう。
説教者:高曜翰 副牧師
“正しい者の道は平らである。 あなたは正しい者の道をなめらかにされる。 主よ、あなたがさばきをなさる道で、 われわれはあなたを待ち望む。 われわれの魂の慕うものは、 あなたの記念の名である。 わが魂は夜あなたを慕い、 わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。 あなたのさばきが地に行われるとき、 世に住む者は正義を学ぶからである。”
イザヤ書 26:7-9 口語訳
1。歳を取ると?
「歳を取ると丸くなる」という言葉がありますが、実際は「歳を取ると怒りっぽくなる」ようです。40代になると、前頭葉という意欲を司る部分が徐々に萎縮していき、感情の制御がうまくいかず、感情的になりやすいことが原因と言われています。また、他の肉体的な面で言えば、年齢と共に高音を聞き取る能力が低下し、高音で話す称賛などが聞こえにくくなる一方で、低音で話す悪口は聞き取りやすいことが原因とも言われています。精神的な面で言えば、日本におけるアンガーマネージメントの第一人者である安藤俊介氏によると、その原因は「孤独感」「執着」「自己顕示欲」が大きいようです。海外では依然として、経験からくる知識が、「歳を取ると丸くなる」ようにすると言われていますが、「世界一孤独な日本のオジサン」と言う本が出るくらい、日本社会は孤独感を強く感じやすいと言われています。どうやらその孤独感から脱却するために、「私はこのやり方で今までやってきたんだ」と過去の成功体験に執着し、「自分は悪くない」と自己顕示をするのではないでしょうか。それがさらに孤独感を引き寄せ、不安をもたらすことになるとも知らずに。。。
信仰生活でも似たようなことが言えます。信仰生活においても、教会を離れて孤独感の中で信仰生活をしている人々ほど、自分のやり方に執着し、自己顕示欲を示しやすくなっています。その結果は、平安ではなく不安です。今日のお話しを通して、私たちが平安な信仰生活を得るためには、どのような思考を持つべきかを考える時間になればと思います。
2。正しい者の道とは?
イザヤ26章1−6節は、この世の終わりに、神の国で歌われる賛美が記されています。要約すると、「神様に信頼する者だけが完全な平安に住むことができる」ということです。そして、7−10節で正しい者の道がどのようなものであるかを説明しています。つまり、ここで言う正しい者とは、正義を行う者を指すのではなく、神様に信頼する者を指します。なぜなら人は罪のために、正義を正しく行うことができないからです。聖書の言う「正しい者」とは「神様に信頼する者」であり、「完全な平安に住むにふさわしい者」になるのです。
7節では、正しい者の道は神様が滑らかにするので、平らである、と言っています。注意したいのは、神様によって事前に平らな道が用意されているわけでもなければ、自分の力によって道が平らになるのではないということです。私たちの目の前の道は確かにでこぼこですが、私たちが信じて歩き始める時、神様が平らにされるのが、正しい者の道なのです。
8節では、主の裁きの道で主を待ち望み、昼も夜も主の名を慕い求める、と言っています。自分の基準で良し悪しを判断するのではありません。神様の基準で神様が良し悪しを判断するのに任せるのです。「待ち望む」と言う単語ですが、ヘブル語ではカバアという単語を強調形で用いており、「熱心に探す」と言う意味があります。単に待つのでもなければ、自分で働くのでもなく、主が働くのを待つのです。なぜなら「主が私たちのために平和を設ける」(26:12)からです。平和とはヘブル語でシャロームと言い、単なる平和ではなく、完全な平和を意味します。主が働くからこそ、完全な平和を得ることができるのです。主の仕事を奪ってはいけません。自分の方法と自分のタイミングではなく、神様の方法と神様のタイミングに任せるのが、正しい者の道なのです。
9節では、主の裁きが地に行われる時、地の人々は正義を学ぶ、と言っています。この世の人々は自分の望む結果を求めます。自分の求める結果以外は失敗だと考えます。しかし、神の前に正しい人は、神様が出す結果を受け入れ、喜びます。なぜなら主による完全な正義が行われたからです。一方で、悪しき者は恵みを受けても義を学ばない(27:11)とあるように、神様の与える結果を恵みとして受け入れることができません。どのような結果になろうとも、主が与える最良の結果であると信じて受け入れることこそが、正しい者の道なのです。
3。正しい者として生きるためには?
それでは私たちが正しい者の道を歩き、神様の与える完全な平和を楽しむためには、何に気をつけるべきなのでしょうか?神様に信頼する正しい者になるためには、何をすべきなのでしょうか?それは、自分のやり方に「執着」せず、「自己顕示欲」を捨て去り、「孤独」ではない事実を受け入れることです。
まず第一に、神様に信頼する人は、神様が正しくしてくださることを信じて進みます。イエスが、「悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなた方の父はなおさら、求めて来る者に良いものを下さらないことがあろうか」(マタイ7:11)と言ったように、神様は私たちに、神様の目から見て良いものをくださる方です。この世の人々は、自分のやり方やタイミングに執着します。なぜならそれが正しいと信じているからです。しかし罪人である私たち人間は、自分にとって良いものすらも正しく把握できていません。私たちに本当に必要なものは神様が1番よくご存知です。子育てをしてる人なら、子供の望みを全て叶えることがいかに危険であるかを知っているのではないでしょうか。子供が理解できなくても、親を信じて従うように、私たちも不完全なものに対する執着心を捨てて従う必要があるのです。何かに執着することなく、神様が、正しく導いてくださる最良のお方であることを信じることこそが、主に信頼する正しい者の道なのです。
第二に、神様に信頼する人は、神様が正しくしてくださったことを信じて受け入れます。イエスが、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌み嫌われる」(ルカ16:15)と言ったように、自分が正しいとする考えは、神様に嫌われます。自分ではなく、神様が正しいと告白する人々が、主に喜ばれる正しい人になるのです。それにも関わらず、私たちはこの世の人々のように自分の正しさを証明しようとして、望む結果が出なければ、神様に失望します。どうして一生懸命祈った結果なのに受け入れることができないのでしょうか?自分の前に現れた結果は、神様の力が足りなかったせいなのでしょうか?それとも私たちの祈りの回数や時間が足りなかったせいなのでしょうか?どちらでもありません。願いが聞かれないのは、正しくない願いだからです(ヤコブ4:3)。目の前に現れた結果が自分の望み通りであろうとなかろうと、神様の正しい判断の結果であると受け入れるべきなのです。そうできないのは、神様よりも自分を表したいという自己顕示欲のせいです。祈りとは、自分の栄光を表すためにするものではなく、神様の栄光が現れるためにするものです。自己顕示欲を捨てて主の栄光が現れたことを認めることこそが、主に信頼する正しい者の道なのです。
第三に、神様を信頼する人は、神様が道を平らにするために共にいることを信じる人です。イエスが、「見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28:20)と言ったように、神様が共にいることを信じてください。もちろん、私たちが使命をちゃんと果たしているか監視をするためではありません。私たちが使命の道を歩くことができるように助けるためです。人はみな、孤独だと言います。しかし、聖書は神様が共にいると教えています。あなたはどちらを信じますか?神様は使命だけ与えて、人の力だけで達成させるように仕向ける、人間の弱さが分からない無責任な方ではありません。私たちの道を平らにするのは神様の仕事です。私たちは、感情ではなく、知恵によってではなく、信仰によって神様の道を共に歩くだけです。共にいることを認め、孤独ではないと確信を持つことこそが、主に信頼する正しい者の道なのです。
最後に、私たちがなぜ祈るのかを考えてみましょう。神様は求める前から私たちに必要なものを知っています(マタイ6:8)。それなのになぜわざわざ神様に話すのでしょうか?神様が情報不足だからでも、祈りによって何かのポイントを積み重ねるためでもありません。それは、自分の心を打ち明けることで、人格的な対話をするためです。神様との人格的な交わりを通して、主への信頼を強めることができます。「信仰」とは英語でFaithと書き、「いっぱい」とはFullと書きます。そしてそれらを合わせてFaithfulで「忠実な」という言葉ができます。このように祈りを通して信仰を強くすることができれば、神様の言葉に忠実に生きることができるようになるのです。祈りを通して私たちは、自分の願いが叶うのではなく、神様に忠実になることができるのです。信仰があるということは、タイミングや方法や結果すらも神様の決定に忠実だということです。
4。まとめ
①神が正しくしてくださることを信じて進みましょう。
❶力があるかないかではなく、神の前に正しいかどうかが重要。
❷何かに執着しないで、主に喜ばれる道を進んでください。
②神が正しくしてくださったことを信じて受け入れましょう。
❶神の栄光が現れた結果が、自分にとっても最も良い結果。
❷自己顕示欲を捨てて、神様の栄光が現れたことを受け入れ感謝しましょう。
③神が道を平らにするために共にいる事を認めましょう。
❶道を平らにするのは、自分ではなく、神様です。
❷私たちが決して孤独ではないことを忘れないでください。
댓글0개