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投げる石を置く恵み(ヨハネ8:7-11)
고요한 2026-02-21 추천 0 댓글 0 조회 26

20260222日曜日本語礼拝

聖書:ヨハネ8:7-11

題目:投げる石を置く恵み

賛美:33、250、251

説教:高曜翰 牧師

場所:大阪中央教会

“彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。 そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕”

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭8‬:‭7‬-‭11‬ 口語訳‬

1.イントロ ― 倒れた敵の前で

① 残酷な動物と人間

 狼は激しく争う動物だと言われます。しかし、多くの場合は脅し合いで決着をつけます。それでも決まらない場合は相手の歯を狙って攻撃しますが、相手が首筋を差し出す「降伏の姿勢」を見せると、虚空を噛んで終わります。敵であっても、必要以上に血を流すことを本能が止めるのです。

 それでは人間はどうでしょうか。私たちは多くの場合、まず言葉で相手を追い詰めます。それでも決着しないときは、「正しさ」という武器を使います。理論や権力、時には暴力さえも用います。そして恐ろしいことに、相手が弱り、うつむいても、なお攻撃を続けることがあります。人間は本能では止まりません。良心と、神の前に立つ自覚がなければ止まれない存在です。

 皆さんは、倒れた敵を前にしたとき、どうしますか。ここぞと石を投げますか。それとも石を置いて、手を差し伸べますか。今日は、石を投げる資格のあったたった一人の方が、石を投げなかった物語です。

② この物語について

 この箇所は初期の写本には含まれていないと言われます。しかし初代教会から伝えられてきた物語であり、多くの学者が歴史的事実として認めています。そして何よりも、イエスの特性を色濃く表している物語です。

2.本文解説

① 仮庵の祭りの後 ― 静かな対比

 仮庵の祭りが終わり、人々はそれぞれ家に帰りました。しかしイエスはオリーブ山へ行かれました。人々が日常へ戻るとき、イエスは祈りの場へ向かわれたのです。

② 朝早い神殿 ― 緊張の始まり

 朝早く、イエスは神殿で教えておられました。そこへ律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえられた女を連れてきます。そして彼女を真ん中に立たせました。それは裁判の構図でした。「モーセは石打ちにせよと命じています。あなたはどう思いますか。」これはレビ20:10、申命記22:22に基づく問いです。

③ 完全な罠

 彼らは教えを求めていたのではありません。イエスを訴える口実を探していたのです。本来なら男も裁かれるべきなのに、女だけが連れて来られました。「石を投げよ」と言えばローマ法違反の可能性があり、「恵み深いメシア」のイメージも壊れます。「石を投げるな」と言えばモーセの律法違反であり、「偽メシア」として非難を受ける可能性があります。どちらに答えても負ける、完全な罠でした。

④ イエスの応答 ― 沈黙と一言

 イエスはすぐに答えられませんでした。しゃがんで地面に何かを書き始められました。そして人々が問い続けたとき、立ち上がりこう言われました。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げなさい。」そして再びしゃがまれました。この沈黙は、彼らの良心を照らす時間となりました。

 イエスは律法を否定していません。申命記17章には、証人が最初に石を投げるとあります。イエスは律法を正しく適用されたのです。「罪のない者」とは完全無罪という意味ではなく、同じ罪に生き続けていない者という意味です。イエスは女ではなく、裁こうとする者の心を照らされたのです。

⑤ 静かな逆転

 すると、年長者から石を置いて去っていきました。長く生きた者ほど、自分の罪を知っていたのかもしれません。残ったのは、罪ある女と、罪なきキリストだけでした。

⑥ 赦しの宣言 ― 物語のクライマックス

 イエスは罪がありません。だから裁く資格があります。しかし言われました。「わたしもあなたを罰しない。」イエスは罪を自覚している者を攻撃しません。彼女がどれほど悔い改めたかは書いてありません。しかし逃げず、弁明せず、「主よ」と言いました。

 イエスは罪を隠す者を退け、罪を認める者を立たせる方です。なぜ赦せるのでしょうか。それは、十字架でその石をご自分が受けるからです。だから言われました。「行きなさい。今後はもう罪を犯さないように。」これは罪の許可ではありません。新しい人生への招待です。

3.適用

① 他人を裁く前に

 私たちは石を持っていないでしょうか。家庭で、教会で、職場で、「あの人は間違っている」と。SNSでの批判も同様です。正しいことを言っているつもりでも、心は怒りで満ちていないでしょうか。主は問いかけます。「あなたはどうなのか。」

 赦されない罪はありません。この女は重い罪を犯しました。しかし赦されました。赦しの根拠は十字架です。赦しは立ち直りへの招待です。「行きなさい」と主は送り出されます。恵みに触れた人は変えられます。

② 私たちは赦された者

 私たちも、あの女と同じ立場でした。神の前に立たされれば、誰も石を持てません。私たちも裁かれるべき者でした。しかしイエスが間に立ってくださいました。イエスは砕かれた心を踏みにじりません。悔いる者を追い詰めません。立ち上がらせます。

 それなら、私たちはどうしますか。赦された者として赦しましょう。石を握る手を開きましょう。倒れている人に、もう一度チャンスを与えましょう。

③ 石を置きましょう

 石を置くとは、心の怒りを神に委ねることです。自分が裁き主にならないことです。もちろん真理のために戦う時もあります。裁かなければいけない時もあります。しかし、倒れた相手に石を投げ続けることとは違います。

 石を投げるのは簡単です。赦すのは勇気がいります。しかしそれがキリストの道です。今日、具体的な誰かを思い浮かべてください。その人に対して握っている石は何ですか。仕返しの石を、主の前に置きましょう。

4.まとめ

この物語には三種類の人がいます。

• 石を持つ人

• 石を落とす人

• 石を受ける人(イエス)

あなたはどこに立っていますか。

主は言われます。

「石を置きなさい。」

「そして恵みに立ちなさい。」

「代わりにわたしが石を受けたのだから。」

律法と恵みは対立しません。律法が罪を示し、恵みが救います。そしてその両方を成就されたのがイエス・キリストです。

 

赦された者として、石を握る手ではなく、赦す手を持つ人となるよう、主が私たちを祝福してくださいますように。 

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