20210821家庭礼拝
聖書:創世記31:1–3
題目:ヤコブの行い
賛美:191
説教:高曜翰 伝道師
1. ヤコブとエサウの違い
エサウは巧みな狩猟者で野の人でした。男らしく実力があり、力強い人物として描かれます。一方でヤコブは天幕に住む穏やかな人で、外から見ると女性的で、卑怯で姑息、弱々しい印象もある人物でした。しかしヤコブは、神の言葉を軽んじることはありませんでした。
エサウは長子の特権を軽く見て手放し、さらにヘテ人の女性2人とイシマエルの娘を妻にしました。これは信仰を持たない相手との結婚であり、神の祝福を軽んじる姿でした。行動の中心がいつも的外れだったことが分かります。
ヤコブは父と兄を騙すという罪を犯しましたが、信仰のある妻を得るために家を離れました。美しいラケルを求めたものの、神は彼に醜いレアを与えられました。
ラケルは父の物を盗み、嘘をつき、姉を馬鹿にする性質を持っていました。夫の愛情を一身に受けても、神に近づくことはありませんでした。もし彼女が長く生きていたら、ヨセフにも悪い影響を与えていたかもしれません。しかしラケルが死んでから、ヤコブは「イスラエル」と呼ばれる者へと変えられていきました。
一方レアには、神が憐れみをかけ、胎を開かれました。彼女は息子ユダを産んだとき、「今私は主をほめたたえる」と告白しました。
2. ラバンの問題とヤコブ
ハランでラバンの子らの妬みを知った時、神はヤコブに「先祖の国(ベテル)へ帰りなさい」と語られました(創世記31:3)。ヤコブは人間関係の回復よりも、神の言葉に従うことを選びました。
神が働かれた結果、ラバンはヤコブに言い負かされる形となりました。私たちも元々大胆なのではなく、神の働きを経験し、神が共におられると知るゆえに大胆になれるのです。私たちもヤコブのように、神の言葉に従って大胆に出発できる者になりたいのです。
3. エサウとの再会
神はヤコブに御使いたちの軍勢を見せ、力づけられました。しかしエサウが400人を率いて近づいていると聞いたとき、ヤコブにできることは祈ることだけでした。
ヤコブは贈り物を準備し、主に祈りました。しかしやがて「神と格闘する」という出来事が起こり、ヤコブは神の前に全く動けない者となりました。神はヤコブが「自分の力ではなく、神の力に頼る」よう導いておられたのです。
神の道を歩む者には、神ご自身が共にいて戦ってくださいます。ヤコブを攻撃しに来たはずのエサウは、ヤコブを抱きしめて泣きました。これは神がエサウの心を変えたのです。
4. デナの事件とベテルへの召し
神によってラバンの問題もエサウの問題も解決したにもかかわらず、ヤコブはベテルに行かず、シェケムに十年も留まりました。父イサクの近くに行くことすらしませんでした。
その結果、娘ディナが性被害に遭い、息子たちは人殺しと略奪を行い、ヤコブ自身も命を狙われるようになりました。ヤコブが怒りと混乱の中にあるとき、主は再び「ベテルにのぼりなさい」と語られました。
ヤコブは偶像を捨て、家族を整え、ベテルへの道を選びました。そして父イサクのもとへも向かいました。
大切な教訓
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問題が起きたとき、まず神に聞くこと。
必要な助けと力は、神が与えてくださる。 -
自分の行きたい場所ではなく、神の示される場所へ行くこと。
そこに喜びの礼拝が生まれる。


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