20190706 土曜祈祷会 in 大阪中央教会
聖書:創世記 4:1-12
題目:どうやって怒りを鎮める?
創世記4章1〜12節
カインは怒りを抑えられず、弟アベルを殺しました。怒りはさらなる事件を引き起こします。
ヘブル人への手紙11章4節には、「信仰によってアベルはカインよりもまさったささげものを神にささげた」とあります。また、第一ヨハネ3章12節では「カインの行いは悪く、弟の行いは正しかった」と記されています。
なぜカインのささげものが悪かったのか、私たちには詳しくは分かりません。しかし、神の目には良くなかったため、神はそれを受け入れられませんでした。
それに対してカインは、自分のプライドを傷つけられたことを許せず、怒りに支配されました。
箴言29章11節には「怒りを表す者は愚か者。怒りを抑える者は知恵ある者」とあります。
ローマ12章19節では「復讐は神の仕事」と教えられ、箴言25章28節は「自分の心を制しない人は、城壁のない破れた城のようだ」と語ります。
また、エペソ4章26節では「日が暮れるまで怒っていてはいけない」と警告しています。
さらにマタイ5章23〜24節では、「礼拝よりもまず和解することが大切」と教えています。
怒りを抑えられない人は、カインと同じような状態にあります。
しかし、聖書は具体的な「怒りの沈め方」を詳細に教えてはいません。
では、私たちはどうすれば怒りを鎮めることができるのでしょうか。
解決策1:時間をあける
ヤコブ1章19節には、「怒るに遅くあるべきだ」とあります。
アメリカの政治家トーマス・ジェファーソンはこう言いました。
「怒りを覚えたら十数えよ。それでも怒りがおさまらなかったら百まで数えよ。それでもだめなら千まで数えよ。」
時間をおくことで、感情の嵐が静まり、冷静に物事を見る力が戻ります。
解決策2:自分を考える
第一テモテ2章8節には、「怒らずに祈りなさい」とあります。
怒りを鎮めるためには、まず「なぜ自分が怒っているのか」を考えることが大切です。
多くの場合、「こうあるべきだ」という自分の価値観が裏切られたとき、怒りが生まれます。
怒りを10段階で評価してみるのも、自分を客観的に見る助けになります。
実際の経験から
ある日、姉に対して怒りを覚えたことがありました。
私がスマホゲームをしながら歯を磨いていると、姉は軽蔑するような口調で「歯磨きしながらゲームなんかしてんの?忙しいな」と言いました。
私は「歯磨きしながらゲームをしてはいけないのか?」と思いました。実際には歯磨きが問題なのではなく、姉は「ゲームをする人間」を見下していたのです。
しかし、姉自身も子どもを親に預けて一人で買い物に出かけたり、ファッション雑誌を買ったり、遅く起きて母親を手伝わなかったりと、完璧ではありません。
それでも彼女は自分の価値観を絶対とし、他人を軽蔑してしまうのです。
私は反論すれば勝てたかもしれません。しかし、反論しませんでした。
なぜなら、
子どもの前での口論は教育によくない。
復讐することは神の権限を侵すこと。
怒りを抑えられなければ、罪となる言葉で相手を傷つけてしまう。
それは愛のあるクリスチャンのとる行動ではない。
だから私は黙って家を出ました。
けれども、一時間歩いても心は落ち着きませんでした。
なぜ怒りはおさまらなかったのか
それは、まだ自分の中にプライドがあったからです。
プライドを傷つけられたことへの不満が、心に残っていたのです。
ではどうすればよいか
姉に認められても意味はない。人の評価を気にしない。
神に従うゆえに苦しむなら、神が必ず報いてくださる。
怒りを抑えることは容易ではありません。しかし、それは神に委ねる信仰の訓練です。
復讐ではなく、赦しを選ぶ者を神は必ず顧みてくださいます。
怒りを沈める道とは、最終的に神を信頼し、自分を手放す道なのです。


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