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「解決」が重要なのではない(民数記11:23–25)
고요한 2025-11-27 추천 0 댓글 0 조회 2

 

20210806家庭礼拝

聖書:民数記11:23–25
題目:「解決」が重要なのではない​

賛美:310

説教:高曜翰 伝道師


導入

人はなぜ憤るのでしょうか。
それは、自分の理想と現実の間に大きなギャップがあるためです。

たとえば、うまくいかない結婚生活の問題などがその典型です。
「こうあるべき」という理想が崩れると、人は簡単に怒り、嘆き、不満を言い始めます。


1.物語の流れ

民数記11章では、まず異邦人の集団がつぶやき始め(11:4)、それがイスラエル全体にも広がりました。

彼らはマナに飽き、
**「肉が食べたい!」**と泣き叫ぶようになりました。

それを聞いたモーセは、大きな重荷に押し潰されそうになります。
成人男子だけで60万人。
その全員に肉を1ヶ月も食べさせることは、どう考えても不可能でした。

しかし神様は言われました。
「わたしの手が短いとでも言うのか」(23節)
そして「1ヶ月間肉を与える」と約束されます。


2.まず与えられたのは“肉”ではなく“聖霊”

注目すべきは、神様が最初に与えたのは60万人分の肉ではなく、70人の長老への聖霊であったという点です(24–25節)。

聖霊を受けた長老たちは変わり、預言をしました。
モーセも言います。

「主の民がみな預言者となることを、わたしは願う」(29節)

これは、モーセ自身の態度が変えられたことを示します。

  • 「自分がこの民をどうにかしなければ」という思い
       ↓

  • **「神がなさる」**という信仰へ

重荷が軽くなっただけでなく、モーセの視点そのものが変わったのです。


3.その後に肉が与えられたが…

聖霊による変化の後、神様はうずらを与えられました。
しかし、人々はむさぼるように食べ、その結果、疫病で多くが命を落としました(33節)。

不平不満を言って手に入れたものは、
本当に私たちを幸せにするでしょうか?

まるで、駄々をこねて泣き喚く子どもにお菓子を与えるようなものです。
一見満足したように見えても、実は害となることがあります。


4.神様が望んでいることは「問題解決」ではない

私たちが望むものと、神様が与えたいものはしばしば違います。

神様は必ずしも
「問題がすぐに解決すること」
を最優先にされるわけではありません。

それよりも、
問題を通して、私たち自身が変えられること
を望んでおられます。


結論

  • 現実を見ると、カナンの地に入れないように見える。
     しかし、約束の地に入れるのは自分の力ではなく、神様の働きによる。

  • 人や環境に対する不平不満は、神様に対する不満と同じ。

  • 肉の欲望を満たすために不満を言うのではなく、
     聖霊を求めるべきである。

 

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