20201018日曜学生部礼拝 in Jesus Love Church
聖書:詩篇27:1–6
題目:ダビデの望み
説教:高曜翰 伝道師
この詩篇が書かれたのは、ダビデがサウル王から逃れていた時期、または息子アブサロムの反逆から逃れていた時期と考えられています。
彼は命の危険の中にありながら、なお「主は私の光、私の救い。私は誰を恐れよう」と告白しました。
私たちは、聖書の神様がどんな方かを知ることは大切ですが、
「他人にとっての神様」ではなく、
「私にとって神様がどんな方か」
これが信仰生活の核心です。
1. 神様は私と契約を結んでくださった方
神様は遠い存在ではなく、私たち一人ひとりと契約を結び、人生を導いてくださる方です。
私の生きる力、希望、勇気、前へ進む力——それらはすべて神様から来ます。
初代教会の姿を見ると、神の愛を実践する人々の姿がありました。
まず人々に食事を与え、教育し、そして感染症すら恐れず助けました。
その背後にあったのは、「神様と共にいる」という確信でした。
2. 神様と出会う場所の力
ダビデは幕屋で神と深く交わりました。
幕屋から追い出され、礼拝の場所を奪われた時でさえ、
その時に受けた「主の臨在の力」に支えられ、主を思い続けることができました。
礼拝の場所、祈りの場所、御言葉を受ける場所には、
人を生かし続ける大きな力があります。
3. 困難は神様を求めるサインである
マーカス賛美団の証しに、こんな話があります。
ある若い女性、4代目クリスチャンの方は、25歳で骨髄腫瘍と診断されました。
それでも彼女は、将来子どもを産むために骨髄移植を拒み、
妊娠中も治療薬を拒んで神様に祈り続けました。
彼女はこう言います。
「苦しみは、神様の顔を見上げるためのサインだった」
(우네 아니며 살아갔으나 없네 – 涙の中でも生かされた、という意味の賛美の一節)
しかし私たちは、困難の中で神ではなく「困難ばかり」を見てしまいます。
4. 苦しみの多さは、感謝の深さにつながる
50年間何の大きな苦しみもなく生きた人よりも、
多くの困難を経験した人のほうが、
神様に対する感謝が深くなる
これは聖書、特に詩篇を見ればよくわかります。
ダビデの詩篇が力強く、心を打つのは、
彼の人生が涙、恐れ、裏切り、孤独に満ちていたからです。
しかしそのすべてを通して、彼は神様の顔を求め、
「主こそ私の望み」と告白する人に変えられました。


댓글0개