20210917金曜祈祷会 in Jesus Love Church
聖書:ヨシュア1:1–9
題目:プレッシャーを感じる時
説教:高曜翰 伝道師
1.ヨシュアとモーセ
ヨシュアは、イスラエルがエジプトを出る時40歳でした。
名前はもともと「ホセア(救い)」でしたが、モーセによって「ヨシュア(主は救い)」と名づけられました。「ヨシュア」はヘブル語での呼び方で、「イエス」はそのギリシャ語形です。
ヨシュアはエフライム族の出身で、モーセに仕える者としてそばに付き従い、霊的な訓練を受けてきました。そして80歳になったとき、モーセの後継者として選ばれました。
一方モーセは、エジプト脱出時にすでに80歳であり、120歳の時にイスラエルの民のつぶやきに怒り、神の指示に背いて岩を二度打ちました。
コリント人への手紙には、この岩はキリストを象徴すると書かれています。キリストは一度死に、その死によって人々にいのちの水を与える方です。
モーセはこの象徴を正しく表現できなかったため、約束の地に入ることができませんでした。
2.ヨシュアの恐れ
ヨシュアは、モーセの後を継ぐことに大きなプレッシャーを感じていました。その理由は三つあります。
① モーセと自分との大きな違い
モーセは生まれつきのリーダーであり、エジプトの宮殿で王子として高い教育を受けました。
さらに、申命記34章10–12によれば、モーセほど偉大な預言者はいませんでした。
彼は神と顔と顔を合わせて語り合う者であり、数々の奇跡を行い、その名声はイスラエル全体が知っていました。
対してヨシュアは、平凡な一人の人間にすぎません。同じ80歳でも、その間には圧倒的な差がある——彼はそう感じたのです。
② 数百万の民の反抗
申命記31章27節でモーセはレビ人にこう言いました。
「私が死んだ後、あなたたちはさらに反抗するようになるだろう。」
民数記を見てもわかるように、民は度々モーセに反抗しました。
指導者にとって最もつらいのは“反抗”を受けることです。
これからは自分がその矢面に立つ。ヨシュアにはそれが大きな重荷でした。
③ 神との直接応答
これまでは神がモーセに語り、モーセが民に語ってきました。
しかしこれからはヨシュア自身が神の声を直接聞かなければなりません。
優れたモーセでさえ神に叱責され、約束の地に入れませんでした。
「自分は神に満足していただけるのだろうか」
——ヨシュアはその重圧を感じていたのです。
3.神様の三つの約束
そんなヨシュアに、神は三つの約束を与えられました。
① 「モーセに約束したように、あなたにも与える」(1:3)
ただし「足の裏で踏む」必要があります。
つまり、言葉だけの信仰ではなく、実際に行動する信仰が求められます。
能力の高さは問題ではありません。
② 「モーセと共にいたように、あなたと共にいる」(1:5)
敵が攻めても、民から非難されても、神は見捨てません。
責任を負って立つのはヨシュア一人ではありません。
③ 「モーセに命じた律法をことごとく守れ」(1:7)
新しい命令ではありません。
すでに与えられている神の言葉に従うなら、勝利は約束されているのです。
神が満足される方法は、すでに示されています。
だからこそ神はヨシュアに語ります。
「強く、また雄々しくあれ。」
(Do not be frightened, and do not be dismayed.)
神は特別な能力を与えるわけではありません。
スーパーマンが来るわけでもなく、周囲の環境が急に素晴らしくなるわけでもありません。
約束の地にはまだカナン人が住んでいます。
しかし神は約束し、共におり、道を示してくださるのです。
小学生の時、母が宿題をそばで見てくれた経験に似ています。
母は宿題を解いてくれるわけでも、答えを教えてくれるわけでも、お小遣いをくれるわけでもありませんでしたが、「終わるまで一緒にいる」と言ってくれました。その存在が励ましだったのです。
4.皆さんへのお願い
どんな時でもどんな場所でも、キリスト者として大胆に生きてください。
環境が厳しくても、自分に力がなくても、神が共におられます。
それは神への栄光となり、他のクリスチャンを励まします。
イエス様も、人々の批判に負けずに大胆に御言葉を語られました。
イエスから訓練を受けたペテロとヨハネも、イエスの死後に大胆に福音を述べ伝えました。
その姿を見たユダヤ人たちは、ただ「脅す」ことしかできませんでした。
パウロもまた、テサロニケ教会の信徒たちの信仰の姿に励まされました。
5.結論
私たちには恐れがあり、自信がありません。
父のように、先生のように、ちゃんとできるだろうかと不安になります。
他人と比べれば足りないところばかりで失望します。
しかし、比べる必要はありません。
失望する必要もありません。
神はすでに約束してくださいました。
すでに共にいてくださいます。
すでに道を示しておられます。
私たちが自分のためではなくキリストのために生きる時、
自分の思いではなくキリストの思いに従う時、
誰も私たちに勝つことはできません。
私たちは必ず勝利します。
だから、恥ずかしがらず、
「神が共におられる」という確信を持って、大胆に生きていきましょう。


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