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神の御心なら(使徒の働き18:19−21)
고요한 2025-06-29 추천 0 댓글 0 조회 18

20250629日曜午後礼拝

聖書:使徒の働き18:19−21

題目:神の御心なら

讃美:384、390、385

説教者:高曜翰 牧師

 

“一行がエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残しておき、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。 人々は、パウロにもっと長いあいだ滞在するように願ったが、彼は聞きいれないで、 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰ってこよう」と言って、別れを告げ、エペソから船出した。”

‭‭使徒行伝‬ ‭18‬:‭19‬-‭21‬ 口語訳‬

1. 宣教生活に必要なものは?

 宣教とは、すべてのクリスチャンと教会に与えられた使命です。では、聖書の中で誰が最も宣教をしたでしょうか?聖書の記述を見る限りでは、パウロだと言えるでしょう。もちろん、他の弟子たちも宣教を行いましたが、なぜパウロの記録が圧倒的に多く残されているのでしょうか?それは、私たちがパウロの宣教から学ぶためではないでしょうか。今日は、私たちの宣教生活に必要な心構えが何かを、パウロを通して学びたいと思います。

2. パウロの基準

 今日の聖句は、パウロの第二回宣教旅行の終わりに関する記述です。彼はシリア州の首都アンティオキアを出発し、アカヤ州の首都コリントまで至りました。そしてアンティオキアに帰るため、アジア州の首都エペソに立ち寄ります。帰りの船を待つ間、パウロはエペソの会堂に入り、ユダヤ人たちと討論しました。

 これまで激しい迫害を受けてきたパウロですが、エペソではとても良い反応を受けました。人々は、もっと長く滞在するようにと彼に頼みます。ピリピやテサロニケ、コリントとは異なり、エペソのユダヤ人たちは福音に興味を示していました。しかし、パウロはそのような大きな機会を前にしても、滞在の申し出を断ったのです。そしてこう言いました。「神の御心なら、また帰ってきます」と。

 実は、エペソは第二回宣教旅行の初期にパウロが行きたかった場所であったと考えられています。しかし聖霊はそのとき西に進むことを禁じ、最終的に北西のトロアスに導かれました。そこでマケドニア人の幻を見て、パウロは海を渡り、ヨーロッパ側(マケドニア州・アカヤ州)へ向かうことになったのです。非常に困難な道のりでした。

 帰り道、エペソでの良い反応を見ると、私たちなら「最初からここに導かれていれば、もっと大きな成果が出せたのに」「エペソへの道が禁じられていなければ、もっと安全に宣教できたのに」と思ってしまうかもしれません。しかし、パウロはそうは考えなかったでしょう。なぜなら、彼の行動基準は「自分の心」でも「成果の大きさ」でもなかったからです。

 パウロの宣教の目的は、「建てること」ではなく「植えること」でした。

“その際、わたしの切に望んだところは、他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることであった。”

ローマ人への手紙 15:20(口語訳)

 パウロは宣教だけでなく、弟子訓練も行いました。しかし彼は、自分に与えられた役割が「教会を大きくすること」ではなく「福音を届け、種を蒔くこと」だと理解していたのです。

 この思いは、聖霊によって与えられたものだということが、次の聖句からわかります。

“今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムへ行く。あの都で、どんな事がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。

ただ、聖霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難とが、わたしを待ちうけているということだ。

しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。”

使徒行伝 20:22–24(口語訳)

 

 人々は「危険だ」「非効率的だ」と言うかもしれません。しかし、パウロにとって成果や安全は重要ではなく、神から与えられた使命こそが最優先だったのです。

 「神の御心なら」という言葉は、単なる社交辞令ではありません。パウロの行動基準が神様中心であることを表しています。この言葉の意味を大きく2つに分けることができます。

  1. 「神の御心なら…自分の計画が実現する」

  2. 「神の御心なら…神様の計画が実現する」

 パウロの場合は、もちろん後者です。彼の行動の基準は常に「神の思い」にありました。それこそが、私たちの宣教生活において最も大切なことなのです。

3. イエスの基準

 イエスもまた、他人の期待や自分の望みではなく、神の御心に従って行動されました。イエスはユダヤ人を中心に宣教されましたが、私たちの目から見ると「もしあのときあのような発言をしなければ、成果はもっと大きかったのでは」と思える場面がいくつもあります。

 たとえば、イエスが「自分の肉を食べ、血を飲みなさい」と言わなければ、多くの弟子たちは離れて行かなかったでしょう。5千人に食事を与えた後に立ち去らなければ、人々はイエスを王として受け入れたかもしれません。洗礼者ヨハネの死後に留まっていれば、ヨハネの弟子たちを引き継ぐこともできたでしょう。しかし、イエスはそうはされませんでした。なぜでしょうか?

 それは、イエスにとって重要だったのは「成果」や「安全」ではなく、「神の御心」だったからです。成果を逃しても、安全を失っても、それは問題ではありません。神の思いに従って行動することこそが、イエスの真の関心だったのです。

 そして最終的に、イエスは十字架にかかって死なれました。それは人間の目には「失敗」に見えたかもしれませんが、神の目には完全な「成功」だったのです。大切なのは、行動の基準がどこにあるか、ということです。

4. 大阪中央教会の基準

 それでは、私たちの基準はどこにあるべきでしょうか?成果や安全ではなく、神の御心に置くべきです。周囲の人々は「ああすればよかったのに」「こうすればもっと成功したのに」と、後から意見を言ってくるかもしれません。しかし、そうした声に惑わされてはいけません。大切なのは、神様の御心にかなうかどうかです。

 宣教の秘訣は、「成功の道」や「安全な道」を探すことではありません。神様の思いを探し、神様の時を認め、神様の導きに喜んで従うことが、私たちにとって最も重要なことなのです。

 私たちが何かを決断するときには、まず自分の望みを一度脇に置きましょう。そして、 

神様は何を望んでおられるか?イエス様ならどうされるか?聖霊はどこに導こうとしておられるのか?これらを祈り求めながら、導きを求めましょう。私たちもパウロのように、結果や安全ではなく、神の御心を探し続ける宣教生活を歩んでまいりましょう。 

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