20260201日曜日本語礼拝
聖書:ヨハネ5:17-18
題目:ベテスダ池で見たもの
賛美:30、449、542
説教:高曜翰 牧師
場所:大阪中央教会
“そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。 このためにユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうと計るようになった。それは、イエスが安息日を破られたばかりではなく、神を自分の父と呼んで、自分を神と等しいものとされたからである。”
ヨハネによる福音書 5:17-18 口語訳
1。なぜ学ぶのか?
①旧ソ連の神経心理学者アレクサンドル・ルリヤ(1902-1977)
❶「北極には白い熊がいる。この村は北極にある。この村の熊は何色か?」
⑴学んだ人「白色」
⑵学んでない人「分からない。私はこの村で熊を見たことがない。」
❷「軍服を着て周りの兵士に指示を出している男性」の写真を見せる
⑴学んだ人「訓練を指導している」
⑵学んでない人「軍服を来た男性」「男性が帽子をかぶっている」
❸「学ぶことで、世界の見え方(考え方)が変わること」を証明した。
⑴学ばなかった人は頭が悪くて共感力がない、ということではない。
⑵学ぶとは知識を増やすことではなく、世界の見方を増やすこと。
②子供「なぜ勉強するの?」
❶勉強することで世界の見方が変わる。
⑴学ばなければ、水はただの水。
⑵国語を学べば、その水を言葉で表現し、人に伝えることができる。
⑶算数を学べば、どれほどの水があるのか、どれほど足りないのかを示せる。
⑷社会を学べば、この水が世界でどれほど貴重なものなのかを知る事ができる。
⑸理科を学べば、水が何からでき、どのように命を支えているかを知る。
⑹英語を学べば、その水の大切さを、世界中の人々と分かち合うことができる。
❷なぜ神様は学べる環境に私たちを導いたのか?
⑴学ぶことで、私たちは自分を守れるようになるだけではない。
⑵人に共感し、助けることができるようになる。
⑶そして神の言葉を正しく理解し、神様を知ることができる。
❸学ぶ理由を聞かれたら?
⑴「将来困らないため」「常識だから」「試験のため」「言うことを聞きなさい」ではない。
⑵人はその知識で、自分を誇り、人を裁き、人を傷つけ、神様から遠ざかる。
⑶ユダヤ人の宗教指導者たちのようになってしまう。
③ベテスダ池の癒しの目的
❶38年間歩けない人に向けた神の憐れみで終わる話ではない。
❷これは学ぶ理由を正しく知らずに学んだ宗教指導者たちへの挑戦である。
❸メシアとして正体を明かしたイエスに対する宗教指導者たちの態度に注目。
2。本文解説
①ベテスダの池
❶本来は、生活用水のための貯水池、または清めのための施設の可能性。
❷水が動く時に入ると病気が治るという迷信が広まり、病人たちが集まっていた。
❸後から付け加えられた希望には、努力と競争が求められた。
❹癒しを待つ場所なのに弱い人ほど癒されない皮肉な場所。
❺弱い者を救うと言いつつ、実際には弱い者を置き去りにする人間の宗教を表す。
②38年間病気の人の癒し
❶イエス「治りたいのか」=信仰の確認ではなく、人生を変える覚悟を聞いている。
❷この人は迷信を信じていて信仰が弱い。癒したイエスを売り渡すような人間。
❸しかし、イエスの言葉に忠実に動いたところ、病気が治った。
❹癒しは人の信仰ではなく、イエスの主権による事がわかる。
※信仰がいらないというわけではない。
③癒しに対する宗教指導者(ユダヤ人)たちの反応
❶驚いたり喜んだりしなかった。むしろ「規則違反」として怒った。
❷安息日に人癒した人物を探し出し、捕まえようとした。
❸隣人の癒しより、自分たちの立場の方が大事。
④イエスの真の目的
❶わざわざ安息日を選んで癒したのは、宗教指導者たちへの挑発。
❷人間の知恵で神様とメシアを小さくしているから。
❸ 「父は今も働いている。だから私も働く」=メシア宣言=神と等しい
❹安息日も癒しも神の主権によることを宗教指導者達に教えている。
⑤メシア宣言に対する宗教指導者たちの反応
❶「ますますイエスを殺そうと計るようになった」
❷イエスが安息日を破り、神の子であるメシアだと宣言したから。
❸自分たちの理想像のメシアとかけ離れていたので受け入れられなかった。
3。適用
①なぜ学ぶのかをはっきりさせよう
❶学びは人を裁く道具ではなく、人を理解し助けるためのもの。
⑴ 相手の立場や背景を想像できるようになる
⑵ 苦しみの理由を知り、寄り添う言葉を選べるようになる
⑶ 正しさではなく、愛をもって関わる力が与えられる
❷知識は高ぶって神様から離れるためではなく、謙虚に神様に近づくための道具。
⑴ 宗教指導者たちはたくさん学んで規則は守ったが、神様を誤解していた。
⑵ 安息日は守ったが、安息日の主人を拒んだ。自分が王様のように考えた。
⑶ 学びによって得た知識が、神を見る目ではなく人を裁く目になった。
❸自分が正しいと誇るのなら、その学びも知識も薬ではなく毒である。
⑴ 2章:学のない弟子たちはイエスをメシアとして受け入れた
⑵ 3章:学のあるニコデモは理解に苦しんだ
⑶ 4章:学のないサマリヤ人女性は信仰に導かれた
⑷ 5章:学のある宗教指導者たちはイエスを拒絶した
② 神の恵みに預かるために必要なのは「従順」である
❶ 宗教指導者たちは学びによって知識を持っていたが、メシアを殺そうとした。
⑴ 知識によって自分たちが神のようになり、本当の神を拒絶した
⑵ 悪魔も神についての十分な知識を持っていたが救われなかった
⑶ 従順のない知識は、人を神から遠ざける
❷ 病気の人は学ぶことができず、知識もなかったが、メシアに従って立ち上がった。
⑴ 信仰の十分な理解があったわけではないが、主の言葉に応答した
⑵ 知識はなくても、従順な行動によって神の恵みに触れた
⑶ 癒しは人の理解や信仰の強さではなく、主の主権によって与えられた
❸ 従順のない学びは、神の恵みを実感することができない。
⑴ 神を「知っているつもり」でも、神と出会っているとは限らない
⑵ 正しさは持っていても、命を生かす力にはならない
⑶ 学びが信仰を支えるのではなく、かえって信仰を妨げてしまうこともある
③ 従順のある学びが、私たちを救いに導く
❶ 学ぶことの大切さ
⑴ 神様の御心を人間の思い込みで誤解しないため
⑵ 自分の知識で神様を小さくしてしまわないため
⑶ 神の言葉を正しく理解し、正しく伝えるため
❷ 病気の人は恵みを受けたが、その恵みが信仰の成熟に結びついたかは不明。
⑴ イエスを証しする代わりに、告げ口をして自分を守った
⑵ 癒しには関心があったが、救い主そのものに目を向けなかった
⑶ 恵みを「人生を変える招き」として受け取らなかった可能性がある
❸ 神の恵みを理解し、救いに至る歩みには、従順と学びの両方が必要である。
⑴ 従順は、神の恵みに踏み出す入口
⑵ 学びは、その恵みを深く理解するための道
⑶ 両方がそろって、私たちは本当の意味で正しく成長できる。
4。まとめ
①問題は「学ぶか学ばないか」ではなく、「どのように学び、誰に従うか」。
② あなたは誰のように生きますか?
❶ 池を信じ続ける病気の人のように?
❷ 自分の知恵と正しさに頼り、神様を見失った宗教指導者たちのように?
❸ それとも、主に従い、主を知ろうと学び続ける弟子たちのように?
③ 主に従い、主を知る者へと造り変えられるために学びましょう。
❶ 学びとは、自分を正しい者や力ある者にするためのものではない。
❷ 学びとは、神の御心に気づき、隣人の痛みに目を向けるために与えられた恵み。
❸ 自分を低くし、主に従うために日々学び続ける聖徒として生きることを期待します。


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