主日説教(日本語)

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全てを益にする神(ローマ8:28−29)
고요한 2025-11-08 추천 0 댓글 0 조회 43

20251109日曜日本語礼拝

聖書:ローマ8:28−29

題目:全てを益にする神

賛美:14、370、620

“神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。”

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭8‬:‭28‬-‭29‬ 口語訳‬

1。苦しい経験も益となる

 第二次世界大戦中、ユダヤ人を匿った罪で、当時53歳のコリィ・テン・ブーム(1892-1983)は6歳上の姉のベッツィーと共に強制労働収容所に送られました。そこは毎日700人もの女性が亡くなる恐ろしい場所でした。しかし、ベッツィーは「感謝することを探そう」と言ってコリィを励ましました。ベッツィーは「姉妹が一緒になれたこと、検閲がなくて聖書を持てたこと、ノミのために感謝します」と言いました。裸にさせられた時も、イエスの苦しみを理解できて感謝したコリィですが、ノミに感謝することだけは間違っていると感じました。

 2人は聖書の朗読会を1日に2回開きました。こんなことをすれば、看守に見つかれば殺されます。最初は怯えながら朗読会を開いていたのですが、彼女たちの建物に看守たちが来ないことがわかると、多くの囚人たちが集まるようになり、讃美歌まで歌うようになりました。死を待つ場所が天国への門に生まれ変わったのです。そんなある日、ベッツィーは作業監督の言葉を聞いて、看守が来ない理由を知りました。それはノミのせいでした。ベッツィーのノミに感謝する祈りは間違っていなかったのです。

 ベッツィーは自分たちを苦しめる看守のためにも祈るような人でした。コリィに「私たちはこの人たちを赦さなければならない。彼らもまた神の愛を知らないからこんなことをしているのよ」と。ベッツィーはナチスが降伏する5ヶ月前に収容所で亡くなりましたが、亡くなる前に、コリィに言いました。「神の愛は、どんな闇よりも深い。私たちは人々の苦しみを見て来たのだから、これからは彼らを癒す家を建てましょう」と。

 ベッツィーが亡くなってまもなく、コリィはナチスの事務的な手違いで釈放されました。釈放が1週間遅ければ、コリィは同じ年代の女性たちと一緒にガス室で殺害されてい増田。生き残ったコリィは終戦後、祖国オランダで人々の心の傷を癒す仕事を始めました。そしてかつて自分たちが過ごしたドイツの強制収容所に戻って来て、その場所を人を助けるための施設に生まれ変わらせたのです。そして自分たちを苦しめた憎きドイツ人をも癒す仕事をするようになったのです。

 2人はとても苦くて辛い、忘れてしまいたい経験をしました。しかし、それらが神様によって彼女たちの益になりました。2人は良いことをしたのに強制収容所に入れられ、ベッツィーは外に出ることなく亡くなり、コリィももう少しで死ぬところだったのに、何が益だと言うのでしょうか?聖書の教える益とは、自分の思い通りになることや、この世の人々が羨むような環境を手に入れることではありません。どんな悪い環境でも感謝が口から溢れてしまうような、イエスに似た人格を手に入れることなのです。

2。聖書の教える益

 神は神を愛する者と共に働き、全ての事を益にします。全ての事というのは、良いことばかりではなく、苦しみや試練、誘惑、失敗、罪さえも含まれます。人間の視点では、失敗で、災難で、予想外だとしても、神の視点では、その出来事を通してある目的が達成されるのです。神に失敗はありません。それを私達が知るためには、神を愛する者になる必要があるのです。私達が「これは成功だ、あれは失敗だ」と騒ぎ立てるとするなら、それは私たちが神を愛する者になれていないからなのかも知れません。しかし心配は要りません。キリストを受け入れているのなら、私たちは既に神の子として神を愛する者です。まだ父なる神の愛に気づいていないだけです。父の愛を知り、神を愛する者として自覚できるようになった時、全ての事が益であることを悟ことができるようになります。

 では、何をもって益ということができるのでしょうか?自分の思い通りになったり、人々が羨むような環境を手に入れることではありません。御子のかたちに似ていく事です。神の子としての人生が始まる時、私たちの人生に起こる全ての出来事の目的が、イエスに似ることになります。私たちの人生のプランは神によって予め定められていますが、その最終ゴールはイエスキリストに似ることなのです。現在の私たちは日々、長子であるイエスに似るために変化しています。長子とは、一番偉いという意味ではなく、私たちが見習うべき模範であることを教えています。そして、最終的には私たちはイエスと同じかたちになって神の国に迎え入れられるのです。

 成功と失敗を、人間の視点で決めつけるのは非常に危険です。なぜなら神の計画を否定することになる場合があるからです。神の計画の否定は神の子、イエスに似る者としては相応しくありません。イエスは十字架の死に至るまで、御言葉に従順でした。人間の視点では、惨めに苦しみながら死ぬ恐ろしい失敗の十字架ですが、神の視点では、復活の栄光を表す成功の十字架なのです。人の視点で終わるのではなく、神の視点を考えてください。そして、全てが益になることを信じてください。死を待つだけの牢獄が神を賛美する天国に変わったように、失敗だらけの人生も成功に変わります。

3。成功したクリスチャン

 本当に成功したクリスチャンとはどんな人かもうお分かりですね。どんな結果でも、どんな経験からでも神様を感じることのできる人です。最高級の食材を使わないと料理出来ない人ではなく、どんな食材からでも美味しい料理を作ることのできる人が一流の料理人ではないでしょうか。最高級のベッドでしかぐっすり眠ることができない人ではなく、硬い床の上でもぐっすり眠ることができる人が本当の幸せの人ではないでしょうか。イエスはガリラヤ湖の嵐の中でも、船の上でぐっすり眠っていました。成功したクリスチャンとは、自分の思い通りにできる人や、富や地位や名声を手に入れた人ではなく、嵐の中でも眠ってしまうほどの平安を手に入れた人です。

 大阪中央教会では、この3ヶ月の間でも様々な行事がありました。清州平和教会の短期宣教、アメリカ・韓国・日本の牧師たちを招待しての引退式及び委任式、光星教会と共に祝う41位周年記念礼拝、中央聖書教会の宣教チームと力を合わせた秋のバザーなどです。準備不足や予想外の出来事などがありましたが、これらの行事は成功したのでしょうか、失敗したのでしょうか。人間的な視点で判断しないように気をつけましょう。私たちが神様の働きを感じ、キリストの愛を知ることができたのなら、それは成功です。一方で、いくら満足感を得たとしても、神様もキリストも感じなかったのであれば、それは失敗なのです。

 成功か失敗か、益かそうでないか、人間の視点で判断しないでください。私たちの人生の全ての出来事が、キリストの内で成功になることを信じてください。キリストを信じる私たちの人生は、もはや失敗ではありません。恥ずかしい、隠したい人生の一部も、私たちにとっても神様にとっても素晴らしい一部に生まれ変わります。神の視点では、失敗はありません。皆さんが、罪と死と悪魔が満ちるこの世で、神の国の平安を味わうことのできる人になることを心から願います。 

 

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