20260111日曜日本語礼拝
聖書:ヨハネ2:11
題目:カナの婚礼の目的
賛美:27、80、84
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
“イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。”
ヨハネによる福音書 2:11 口語訳
1。 禅とキリスト教の決定的な違い
①スティーブ・ジョブズ
❶13歳の時「神が全能ならなぜ子供達を救わないのか?」と疑問を抱く。
❷満足する答えが得られず、神が沈黙している世界にいると感じ、教会を離れた。
❸20歳の時、インド旅行の影響もあり禅堂に通うようになった。禅は裏切らない。
②禅宗
❶坐禅を組んで雑念を取り除き、自分の中の「仏」を見い出し、自ら到達する宗教。
⑴基督教は、雑念を取り除き「神様」を見つめ、関係性を通して恵みを受け取る。
❷信じなくて良い、理解しなくて良い、善悪を超えよ、答えを捨てよ。
⑴基督教は、理解しなさい、信じなさい、神は善である、答えがある。
❸苦しみの理由、神の存在、死後について、一切を問わない。今を生きる事が大事。
⑴基督教は、苦しみに意味があり、神は存在し、死後についても今と同様に大事。
③聖書の神様
❶この世の宗教は努力で神に到達し、答えを獲得する事が目的。個人の能力依存。
❷禅は外側に答えを求めず、内側に向かって進み、答えを獲得する目的。疲れる。
❸基督教は近づいて来る神様を知り受け入れる事が目的。安らぐ。
→問題解決ではなく、イエスを知り安らぐことが勝利。
2.本文解説
① カナの婚礼
❶イエスが弟子たちを伴ってから3日目の出来事。
❷ガリラヤのカナで結婚式があり、イエスと弟子達が招待された。
❸その結婚式にはイエスの母マリヤが手伝いに出ていた。
② 葡萄酒が尽きるという大問題
❶当時の結婚は個人ではなく、家族と共同体の出来事。1週間続く事もある大イベント。
❷葡萄酒はユダヤ人にとっての「喜び」の象徴で必要不可欠(アモス9:13)。
❸その葡萄酒が尽きた。これは共同体全体の恥辱と大惨事。後からも言われる。
③ 葡萄酒を求めるマリヤ
❶マリヤの視点とイエスの視点
⑴マリヤ:葡萄酒の枯渇=恥辱と罪悪感、葡萄酒の補給=大惨事の回避
⑵イエス:葡萄酒の枯渇=人の喜びの限界、補給=新しい救いと喜びの始まり
❷「葡萄酒がなくなってしまいました」
⑴マリヤはイエスに問題解決を求めている。
⑵イエスにとっては問題解決以上に重要な事がある。
❸「婦人よ、あなたは、私と、何の関わりがありますか。私の時は、まだ来ていません。」
⑴「婦人よ」は丁寧な呼びかけ。
⑵「何の関わりがあるか」=親子の関係ではなく、神様の使命で行動する事を示唆。
⑶ 「私の時」とは十字架の時を指している。
④水を用いたイエス
❶一度断っておきながら、行動するイエス
⑴メシアである事を示すために他のこともできた。
⑵しかし葡萄酒を用意することにしたのは、人々の痛みを理解しているため。
⑶葡萄酒の問題を解決する事を通して、メシアを表すことにした。
❷わざわざ水を使った
⑴イエスは無から葡萄酒を造ることもできたが、あえて失敗の象徴「水」を用いた。
⑵不可能を可能にする方であることを示すため。
⑶それだけでなく、失敗を喜びに変えられる事を示すため。
⑤ 静かに現された栄光
❶この奇跡を知っていたのは、召使いと弟子たちだけ。
⑴人々は奇跡そのものではなく、料理長の評価に注目した。
⑵イエスはこの時、自分が評価される事を望まなかった。それが目的ではないから。
⑶マリヤは問題解決して安心しただろうが、イエスの目的は違った。
❷「その栄光を現された。そして弟子たちはイエスを信じた。」
⑴この話の目的は水が葡萄酒に変わった奇跡によって問題が解決したことではない。
⑵奇跡を通して、弟子達がイエスを知り、メシアとして受け入れたことである。
⑶奇跡が目的でも勝利でもなく、イエスを信じたことが目的であり勝利である。
3。適用
① 信仰の目的は、奇跡を見ることではなく、イエスを知ること
❶ 私たちは、知らず知らずのうちに「結果」を求めてしまう
⑴ 問題が解決したかどうかで、信仰を測ってしまう。
⑵ 祈りが聞かれたかどうかで、神を評価してしまう。
⑶ 奇跡が起きないと、失望してしまう。
❷ しかし、カナの婚礼が教えていることは別のこと
⑴ 奇跡は中心ではなく、「しるし」にすぎない。
⑵ しるしの目的は、イエスが誰であるかを示すこと。
⑶ 奇跡の大小ではなく、イエスを知ったかどうかが重要。
❸ 本当の信仰とは、状況ではなく、主の人格を信頼すること
⑴ 状況が変わらなくても、主が共におられることを信じる。
⑵ 答えが見えなくても、主の善を信じ続ける。
⑶ 主を知ること自体が、信仰の完成である。
② イエスを知る信仰は、静かに深められていく
❶ カナの奇跡は、誰にでも見える形ではなかった
⑴ 召使いと弟子たちだけが、その意味を知った。
⑵ 群衆は「良い葡萄酒」に驚いただけだった。
⑶ イエスは注目や称賛を求めなかった。
❷ 神は、関係の中でご自身を現される
⑴ 従う者に、まずご自身を示される。
⑵ 見せ物ではなく、信頼関係を築くために働かれる。
⑶ 信仰は、派手さではなく、深さによって育つ。
❸ 私たちの信仰も、同じ道を通る
⑴ 目立たない場所で、主を知る体験が与えられる。
⑵ 小さな従順の中で、主の栄光が分かるようになる。
⑶ 静かな信仰こそ、揺るがない信仰となる。
③ 今日、私たちは何を求めて信じているのか
❶ 私たちは、主の「手」を求めているのか、「御顔」を求めているのか
⑴ 祝福だけを求める信仰になってないか?問題解決を神の目的だと誤解してないか?
⑵ジョブズは結果にこだわり、神を知ろうとしなかった。
⑶「手」を求める信仰は、奇跡が起こるかいつも不安。イエスの人格を知らないから。
例)一流大学に入る奇跡が起こる事でなく、奇跡を通してイエスを知ることが重要。
❷ 主は、今も静かに語っておられる
⑴ 「私を信じなさい」
⑵ 「私を知りなさい」
⑶ 「私と共に歩みなさい」
❸ イエスを知ることが、人生の最も確かな土台
⑴ 問題があっても、恐れに支配されない。
⑵ 状況が変わっても、信仰は揺るがない。
⑶ 主を知るほど、人生は本来の姿に回復される。
4.まとめ
① 信仰の目的は、奇跡を体験することではなく、イエス・キリストを知ることです。
② 奇跡は「解決」ではなく、「イエスが誰であるか」を示すしるしです。
③ 今日も静かに働かれる主を信頼し、結果よりも関係を大切にして歩んでいきましょう。


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