聖書:黙示録21:1−4
題目:花婿との生活を期待する花嫁
賛美:540、545
説教:高曜翰 牧師
“わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。 また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。”
ヨハネの黙示録 21:1-4 口語訳
1。クリスチャンの見ているもの
アサヒビール4代目の社長だった樋口廣太郎(1926−2012)はカトリック信者ですが、神の国に焦点を当てた生き方をしていた人物ではないでしょうか。
彼はこの世の富や名声を求める生き方をしませんでした。住友銀行の副頭取の地位にいましたが、その地位を守ることよりも、不渡りの小切手を平気で出させる頭取との反目を選び、会社を出ていくことになりました。住友関連の会社の社長の座を勧められましたが、断り、倒産寸前のアサヒビールの社長の座を選びました。その当時、アサヒビールは「夕日ビール」と揶揄されるほど落ちぶれていました。それにもかかわらず、自分の利益ではなく、会社を立て直して人々を助けることを選んだのです。そして、定着した「アサヒは古くてまずい」というイメージを取り除くため、顧客や従業員のみならず、キリンビールやサッポロビールといったライバル会社にまで教えを受けに行きました。そしてもったいないという理由で使いまわしていた古いビールを全て買い戻して捨てさせました。自分のプライドや利益ではなく、会社全体の未来を大切にしていたことがわかります。
後にアサヒスーパードライを大ヒットさせ、会社を建て直しましたが、決して自分のおかげだとは言いませんでした。自分も誇らず誰も誇らせないためです。彼はたくさんのビルを建てましたが、自分の名前を残しませんでした。むしろ会社に貢献した3800人のために記念碑を建てました。毎朝9時半に社長室で礼拝するのですが、その時に記念碑のミニチュアを見て、感謝の心を持つようにしました。また、解雇した社員を雇い戻し、自分のお金を使って売却した工場跡地を買い戻したりしました。社員達のモチベーションを上げるためです。身体障害者を積極的に雇いましたが、障害者の働く姿を見て社員達が仕事に情熱を持つためです。彼にとって社長の地位も成功も贈り物であり、執着すべき物ではなかったのです。
また、彼は会社が苦しい時、求める請求書の祈りではなく、感謝する領収書の祈りをしたことで知られています。結果が出る前から、「神様、シェアが一番になりました。これで従業員とその家族も喜び、飲んでくれる人も喜んでくれます。ありがとうございました」と祈ったのです。彼には神様が助ける確信がありました。自分の利益のためではなく、神様のため、人のために働いていたからです。彼はこの世のものに執着せず、神様との関係を楽しみながら、未来を見つめて、社長をしていたことがわかります。私達は彼のように人生を生きているでしょうか?今日のお話が、私たちの生き方を変える小さなきっかけになれば幸いです。
2。新しいエルサレム
1節を見ると、昔の天と地と海が消えて新しい天と地が現れる、とあります。今私達が住んでいる天地はキリストの再臨の時になくなるのです。悪魔と人間とによって、罪と死で汚染された天地を修復するのではなく、花嫁である私達は花婿なるキリストと、完全に新しい天地で住みます。それは、過去の苦い記憶を忘れ、新しい出発をするためです。そして混沌を象徴する海はなくなります。これは悪と混乱の元が完全になくなる事を意味します。例えるなら、過去の浮気相手との関係が完全に解消され、その相手を思い出すことのない新しい場所で結婚生活が始まるイメージです。
2節を見ると、新しいエルサレムが天から降ってくる、とあります。救いが人間の努力ではないことを表しいます。また、人間が天に昇って住むのではなく、新しい地に神が降りてきて、共に住むということです。だから天だけでも地だけでもなく、新しい天と地が必要なのです。私達は死ぬと一時的に天にあげられますが、最終的に住むのは地であることがわかります。
3節を見ると、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる、とあります。旧約時代で幕屋は神の臨在の象徴でしたが、再臨の後では、神が人と共に完全に住むことを教えています。また、人が神の民となるというのは、旧約時代から続く契約が完成する事を表しています。もはや神と人とを隔てる罪はないので、幕屋なしに共に住むことができるのです。
4節を見ると、涙をすっかり拭い取ってくださり、死も、悲しみも、叫びも、痛みもないのは先のものがすでに過ぎ去ったから、とあります。すっかり涙を拭い取るというのは、個人的に慰めてくださる神の優しさと親密さを示します。死も悲しみも叫びも痛みもない、というのは、死と苦痛が完全に終わったことを意味します。先のものがすでに過ぎ去ったというのは、罪と死が支配する古い世界が完全に終わり、神の新しい秩序が始まったことを表しています。
3。キリストの花嫁として準備するもの
さて、今日私達は、将来花婿なるキリストと共に住む場所について見てきましたが、その場所に住むための心構えについて整理してみましょう。
まず、この世のものへの望みを捨てましょう。
“あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。”
コロサイ人への手紙 3:2 口語訳
パウロは、救われたのなら、地にある一時的なものから天にあるの永遠のものに望みを変えるべきだと教えています。地にあるものとは、富や地位、欲望や過去の記憶、日常の不満や執着です。天にあるものとは、永遠の報い、神との交わり、愛や平安です。神の国の住人になったのだから、天にあるものを求めるのが当然なのです。
結婚を控えた男女が考えるのは、もうすぐ出ていく自分の部屋ではなく、一緒に暮らす新しい部屋を、どのように綺麗に飾りつけるかではないでしょうか?一緒に暮らす部屋ではなく、自分の部屋にこだわり続けるのなら、心の準備ができていないと考えられます。同じように、救われたクリスチャンは、今の住まいではなく、新しい住まいとなる神の国に心が向けられるはずなのです。
この世ではとにかく、有名な学校、給料の高い会社に入ることを教えます。そしてその目的はこの世のもので楽しむためです。しかし、神の国に入る準備をするのなら、愛する神のために人のために何ができるかを教えるべきではないでしょうか?新しいエルサレムにふさわしくなるため、この世のものへの望みを捨てましょう。
次にキリストとの関係を楽しみましょう。
“あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。”
ピリピ人への手紙 4:4 口語訳
パウロは、救われたのなら、神様と共にいることを喜びなさいと教えています。神様と共にいても苦痛しか感じないというのなら、考え方や態度が間違っているのです。また、他のものではなく、神様共にいることを喜ぶべきだと教えています。他のものとは、この世にある富や地位、名誉などです。神の国の住人になったのだから、神様と共にいることを喜ぶのが当然なのです。
結婚を控えた男女が考えるのは、二人の新しい生活についてではないでしょうか?二人の生活を充実させて喜ぶことではなく、独身生活をどのように充実させて喜ぼうかと考えているのなら、まだ準備ができていないと考えられます。そして、結婚前から、結婚が苦痛だと考えるのも同じです。同じように救われたクリスチャンは、独身生活ではなく、夫婦生活に幸せを期待するはずではないでしょうか?新しいエルサレムに共に住む者として、神様との関係を楽しみましょう。
そして、花婿との住まいを望む花嫁になりましょう。
“わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。”
ローマ人への手紙 8:18 口語訳
パウロは、今の苦しみに惑わされてはいけないと教えています。未来の新しいエルサレムで受ける喜びは比較にならないほど大きいからです。確かに神に仕え、人に仕えることで苦痛に感じることは大きくて多いように感じます。しかし、未来では、新しいエルサレムで神様が涙を拭ってくださり、その苦痛がなんでもなかったかのようになることを約束しています。今だけを見るのではなく、未来の住まいを考えてください。
樋口廣太郎は、困難の中でも、社長でありながら仕える姿勢を続けました。罵声を浴びせられても解雇した人々に戻ってくるよう言ったり、自分のお金で社員のために工場を買い戻しました。彼が自分の人生をプラスにすることではなく、誰かの人生をプラスにすることを目的としていたからです。しかし、その生き方は決して損ではありません。なぜなら必ず神様がそれとは比べ物にならないものを与えてくださるからです。
様々な不安がありながらも、結婚を準備する男女が、結婚生活に夢を見て生きるように、私たちも将来の新しいエルサレムに希望を持って生きようではありませんか。この世の結婚生活は地獄のようになることもありますが、神の国ではそのようなことはありません。将来の住まいにどうぞ希望を持ってください。
4。まとめ
この世は私たちの永遠の住まいではありません。私たちの住まいは新しいエルサレムにあります。そこには罪も死も、苦しみも涙もありません。今は辛くても、この世の望みを諦め、キリストとの関係を大切にしてください。花婿との新しい暮らしを期待する花嫁のように、いつも新しいエルサレムを夢見ていきましょう。
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