20210313早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:ルカ6:43–45
題目:行いの大切さ
賛美:42
説教:高曜翰 伝道師
題目:行いの大切さ
1.信仰と行い
聖書は「信仰によって救われる」と教えています。イエスも、心の伴わないパリサイ人の行動を厳しく批判しました。しかし、だからと言って「行い」を軽く扱ってよいわけではありません。イエスは明確に、「行いに応じて裁く」(マタイ16:27)と言われています。
では、行いによって救われるのかというと、それも違います。
今日の聖書では「良い木が良い実を結ぶ」と言われています。
つまり、
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良い信仰が良い行いを生む
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行いを見ることで、その人が何を信じているかが分かる
ということです。
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良い行い → キリストを信じている心から生まれる
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悪い行い → 何か別のものを信じてしまっている心から生まれる
そして、悪い実を結ぶ木、あるいは実を結ばない木は切り倒されてしまう(マタイ7:19)とあります。
だからこそ、私たちが良い行いを生むためには、良い心、良い考え方を育てることが大切です。
2.行いと結果
しかし、中には「考えはあるのに行動に移せない」という人もいます。
「失敗したらどうしよう」「私なんかでは助けにならない」と思ってしまう。
これは、結果によって傷つくことを避けようとする防衛反応です。
その根には、
卑屈さ、劣等感が信仰を妨げている
という問題があります。
劣等感の原因は、多くの場合「他人と自分を比べること」です。
実は、高慢な人も卑屈な人も根は同じ罪です。
パウロは言いました。
「人はそれぞれ違う」(1コリント12:14–20)
行動も、結果も違って当然であり、比べる必要はありません。
それなのに比較してしまうこと自体が、私たちが他人を裁いてしまう罪なのです。
3.タラントの例え(マタイ25:14–30)
1タラントの人が罰を受けた理由は、
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儲けなかったからでも
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怠け者だったからでもなく
神様を“心の狭い主人”だと思い込み、信頼せず、行動に移さなかった心にありました。
「結果が悪かったから」叱られたのではありません。
行動に出ない信仰が問題だったのです。
私たちも同じです。
結果を恐れて動けないのは、信仰が正しく働いていないからです。
良いブドウの種を植えたなら、悪い実がなる心配はありません。
結果を不安に思う必要はないのです。
劣等感で動けない人へ
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結果は神様にお任せする
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自分は、神の前で正しい心を持って行動する
それで十分です。
行いの結果がどのようになるかは神様の領域です。
結果は神様のもの。だから心配しなくていいのです。
結論
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種と木は信仰、実は行い
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信仰が大切だが、行いも同じように大切
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行動できないときは、結果を気にしすぎていないかを見つめ直す
神様に信頼し、結果ではなく「行動」に目を向けながら歩んでいきましょう。


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