言行不一致の罪(ローマ2:17-29)
고요한
2025-11-25
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20210603早天祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:ローマ
2:17–29
題目:言行不一致の罪
賛美:261
説教:高曜翰 伝道師
1.言行不一致の罪
私たちは、次のように思うことがあります。
- 律法(율법)を持っているから大丈夫だ。
- 神様がいるから大丈夫だ。
- 神様の御心を知っているから大丈夫だ。
- 何をすべきか分かっているから大丈夫だ。
- 人々を導く教師だから大丈夫だ。
しかし実際には、こうなりがちです。
- 人に教える一方で、自分自身は守らない。
- 「盗むな」と教えながら、自分は盗む。
- 「姦淫するな」と言いながら、自分は犯す。
- 偶像(우상)を嫌っていながら、自分は神殿のものをかすめる。
- 律法を誇りに思いながら、律法に違反し、神を侮る。
これは、身近な家族関係でも起こることです。
父や姉に「矛盾していますよ」と注意しても、礼儀がなっていないと怒られることがあります。
日本では「大人とはそういうものだ」「そういう病気だ」と片付けられることもあります。
2.割礼の価値
割礼(할례)は、祝福の保証ではありません。
- 割礼を受けたからといって、どんなことをしても地獄に行かないわけではありません。
- 割礼後の継続的な生活や行いが大事です。
- 律法に背くなら、外面的に割礼を受けていても、心の上では無割礼と同じです。
一方、異邦人であっても、律法を守るなら、割礼を受けたのと同じ価値があります。
- 外的ユダヤ人:体の割礼、律法の文字による割礼
- 内的ユダヤ人:心の割礼、御霊による割礼(성령의 할례)
また、特権(特別な立場)には責任が伴います。
ユダヤ人は特権を与えられていましたが、その責任を果たしていませんでした。
特権そのものが救いではなく、特権があるから優れているわけでもないのです。
結論
神様を信じているから大丈夫だ、毎週教会に行っているから大丈夫だ、献金しているから大丈夫だ——
そう思うだけでは十分ではありません。
大切なのは、愛する気持ちを忘れずに行動することです。
たとえば、
- 「妻に誕生日プレゼントをしたからもう大丈夫だ」
ではなく、 - 「愛する気持ちを持って生きること」
それが信仰における本当の態度です。


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