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教会はキリストの体(1コリント12:12−13)
고요한 2025-10-11 추천 0 댓글 0 조회 41

20251012日曜日本語礼拝

聖書:1コリント12:12−13

題目:教会はキリストの体

賛美:8、267、283

“からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。”

‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭12‬:‭12‬-‭13‬ 口語訳‬

1。ローマの寓話

①メネニウス・アグリッパ

 ❶紀元前5世紀、共和政ローマ初期の政治家

  ⑴ペルシャ時代、イスラエルの民が神殿を再建しようとしていた時代

  ⑵ローマの貴族と平民の対立が激化し、ストライキが起きていた(前494年)

  ⑶平民はローマ市を離れて、聖なる山に集結して抗議

 ❷平民を説得させるための寓話

  ⑴ある時、手足口などが「胃は働かずに食べ物を楽しむだけだ」と不満を抱いた

  ⑵だから胃袋を飢えさせてしまおうとして、食べ物を胃に送ることをやめた

  ⑶しかしその結果、体全体が衰弱し、手足口も動けなくなった

  →器官は自己の利益のためではなく、体の共通利益を目指して働くもの

 ❸寓話から分かること

  ⑴実は胃が全身に栄養を送り、体全体を生かしていたことがわかった

  ⑵目には見えなくても、体の器官にはそれぞれ必要な役割がある

  ⑶貴族と平民の関係も同じだと説得し、平民たちはローマに戻った

  →その後、平民の権利を守る役職「護民官」が創立された

2。パウロの説明

①コリント教会内で起きた問題

 ❶ライバル意識による内部分裂。一致とは程遠い教会の姿

 ❷賜物が多いと感じる聖徒が他人と比較し自慢した

 ❸賜物が少ないと感じる聖徒が教会で心に傷を負った

②キリストが頭であり、聖徒一人一人は体の各器官である(12節)

 ❶各器官は多様性を持っているが、一つの体として統一性を持っている

 ❷そして教会の聖徒一人一人が必要な器官だから、いなくていい聖徒はいない

 ❸全ての聖徒が共通利益を目指して機能している

③一つの霊によって、一つの体となるように洗礼を受け、一つの霊を飲んだから(13節)

 ❶一つの体となる:聖徒が方向性で一致している

 ❷そのための洗礼:キリストの死に預かること。自分を無にすること

 ❸一つの霊を飲む:灌漑で使用される単語。聖霊に充満されたということ

④教会が一致しない問題

 ❶霊的な洗礼を受けていない=死んでいない

 ❷だから比較して自慢し、批判し合う。『自分』が生きているから

 ❸足が手の様な複雑な動きが出来ず落胆?足が自分の汚れを気にして体を離れる?

  →問題は、足が全体の利益を考えず、自分の利益だけを考えている

3。教会はキリストの体

①全ての聖徒が必要不可欠

 ❶体にとって不要な器官は一つもない

  ⑴見えていなくても、重要な役割があり、あってもなくていいものはない

  ⑵一つの器官がどれだけ優れていたとしても、他の器官の代わりにはならない

  ⑶目は口の役割を果たせず、目ばかりや口ばかり同じものがあっても意味がない

 ❷教会にとって不要な聖徒は1人もいない

  ⑴一見、いてもいなくてもいいように見えても、神様の与えた重要な役割がある

  ⑵必要な人間と不必要な聖徒に分けること事態が間違い

  ⑶神様の計画には間違いがないから

 ❸イエスの場合

  ⑴1匹の羊でも迷い出たら、99匹を残して探しに行く譬え話(マタイ18章)

  ⑵調和のために、能力の高い1人ではなく、迷子の1人を探しに行くのが教会

  ⑶イエスのように1人の存在をも無視しないのがキリスト者

②優劣で判断すること自体が間違い

 ❶どんなに小さな器官でも傷を負えば、体全体が痛みに巻き込まれる

  ⑴口が痛ければ、胃や他の器官にも大小必ず負担がかかる

  ⑵ある器官が痛いのに他の器官に影響がないのなら、それは一つの体ではない

  ⑶器官がすべきは、他の弱い器官を攻撃することではなく、支えることである

 ❷聖徒に痛みが生じれば、教会全体に痛みが生じる。

  ⑴ある聖徒に痛みがあれば、他の聖徒にも必ず影響がある

  ⑵ある聖徒が痛いのに他の聖徒に影響がないなら、それは一つの教会ではない

  ⑶聖徒がすべきは、弱い聖徒を傷つけることではなく、支えること

 ❸イエスの場合

  ⑴ヤコブとヨハネの母に「高い地位を求める者は仕える者」(マタイ20章)

  ⑵調和のために、能力の高い者ではなく、仕える者を求めるのが教会

  ⑶イエスのように弟子の足をも洗うことのできるのがキリスト者

③与えられたものに感謝し、調和を求めよう

 ❶私たちはかけがえのない教会の体

  ⑴それぞれに与えられた賜物があり、それぞれがかけがえのない存在

  ⑵賜物は自慢し自己満足するためではなく、お互いを支え合うために神様が与えた

  ⑶能力の高い者によってではなく、調和することで教会は生きていける

 ❷そのためには、洗礼によって、自分中心から教会中心に生まれ変わる必要がある

  ⑴自分優先の考えを捨てよう。その瞬間は満足するかもしれない

  ⑵しかし、後になると、その悪影響を必ず自分が受けることになる

  ⑶自分を無にして仕えることは、教会全体を生かし、自分を生かすことになる

 ❸イエスの場合

  ⑴罪を犯した兄弟のために、一対一で、次に仲間で、そして教会に(マタイ18章)

  ⑵善悪で裁くのではなく、愛をもって調和を優先するのが教会

  ⑶自己正当化や裁くことをせず、調和を求めるのがキリスト者

4。まとめ

①全ての聖徒が必要不可欠な教会の一部である。

②優劣で比較すること自体が間違っており、教会全体を危険に陥れる。 

③それぞれが与えられたものに感謝し、能力の高さではなく調和を求めよう。 

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