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テオピロに起きた変化(使徒の働き1:1-2)
고요한 2025-06-14 추천 0 댓글 0 조회 31
20250613日曜午前礼拝

聖書:使徒の働き1:1−2

題目:テオピロに起きた変化

讃美:83、449、430

説教者:高曜翰 副牧師

“テオピロよ、わたしは先に第一巻を著わして、イエスが行い、また教えはじめてから、 お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。”

‭‭使徒行伝‬ ‭1‬:‭1‬-‭2‬ 口語訳‬

1.トルストイの変化(1828–1910)

トルストイをご存知でしょうか。ロシアの大文豪であり、莫大な富と世界的な名声を手にし、文学界の中心にいた人物です。彼は常に人々の賞賛を求め、それを得ていました。しかし、その心は空虚で、死への恐怖と人生の意味の喪失に苦しんでいました。

ある時、彼はロシアの農民の生活に触れ、深い衝撃を受けます。農民たちは読み書きができず、毎日汗だくで働き、稼ぎはわずか。誰からも賞賛されない生活の中で生きていました。それにもかかわらず、彼らの生活には平安が満ちていたのです。それは、彼らが神との正しい関係を持っていたからでした。

彼らは文字が読めなくても、「主の祈り」や「詩篇」を暗唱して祈り、貧しくても「神が与えてくださった一日」として感謝して生きていました。汗を流すことを恥じず、「神の与えた使命」として受け止め、自然を通して神の恵みを味わっていました。彼らは死を恐れることなく、「神のもとに帰るもの」として受け入れていたのです。

トルストイは著書『懺悔』の中で、こう述べています。「知識人は死を恐れ、人生の意味を失い、自ら命を絶とうとする。しかし、日々パンを焼き、祈り、土を耕す無名の人々は、死にも苦しみにも耐えうる信仰を持っていた。その信仰こそ、私が失っていた“命”であった」と。

トルストイは聖書に心から触れ、富や名誉を追い求める人生を捨て、質素で誠実な生き方を選びました。もはや彼の平安には、人の賞賛は必要なかったのです。

しかし残念ながら、現代にもトルストイと同じように苦しむクリスチャンが存在します。

2.テオピロの変化

『使徒の働き』を書いたルカは、医者であり、歴史家であり、パウロの同伴者でもありました。彼はパウロの殉教に至るまで行動を共にし、新約聖書の約25%を記した唯一の異邦人著者です。パウロと合わせると、新約聖書全体の50%以上を占めています。

「最初に書かれた書物」とは『ルカによる福音書』のことであり、『使徒の働き』もまたテオピロという人物に宛てられています。ただし、この名前は実在の個人名ではなく、「テオス(神)」と「フィロス(友)」というギリシャ語から成るもので、ローマの支配階級に与えられる称号とされています。つまり、ルカは特定の個人を実名ではなく、称号で呼んでいたのです。当時、ローマの高官が公然とイエスを信じることは危険であったため、実名を書くことはできませんでした。

では、なぜルカはこのような形で書簡を送ったのでしょうか?それは、聖書の語る「主(キュリオス)」がローマ皇帝ではなくイエス・キリストであること、そして「良い知らせ(ユアンゲリオン)」がローマ皇帝ではなく、イエス・キリストによってもたらされたものであることを示すためです。

ローマ帝国において「ユアンゲリオン」とは、「皇帝に主権を委ねることで平和を得る」という考え方でしたが、聖書の語る福音とは、「神に主権を返すことによって真の平和が訪れる」というメッセージです。

『使徒の働き』からわかるのは、テオピロが『ルカによる福音書』を通して変えられたという事実です。『ルカ福音書』1章3節では「テオピロ閣下(クラティストス)」と敬称が使われていますが、『使徒の働き』1章1節では「テオピロよ」と呼び方が変わっています。これは、テオピロがただの求道者から、イエスを信じる兄弟へと変えられたことを意味します。

3.人生を変えるのは、神の言葉

“というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いと志とを見分けることができる。” ― ヘブル人への手紙 4:12(口語訳)

この手紙は、ユダヤ人背景を持つクリスチャンたちに向けて書かれました。彼らはイエスを信じていたにも関わらず、迫害や信仰のプレッシャーの中で、律法主義やユダヤ教の慣習に戻ろうとする誘惑にさらされていました。その彼らに向けて、著者は「神の言葉の力」を強く語っているのです。

「神の言は生きていて、力がある」とは、神の言葉が単なる過去の文書ではなく、今も生きて働いていることを意味します。神の言葉はただの情報ではなく、実際に人を変える力がある「生きた言葉」なのです。

そして、「もろ刃の剣よりも鋭い」とは、人間の内面の最も深いところ、魂と霊、関節と骨髄、つまり見分けがつかない領域までも貫き通すという意味です。私たちが自分でもわからない動機や本音を、神の言葉は明らかにしてくれます。

4.どのように生きるべきか?

私たちの人生を変えるのは、自分の能力や努力ではありません。人生を変えるのは「神の言葉」です。テオピロが変えられたのも、ルカが記した神の言葉を受け入れたからです。

2000年前にテオピロが、100年前にトルストイが変えられたように、今の私たちも神の言葉によって変えられることができます。テオピロは、もはや人々からの敬称を必要としない存在となりました。それは神の言葉が彼の心を刺し通し、真の変化をもたらしたからです。

変化には痛みが伴いますが、神の言葉によって突き刺されることこそ、人生の転換点となるのです。

神は私たちに「大きな成果を出すこと」を期待しているのではありません。神は、イエスのように仕える姿で、神の言葉に従って生きることを求めておられます。神を自分の望みを叶える自動販売機のように扱う信仰では、人生は決して変わりません。

「どのように生きるか」以上に、「なぜ生きるのか」を明確にすることが大切です。そしてその「なぜ」は、神の言葉を通してこそ見出されるのです。

5.人生が変えられた人

最後に、一つの例え話をご紹介します。

ある旅人が旅をしていると、大きな建物を建てている人々に出会いました。旅人は三人のレンガ職人に「何をしているのですか?」と尋ねました。

一人目は「レンガを積んでいるだけさ。朝から晩までね」と答えました。旅人が「大変ですね」と言うと、「他の人はもっと楽な仕事をしてるのに、運が悪いよ」と嘆きました。

次に、二人目の職人に同じ質問をすると、「壁を作っている。これが私の仕事さ」と答えました。「大変ですね」と言うと、「大変だけど、これで家族を養えるから幸せさ」と言いました。

最後に三人目に尋ねると、「私は大聖堂を建てているんだ。歴史に残る大聖堂さ」と答えました。「大変ですね」と言うと、「とんでもない。私の作った大聖堂で人々が祝福され、癒される。それが私の喜びだよ」と言ったのです。

同じ仕事でも、人生の意味が異なれば、歩む人生もまったく違ってくるのです。皆さんにも、三人目のような人生を歩んでいただきたいと願います。そして、その人生は神の言葉を通してこそ実現できるのです。

6.まとめ

自分の言葉や考えを脇に置き、絶えず神の言葉を心の奥深くに入れてください。痛みを伴うかもしれませんが、その御言葉が不要なものを取り除き、人生に真の意味を与えてくれます。

なぜ自分が救われ、今この時を生かされているのか――その「なぜ」に気づいたとき、私たちの人生は変わり始めます。


過去も未来も、神の言葉は人生を変える力があると信じて歩んでいきましょう。
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