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霊的な実りを求めよう(ヨハネ6:26-27)
고요한 2025-11-15 추천 0 댓글 0 조회 23

20251116日曜日本語礼拝(秋収感謝礼拝)

聖書:ヨハネ6:26−27

題目:霊的な実りを求めよう

賛美:15、587、588

“イエスは答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたがわたしを尋ねてきているのは、しるしを見たためではなく、パンを食べて満腹したからである。 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭6‬:‭26‬-‭27‬ 口語訳‬

1。秋収感謝とスヌン

 韓国の教会では、毎年第3日曜日に秋収感謝節(収穫感謝節)が行われ、神様に一年の感謝を捧げます。一方で、毎年第2木曜日は「スヌン(大学修学能力試験)」が行われ、国全体が

この試験に集中します。この日、会社員は受験生のために出勤を遅らせ、警察は受験生が遅れないように全力でサポートします。リスニングの時間になると、全国の飛行機の離着陸が止まります。

 韓国では「スヌンの失敗=人生の失敗」とさえ言われるほど、この試験に人生がかかっています。幼稚園、小学校、中学校、高校、大学まで、子どもたちはずっと勉強漬けの日々を送ります。その中でも、ボランティアや留学などで“内申点”を積み重ねなければなりません。財閥系企業に就職するためです。そのため、教育費が家計を圧迫し、収入を上回る家庭も現れ始め、その家庭は「エデュプア(教育貧困)」と呼ばれています。多くの学生は、学校では眠り、塾で勉強する、そんな生活を続けています。「学校での思い出がない」という若者も多いのです。

 これほど努力しても、大卒の就職率は日本の約98%に対して、韓国では70%ほど。その厳しい現実の中で、「ヘル朝鮮」という言葉に9割の若者が共感しています。彼らは「自分の子どもにはこんな苦労をさせたくない」「韓国では子育てをしたくない」と言います。いま、韓国ではベビーカーよりもペットカーの売り上げが上回る時代になりました。人口減少が止まらず、「地球から最初に消える国」とまで言われています。

 しかし、思い出すべきことがあります。子どもを授かったこと自体が、すでに感謝すべき奇跡であるということです。子どもが今日も元気に生きているということ、それ自体が大きな恵みであり、大きな実りなのです。韓国のお話をしましたが、日本にいる私たちも、競争の中で忙しくて、その生きている恵みへの感謝を忘れてはいないでしょうか。競争に忙しくて感謝を失えば、真の平安は訪れません。今日の感謝節を通して、与えられた祝福に感謝しましょう。そして、私たちが求めるべきものが何なのかを見つめ直す機会になれば幸いです。

2。イエスの与えるものと人々の求めるもの

 イエスが五千人を食べさせる奇跡を起こした時、人々はその出来事を見て驚き、イエスを王として立てようとしました。そして印を求めました。彼らは、荒野でイスラエルの民にマナを与えたモーセを思い出したのです。「この方こそ、再び私たちにマナのようなパンを与えてくれる方だ」と。人々がイエスを求めた理由は、神の言葉を聞きたいからではなく、再びパンを食べて満たされたいという思いからでした。彼らの関心は「永遠」ではなく、「生きるための今日の食物」にあったのです。

 イエスは、人々が「印を見せてください」と求めてくる理由をすでに知っていました。確かにモーセは、イスラエルを40年間マナによって養いました。しかし、イエスが地上に来た目的は、人々を一時的に満腹させることではありません。いくらお腹が満たされても、やがて死んでしまっては意味がないからです。だからイエスは、「食べてもなお死んでしまうそのパンではなく、永遠の命に至るパンを求めなさい」と言いました。本当に大切なのは「生きるためのパン」ではなく、「命のパン」であるイエスキリストを求めることなのです。イエスキリストを信じることで、私たちは死んでもなお神の国に入る事ができるのです。

 そして、イエスキリストを信じることで、私たちは「イエスに似る」という「霊的な実り」を得る事ができます。私たちは、この世での成功や豊かさを「実り」だと錯覚します。しかしそれは、やがて朽ちてしまう一時的な実りに過ぎません。イエスが示した朽ちない実りとは、キリストに似た「神の国にふさわしい人格」を得ることです。このイエスに似た人格は救いの条件ではありませんが、私たちは救われたことで、イエスに似る事ができるのです。

 残念ながら、当時の人々はイエスの言葉を理解できず、「永遠の命」ではなく「今の満足」を求めてイエスのもとを去っていきました。「命のパン」ではなく「生きるためのパン」を、「霊的な実り」ではなく「物質的な実り」を選んだのです。私達はどうでしょうか?私たちの人生の目的も、「今の満足」「生きるためのパン」「物質的な実り」になっていないでしょうか。私たちに必要なのは、「永遠の命」「命のパン」「霊的な実り」であるイエス・キリストです。実際、イエスの元に残った弟子たちは、永遠に生きる神の国の民となり、霊的な実りを手に入れました。その人格はイエスに似て、神様にも人にも愛される存在になりました。クリスチャンは日々の必要を超えて、「キリストに似る」というさらなる実りを得る事ができるのです。

3。欲望の人生から感謝の人生へ

 「何のために勉強するの?」多くの人はこう答えます。「いい大学に入って、大企業に就職して、豊かな暮らしをするため」と。けれど、それは「今の満足」と「生きるため」が最終目標になっている生き方です。聖書は、もっと高い目的を教えています。勉強は、神の言葉を深く知るためであり、神様が与えた可能性を広げるためであり、より多くの人に仕えるための準備です。それは自分が「永遠の命」を手に入れ「命のパン」を人々に与えることにつながります。そのために勉強するのです。

 「何のために働くの?」多くの人は言います。「生きていくため。食べていくため。仕方ないから」と。でも、神様の望まれる働き方は違います。働く目的は、神の栄光を現し、人々に仕え、神の愛を伝えることにあります。お金を得るためだけに働くのではなく、神の栄光を表すために働くのです。私たちが神様のために働く時、必要なものは添えて与えられます。

 たくさんのお金を稼ぐことではなく、キリストに似ることを目標にしましょう。お金のために生きる人生は、感謝よりも欲望が大きくなります。そして欲望の先には、罪があり、死があります。そして財産を失う恐れがついてきます。「物質的な実り」は私たちを恐怖から解放しません。しかし、「霊的な実り」を得た人には、感謝がついてきます。そして心の余裕と喜びが生まれます。なぜなら恐怖から解放してくれる「命のパン」イエスキリストがついているからです。物質的に豊かになっても、不安と孤独が残る人生ではなく、たとえこの世では貧しく見えても、最後には「永遠の命」を受け取る、霊的に豊かな人生を選ぶようにしてください。

 どれだけ勉強したかよりも、「なぜ勉強するのか」が大切です。どれだけ働いたかよりも、「何のために働くのか」が問われます。一流大学や大企業という「物質的な実り」に惑わされず、イエスに似るという「霊的な実り」に注目してください。「霊的な実り」は私たちを感謝に溢れる人生を与え、恐怖から解放してくれます。

4。天国に持っていけるもの

 この世のものはどんなに持っていても、死後の世界に持っていくことはできません。しかし、天国に持っていけるものがあります。それは人格です。イエスに似た人格は、永遠に残るものです。それが「聖霊の九つの実」と呼ばれるものです(ガラテヤ5:22−23)。

 1️⃣ ― イエスが十字架で示したように、敵も赦す事ができます。

 2️⃣ 喜び ― 主が共におられる確信から、状況に左右されず喜ぶ事ができます。

 3️⃣ 平安 ― キリストが与える平安により、嵐の中でも心を静める事ができます。

 4️⃣ 寛容 ― 人や状況に対して怒りを抑え、長く忍耐する事ができます。

 5️⃣ 親切 ― 相手の立場に立って思いやり、助ける事ができます。

 6️⃣ 善意 ― 人の目ではなく、神の御心にかなう正しさを行う事ができます。

 7️⃣ 誠実 ― どんな時も神に忠実で、真実を守り抜く事ができます。

 8️⃣ 柔和 ― 力の中に優しさを持ち、へりくだって人に接する事ができます。

 9️⃣ 自制 ― 欲望や感情に流されず、神の御霊によって自分を治める事ができます。

 これらの実は、お金のように盗まれることも、失われることもありません。死んでも、私たちはこの人格を持って神の国に入ることができます。天国に持っていけるのは、「物質的な実り」ではなく「霊的な実り」だけです。

“酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。 そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、”

‭‭エペソ人への手紙‬ ‭5‬:‭18‬-‭20‬ 口語訳‬

 聖書は聖霊に満たされるために、賛美し、感謝するように教えています。聖霊に満たされ、キリストに似た人格を持つために、私たちは感謝から始めようではありませんか。感謝は、神様が全てのことを益にしてくださるという信仰の表れです。日々の感謝によって私たちは聖霊に心を開き、聖霊の働きを受け入れる事ができるようになります。

 この世の価値観に惑わされ、やがて失う「生きるためのパン」のために争わないで下さい。今を感謝し、永遠に生きる「命のパン」を手にしてください。たとえ一流の大学や会社に入ったとしても「命のパン」は手に入りません。イエスキリストを受け入れ、「命のパン」を手に入れれば、「生きるためのパン」は神様が用意してくださいます。なぜなら、神様は私たちの必要を全て知っていて、求めなくても与えてくださる方からです。

5。まとめ 

  「生きるためのパン」ではなく「命のパン」であるイエスキリストを求めましょう。やがて失う「物質的な実り」ではなく、永遠に残る「霊的な実り」が与えられます。イエスキリストに似た人格を手に入れる時、私たちは恐怖ではなく平安を得ます。今日を機会に、欲望ではなく、感謝に溢れる人生の祝福が与えられますように。 

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