20210717家庭礼拝
聖書:創世記 4:1–7
聖書:カインの捧げ物の問題点
賛美:276、301
説教:高曜翰 伝道師
アベルの捧げ物は受け入れられ、カインの捧げ物は退けられたのはなぜか?
1.捧げ物の比較
カイン:地の産物を捧げた。
アベル:群れの初子と、その中でも最良のものを捧げた。
ヘブル11:4には、
「信仰によって、アベルはカインよりもまさった生贄を捧げ…」
とあり、アベルの捧げ物には明らかな優れた点があったことがわかります。
また、1ヨハネ3:12には、
「彼(カイン)のわざが悪く、兄弟(アベル)のわざは正しかった」
とあり、カインの捧げ物には問題があったことが示されています。
ではその問題とは何だったのでしょうか?
① 呪われた土地からの産物をいい加減に捧げた
創世記3:17–19で地が呪われたため、その産物自体に限界が生じました。
(作物が正式な捧げ物となるのはレビ記以降です。)
一方アベルは、肥えて良い羊を捧げました。
→神様には“良いもの”“最上のもの”を捧げるべきです。
例)教会に使わない古い物、ほぼゴミ同然の物を持ってくる信徒
② 良いものを選んで捧げる姿勢がなかった
聖書は、
-
カインについては「地の産物を持ってきた」とだけ記す
-
アベルについては「初子を」「肥えたものを」と強調する
→つまりアベルは“選んで”“最良を”捧げたが、カインにはその姿勢がなかったということです。
例)余り物・不要品を教会に持ってくる信徒
③ 捧げ物に犠牲が伴っていなかった
創世記3:21では、神がアダムとエバに“皮の衣”を着せられます。
これは、罪を犯した人間が神に近づくには犠牲が必要であることを示します。
アベルは羊を犠牲にしましたが、カインにはその“犠牲”が見られませんでした。
→犠牲のない捧げ物は意味をなさないのです。
例)十分の一献金を必死に避けようとする態度
2.カインの捧げ物が受け入れられなかった本当の理由
最も重要なのは「心」でした。
5節:神に退けられたカインは大いに怒り、顔を伏せた。
7節:神は「正しく行わなければ、罪が門口に待ち伏せている」と忠告された。
しかしカインは悔い改めず、ついにはアベルを殺してしまいます。
→つまり、礼拝の姿勢が根本から間違っていたのです。
もし正しい心で礼拝をしていれば、カインは神に対して顔を上げ、素直に説明し、赦しを求められたかもしれません。
外見は、
-
カインの捧げ物は美しかったかもしれない
-
アベルの捧げ物は血まみれだったかもしれない
しかし神が見られるのは外側ではなく心です。
イエス様は「心で思った時点で罪だ」と言われました。
ヘブル11:4も「神が彼(アベル)の供物を良しとされた」と語ります。
アベルは正しい心で捧げ、カインは悪い心で捧げた。
神はその“心の姿勢”を見て受け入れたり拒まれたりしたのです。
心の問題は、神との関係だけでなく人間関係も壊す
カインは反省せず、アベルを妬み、自分の過ちを認めませんでした。
その結果、神との関係が壊れ、それに伴って人との関係も壊れていきました。
例)アロンの二人の息子の死、ウザが契約の箱に触れて死んだ出来事、また“相手の気持ちを考えず善意を押しつける男性”なども同じ構造。
私たちも何かに失敗した時、
「神の前で間違った態度を取っていなかったか?」
と省みる必要があります。
結論
私たちはどのように信仰生活をしているでしょうか?
自分の好きなように礼拝し、好きなように献金するのではなく、
“神の望む方法”に従うべきです。
また失敗した時は、自分の過ちを認め、心を正すことが必要です。


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