20200207早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:マタイ26:31–35
題目:自信ではなく確信を
賛美:183番
説教:高曜翰 伝道師
イエス様は、弟子たちに対して厳しい言葉を語られました。しかしそれは弟子たちを責めるためではなく、神様がすべての状況を支配しておられることを知らせるためでした(31節)。
■ ペテロの思い込みとイエスの理解(33–35節)
ペテロは、「自分はつまずかない」と強く主張し、自分の“肉的な強さ”を見せようとしました(33節)。
しかしイエス様は、その強さを否定し、むしろペテロの弱さをはっきり示されます(34節)。
イエス様は、ペテロ本人よりもペテロをよく知っておられました。
それでもペテロは、なお自分の強さを主張します。さらに他の弟子たちも、彼にならって同じように「自分は強い」と自信を持って語りました(35節)。
ペテロは決して不誠実な弟子ではありません。むしろ、彼はいつもイエス様に真剣で、愛情の深い弟子でした。それでもイエス様は、ペテロに対して厳しく語る場面がしばしばあります。
■ マタイ16章に見るペテロの姿
ペテロは「あなたこそ、生ける神の御子キリストです」と信仰を告白しました。
するとイエス様は、「このことをあなたに知らせたのは天の父です」と言われました。
つまり、「その答えはあなたの知恵から出たものではなく、神が教えたのだ」と示されたのです。
一方でペテロが「そんなことがあなたに起こるはずがありません」と、十字架を否定する言葉を口にしたとき、イエス様は「下がれ、サタン」と非常に厳しく叱られました。
この二つの場面から、ペテロの“強さ”と“弱さ”が見えてきます。
■ ペテロの失敗とは何か?
1. 肉的な強さの自慢 ― 他人との比較
ペテロは
「他の人がつまずいても、私はつまずきません」
「私はあなたのためなら死にます」
と強く語りました。
ペテロは愚かだったのではありません。誠実でした。しかし、自分の力に頼り、自分の強さを過信していたのです。
2. 肉の能力を土台にした誓い
ペテロの言葉は、肉の強さに基づいた誓いでした。
イエス様は、その誓いの危うさを示されたのです。
私たちが神様に約束するとき、
自分の力に頼って約束していないか
注意する必要があります。
「毎週日曜日に礼拝出席するので、祝福してください」
といった約束は、自分の努力を取引材料にしてしまう危険があります。
■ なぜ人は、自分の力を過大評価してしまうのか?
それは、
自分の能力に対する感情的な自信に頼ってしまうからです。
「自分ならできる」
「一人で大丈夫」
そのような思い込みが、弱さを見えなくします。
しかし聖書は、
自分の力の限界を知り、神に頼る人こそ強い
と教えています。
自分で自分を支える人の強さは限定的です。
しかし、自分の弱さを認め、主に依り頼む人は、神の無限の力に触れることができます。
神様は、私たちが「結果までも神に委ねよう」とする信仰を喜ばれます。
■ 神は“信じやすい環境”を用意しない
神様は、必ずしも「信じやすい状況」を先に整えてくださるとは限りません。
むしろ、信じる理由が見えない中で信頼することこそ、信仰の本質です。
だから私たちに必要なのは、
自分への自信ではなく、神様への確信です。
■ 結論
ペテロのように「自分の力」を頼りにするのではなく、
イエス様のように「神様の導き」にすべてを委ねて歩みましょう。
そのとき、私たちは自分の弱さを超えた、神の力の働きを経験することができます。


댓글0개