20201016早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:詩篇26:1–12
題目:自分の正義ではなく神の正義
賛美歌:425、262
説教:高曜翰 伝道師
はじめに
この詩篇は、ダビデがサウル王から命を狙われ、逃げ回っていた時期に書かれたと考えられます。
悪いことをしていないのに、彼は犯罪者のように扱われていました。
私たちも、正しい扱いを受けられず、誤解されて「悪者」扱いされることがあります。
(例)家族の中で、自分は悪くないのに、いつも兄弟の肩を持つ父親のせいで、自分だけが悪者にされるようなこと。
人は不当な扱いを受けると、つい悪い態度で応じたくなるものです。しかし、ダビデはその状況でどんな態度を取ったのでしょうか。
1. 人ではなく、神に訴えた(1節)
サウルはイスラエルで最高の裁判官でもありました。そのサウル自身が敵となったため、ダビデには訴える場所がありませんでした。
しかし彼は、自分の考える正義ではなく、「神の正義」に訴えました。
普通は、自分をよく理解し、都合よく証言してくれそうな友人に相談しがちです。
(例)兄弟げんかで父が兄の味方をするので、防犯カメラや録音で”証拠”を残したくなる、というような気持ち。
しかしダビデは、嘘を許さず、罪を見逃すことのない神の調査に身を委ね、完全に従う道を選びました。
2. 命の危険の中でも、悪に染まらず、悪を憎んだ(4–5節)
ダビデは、悪人たちと同じ場所にいることはあっても、「共に座る」ことを拒みました。
彼は決して悪に同調しませんでした。
普通、人は「正当防衛なら仕方ない」「割り込まれたら割り返してもいい」と考えるかもしれません。
しかし神は、どんなに苦しい状況でも、私たちが罪に手を染めることを望まれません。
ダビデはサウルを殺すチャンスが何度もありましたが、神の判断基準に従い、悪を拒みました。
神の善悪の基準に自分を合わせ、神と同じ考えを持つよう努めたのです。
3. 自分を清め、神に近づいた(6節)
不当な扱いを受けると、
「私は悪くないのに!」と自分の正当性を訴え、時には神を批判する人さえいます。
しかしダビデは、自分が罪人であることを認め、神の祭壇に来て、神を賛美しました。
そして9節では、悪人と共に滅びないよう、真剣に祈っています。
彼は豊かな暮らしではなく、「神の正義」が行われることを願いました。
10–11節では、「たとえ他の人がどうであっても、私は誠実に歩む」と決心しています。
(例)
「説教中に批判されたから教会をやめる」
「誰も挨拶してくれないから行かない」
ダビデはそうではありませんでした。
状況が良くなったら従うのではなく、自ら心を神に明け渡し、神の呼びかけに応答したのです。
悪いことをするのは簡単で、悪い心さえあれば事足ります。
しかし善を行うには、準備・調査・忍耐・犠牲が必要です。
それでもダビデは誠実さにこだわり続けました。
それは彼が神との信頼関係を持っていたからです。
神の恵みによって、みことばに反応し、清い生活を送っていたからです。
その結果、12節にあるように、周囲の状況に揺さぶられず、確かな場所に立つことができました。
結論
1. 公平な神に頼りましょう
教会の中で問題が起こったとき、まず神に訴えましょう。
社会の中で必要なら警察や裁判に訴えることもありますが、それでも一番に神に頼りましょう。
2. 悪から遠ざかりましょう
命や生活の危機があっても、悪を憎み、近づかないようにしましょう。
神は正しい者が苦しむのを喜ばれる方ではありません。
問題は「お金」ではなく「信仰」です。
3. 神に近づきましょう
汚れたままでは近づけません。
自分を清め、相対的な正義ではなく、絶対的な神の正義に従って生きましょう。
簡単ではありませんが、あなたを最も愛しておられる方は、あなたが神のそばにいることを喜ばれます。


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