20220430土曜祈祷会・家庭礼拝
聖書:創世記14:19–24
主題:アブラハム第三の試練
賛美:252番
説教:高曜翰 伝道師
場所:大阪中央教会・家庭
「これは私の実力だ!私が正しい!」という思いの試練。
(第1の試練:飢饉による命の危機 ―「生きていくのに精一杯で、神様どころではない!」)
(第2の試練:富による争い ―「十分お金があるから、もう神様は必要ない!」)
1.ロトの救出
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ロトが捕虜となる
ロトは戦争に巻き込まれて捕虜となった。これは、この世の富を求めた結果である。 -
アブラハムの反応
- ロトの過ちを「自業自得だ」と責めなかった。-
自分の命をかけて、ロトの救出に向かった。
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大勝利を収める
- 家で生まれた僕318人だけで、王の軍隊と戦った。
- 他の王たちが勝てなかった敵に勝利した。
- ロトを救い出し、奪われた財産も取り戻した。
→ アブラハムには憐れみ深い心と同時に、勝利を得るだけの力があった。
2.二人の王の言葉
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サレムの王 メルキゼデク
「敵をあなたの手に渡された神があがめられますように」
→ 勝利はあなたの力ではなく、神の力によるものですよ。 -
ソドムの王
「財産はあなたが取ってよい」
→ あなたの勝利はあなた自身の力によるものだ、と言う。 -
アブラハムの選択
「アブラムを富ませたのは私だ、とあなたが言わないように」
アブラハムはメルキゼデクに十分の一をささげ、ソドムの王の申し出を断った。
3.イエス・キリストの教え
「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」
(ルカ18:9–14)
この言葉を、他人を攻撃するために使う人がいる。
例:
4×7=28 と主張する人と、4×7=27 と主張する人が争い、裁判になった。
この世では28と言う人が正しく、27と言う人が間違っている。
しかし神の国では、28と正しいことを語る人が裁かれることがある。
なぜか?
それは、神が 「憐れみの心と感謝の心を持たず、高慢になる者」 を嫌われるからである。
私たちも本来は誤り多い者であり、裁かれるべき存在である。
しかし、神様の憐れみによって義とされている。
※ アメリカでの経験:
「教えようとするな。ただ一緒にいなさい」
――相手を見下すのではなく、共に歩む姿勢。
4.まとめ
アブラハムのように、
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隣人を憐れみ、
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神様に感謝する心を持ち、
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「すべては神の恵みです」
と告白する者になりましょう。


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