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従順に愛し合う教会(ヨハネ13:34−35)
고요한 2025-10-06 추천 0 댓글 0 조회 30

20251005日本語礼拝

聖書:ヨハネ13:34−35

題目:従順に愛し合う教会

賛美:412、419

 

“わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭13‬:‭34‬-‭35‬ 口語訳‬

1。裸の王様

①英語ではThe Emperor‘s New Clothes(皇帝の新衣装: 황제의 새 의상)

 ❶1837年にデンマークの作家アンデルセンが発表

 ❷スペインの作家ドン・フアン・マヌエル『ルカノール伯爵』(1335年)が原作

 ❸「見せびらかし」や「自慢」が人間関係に与える影響を教えている

②物語の問題点

 ❶王様は自分をよく見せたいために、裸で歩いた。

 ❷王様だけでなく大臣、家来、国民たちも自分のプライドを優先し見えるふりをした。

 ❸人々は優しかったが、事実よりも、バカだと思われないことが重要だった。

③この物語の教訓

 ❶人に認められたいための自慢は、自分をさらに辱める。

 ❷実際、人に認められるために自慢話をするが、逆に人々は離れていく。

 ❸しかし、自分が『裸の王様』になっていることに気づきにくい。

→私たちには自慢ではなく、他にすべきことがある。

2。イエスの教え

①背景

 ❶最後の晩餐の席。

 ❷イエスが弟子たちの足を洗い、お互いそうしなさいと命令した。

 ❸そして、ユダが裏切って出て行った後の発言である。

ユダには与えられなかった新しい戒めとは

 ❶戒め=従順に従うべきこと=互いに愛し合うこと。

 ❷愛とは?=寛容で情け深い(1コリント13:4)

 ❸全てを信じ、全てを望み、全てを耐える(1コリント13:7)

③私が愛したようにとは?

 ❶犠牲になること(ローマ5:8)

 ❷実際イエスは弟子たちの汚れた足を自ら洗った

 ❸そして、自ら十字架の道を進み、自ら死を受け入れた。 

④私の弟子であることを、全てのものが認める?

 ❶愛する姿を見せることで、人々がイエスの弟子だと認めるということ。

 ❷伝道は、愛する姿を見せることである。

 ❸教会がすべきことは、人々に愛する姿を見せることである。

⑤ペテロ「あなたのためには命も捨てます」

 ❶マタイ、マルコ、ルカは、最後の晩餐で記載。

 ❷ヨハネだけが足洗いの記述をし、その後にこのやりとりを記載。

 ❸イエスの教えてペテロの発言を対比させるため。

⑥「鶏が泣く前に3度知らないと言うだろう」

 ❶ 人は、ペテロの愛情の強さが現れていると言うかもしれない。

 ❷しかし、ペテロの自分ならできるという自慢する心をイエスが叱責している

 ❸愛は、妬まず、 自慢せず、高慢にならない(1コリント13:4)

3。従順に愛し合う教会になろう

自慢は教会を破壊する。

“高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。 へりくだって貧しい人々と共におるのは、高ぶる者と共にいて、獲物を分けるにまさる。”

‭‭箴言‬ ‭16‬:‭18‬-‭19‬ 口語訳‬

 ❶どんなに優れていても自慢する者と一緒にいると、滅びる。

  ⑴何も持たない者と一緒にいる方がマシである。

  ⑵自慢する人は、人だけでなく神様からも嫌われる。

  ⑶神様が求めているのは、結果を出す優れた人物ではない。

   例)アガグ王を生け取りにしたサウル

 ❷イエスは、自分の能力の高さ、成果の素晴らしさを見せなさい、とは言わなかった。

  ⑴愛し合う姿を見せなさい、そうすれば人々がイエスの弟子と認める、と言った。

  ⑵イエスが求めているのは御言葉に従順になって、愛することである。

  ⑶認められる宣教に必要なのは、高い能力ではなく、愛のある行いである。

   例)自分を憎むサウルを愛するダビデ

愛し合うことが宣教になる。

“そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭5‬:‭16‬ 口語訳‬

 ❶私たちが良い行いをすることで、人々が神様を知るようになる。

  ⑴私たちの優れた能力による結果を見て、ではない。

  ⑵私たちは光であり、光になりなさいとは言わなかった。

  ⑶私たちがすることは、光として存在することである。

 ❷私たちの愛する姿を通して、人々が神様を見ることができる。

  ⑴自慢して自分が人に認められて満足するなら、それは宣教ではなく、異端である。

  ⑵私たちを通して、神様の栄光を表すことが私たちの役割である。

  ⑶自慢することは、神様の栄光を奪うことであることを忘れてはいけない。

自慢せず、かわいそうに思いましょう。

“また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。”

‭‭マタイによる福音書‬ ‭9‬:‭36‬ 口語訳‬

 ❶イエスの本質は、奇跡の力ではなく、かわいそうに思う心。

  ⑴多くの人がイエスの力を見てついていったが、イエスの言葉で離れた。

  ⑵奇跡の力はあくまでも、神の子であることの証明に過ぎない。

  ⑶イエスに最後までついていった人々は、イエスを通して神の愛を知った人々。

   例)傷つく韓国教会の青年たち

 ❷知らない間に自分が自慢していないか注意しよう。

  ⑴自慢は、自分を知らない間に「裸の王様」にしてしまう恐ろしい物。

  ⑵御言葉と祈りによって、自慢ではなく、謙遜になる習慣を手に入れましょう。

  ⑶人の評価基準は一瞬で変わるが、神様の評価基準は変わらない。

   例)母によって気付いた自分の過ち

4。まとめ

 自慢せず、かわいそうに思いましょう。自慢は人々の心を傷つけ、神様の栄光を奪う罪です。いつも謙遜に、従順な心で愛し合いましょう。能力や結果を見せびらかす教会ではなく、愛し合うことで神様の愛を見せる教会にしていきましょう。そうなった時、私たちの教会を通して多くの宣教の実を結ぶことができます。

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