20210926日曜礼拝 in Jesus Love Church
聖書:1テモテ5:1–3
題目:尊敬されるためには
賛美:主は完全です
説教:高曜翰 伝道師
1.テモテについて
テモテはユダヤ人の母親とギリシャ人の父親を持ち、信仰深い母ユニケと祖母ロイスから幼い頃から聖書を学びました。子ども時代を過ごしたルステラは小さな都市で、ユダヤ人の会堂がないほどでしたが、そこに第一回伝道旅行中のパウロが滞在したことがありました。テモテは若くして地元で「立派なクリスチャン」として評判を得ていた人物です。
20歳前後からパウロの第二回伝道旅行に同行し、その後も多くの働きを共に担いました。彼は臆病で悩みやすい性格だったと考えられますが、パウロはそのテモテを深く信頼し、「主にあって私の愛する忠実な子」と呼びました。またピリピ書では「テモテのように私と同じ思いで心配してくれる者はいない」と述べています。パウロが獄中にあった時でさえ、彼はテモテが来てくれることを望み、最後の手紙(2テモテ)でも彼を呼び寄せています。共同書簡としてテモテの名が記されている手紙は、2コリント、ピリピ、コロサイ、1・2テサロニケ、ピレモンです。
2.第一テモテへの手紙とは
第一テモテは、パウロがエペソ教会を任せた30代のテモテに宛てた命令の手紙です。エペソはパウロが人生で最も成果を上げた都市で、アジア州の首都であり、アジアとヨーロッパを結ぶ港町でもありました。アルテミス神殿、セルシウス図書館などで知られる大都市です。
しかしその教会には偽教師が入り込み、弱々しいテモテには困難な課題が課せられていました。そのためパウロは、牧師としての振る舞いや心構えを事細かに指南します。「軽く見られないようにしなさい」という勧めもその一つです。本日の箇所(1テモテ5:1–3)には、信徒から尊敬されるためにどのように振る舞うべきかが記されています。
3.年寄りに対して
パウロはまず、年配者を「咎めてはいけない」と命じています。これは注意するなという意味ではなく、「厳しく叱りつけるようにするな」という意味です。年を重ねると、体も心も、そして考えも弱くなることがあります。だからこそ、父親や母親に接するように、尊敬を持って教えなさいということです。軽蔑する態度や見下しは決してあってはなりません。
4.若者に対して
年上の者は、年下を見下してしまうことがあります。若い人は人生の目的よりも楽しさに心が向きがちですが、それを理由に強く怒ったり、軽く扱ったりしてはいけません。子どもたちが正しく育つためには親の働きが必要ですが、現実には貧しさゆえに十分に時間をかけられない家庭もあります。
若者を見るときは、間違いがあっても憐れみの心を持ち、兄弟姉妹に接するように導くべきです。特にテモテは独身だったようですが、若い女性を甘やかしたり、特別な目で見ることがあってはならず、「真に純潔な心」をもって接するようパウロは命じます。
1節の「勧める」(パラカレオー)とは、「そばにいて援助する」という意味のギリシャ語です。聖霊を「助け主(パラクートス)」と呼ぶ語源でもあります。つまり、教会の誰かが過ちを犯したとき、見下したり、威圧したりせず、そばに寄り添い、助け励ますことが求められています。
5.やもめに対して
やもめとは夫に先立たれた女性のことですが、当時は社会的弱者として支えが必要でした。パウロはそのような人を敬うべきだと教えます。夫がいない分、主に祈り、奉仕に励んでいるからです。
イエスは「これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、私にしなかったのである」(マタイ25:45)と言われました。教会の中で弱い人、合わない人を尊敬できないなら、その人のうちにキリストの姿はありません。
6.ただし、注意すべき点
とはいえ、助けるべきかどうかの判断も必要です。教会が支えるべき「真のやもめ」とは、次のような条件を満たす人です。
養ってくれる子や孫がいないこと
60歳以上であること
ひとりの夫の妻であったこと
良い行いによって知られていること
当時、教会の援助を受けながら贅沢な生活をしていた人々がいたためです。今日で言えば、教会からの支援金で飲みに行くような行為が問題視されていたわけです。
7.世と異なる、教会の真理
世の中では、人に軽く見られないために自分を大きく見せ、相手を支配しようとします。しかし教会はまったく逆です。イエスは「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」(マタイ23:12)と言われました。
ヨシュアが選ばれたのは、優れた指導力を持っていたからではなく、主に従うことをよく学んだからです。エリコ攻略の際、悩んでいたヨシュアの前に神が現れ、「司令官は自分である」と教え、彼は地にひれ伏しました。私たちが世を征服するためには、まず自分が神に征服されなければなりません。
結論
尊敬されるための方法は、力強さを誇ることではありません。パウロはテモテに「私のように強くなれ」とは言いませんでした。人より強さを誇る者は、さらに弱い者を見下すようになるからです。
私たちがまず人を尊敬する姿勢を示すことによって、逆に自分が尊敬されるようになります。そしてその姿勢が教会の中に広がり、互いに尊敬し合う「神の家族」が築かれていきます。
テモテという名は「神を敬う」という意味です。神を敬う者は神の家族を敬い、弱い者をも敬う者です。私たちもテモテのように、人を敬う者となりましょう。
賛美前のひと言
私たちは足りない存在です。しかし、自分を強く見せるために世の力を求めてはなりません。私たちを強めるのは、ただ主の恵みだけです。


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