20220507土曜祈祷会・家庭礼拝
聖書:創世記16:1–6
題目:アブラハム第四の試練
賛美:449番
説教:高曜翰 伝道師
場所:大阪中央教会・家庭
1.神の約束
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アブラハムが75歳の時に与えられた神の約束
- 「あなたの子孫にカナンの地を与える」(12:7)
- 「あなたの子孫は地のちりのように多くなる」(13:16)
- 「あなたの子孫は空の星のように多くなる」(15:5) -
しかし10年経っても約束は実現しなかった
- 神様が働かれるまで忍耐して待つべきなのか?
- 祈るだけでなく、知恵をもって行動すべきなのか?
――この葛藤が生まれた。
2.人の考え
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サラの発言
- 「主は私が子を産めないようにしておられる」
これは事実であり、当時サラの不妊は大きな恥とされていた。
- 「私の女奴隷ハガルのところにお入りください」
これは当時の常識的な範囲内の提案であり、
神の言葉でも“サラから”とは明言されていなかったため、違反ではないように見えた。
- 「彼女によって私は子どもの母になれる」
サラにとってもアブラハムにとっても、また一見すると神にとっても良いことのように見えた。 -
ハガルを通して子を得ようとした結果
→ 神の時と方法を待てず、自分の力で約束を達成しようとした。
これは、神様の働きを奪う行為である。
3.サラの失敗
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サラの提案の問題点
- そこには知恵と自己犠牲の心があった。
- しかし問題は、神ではなく人間の力で良い結果を出そうとしたこと。
- その結果、以前アブラハムがサラをエジプトに売るような行動を取ったように、
今度はサラがハガルを通してアブラハムを他人にゆだねる形になってしまった。 -
関係の破壊
- もともとサラとハガルの関係は、夫に与えるほど良かった。
- しかし、子ができるとハガルはサラを見下げるようになった。
- 神ではなく人を頼るとき、私たちは失敗する。
4.アブラハムの失敗
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サラの提案を受け入れたこと
- アダムがエバの提案を拒むべきだったように、アブラハムも拒むべきだった。
- 結果、サラは「あなたのせいです」とアブラハムを非難した。
- サラの問題もあるが、流されてしまったアブラハムにも責任がある。
- 夫としてリーダーシップを持ち、導くべきであった。
→人間の知恵は、神の計画の成就に1%も加えることはできない。
神の計画を早めようとしてはならない。
5.イエス・キリストの伝道方法
ヨハネ13:49–50
「私は自分から語ったのではありません。父が語るべきことを命じたのです。」
イエスは
- 新しいことをしようとしなかった
- 人々の関心を得ようとしなかった
- 悪い評判の中でも御言葉どおりに歩み続けた
神の計画はサラの目には失敗に見えたように、
イエスの宣教も人の目には「失敗」のように見えた。
「食いしん坊の大酒飲み」「罪人の仲間」などと呼ばれた。
→ イエスの努力の方向は、聖霊に満たされ、御言葉どおり、神の計画どおりに歩むことであった。
6.努力の方向
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人々が求めるもの
- 周囲がうらやむような結果
- その結果のために努力する -
神が求めるもの
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「成熟を目指して進むこと」(ヘブル6:1)
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「御霊の実」(ガラテヤ6:22–23)
→ 愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制
- 努力すべきは、素晴らしい結果(名門大学、大企業、巨大教会など)ではない。
- 神の民としての人格を形づくることである。
→ それによって神の国に入り、神の計画に参加できる。
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アブラハムの場合
- 神の計画を心配する必要はなかった。-
神の計画を手助けする必要もなかった。
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イサクが与えられる時まで、信仰者として成長することが求められていた。
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私の場合
- 早く結婚相手を見つけることが目的ではない。
- その期間に、神の民としての人格を育てることが大切である。
7.結論
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神の働きをする時、問題解決のために人の力に頼らない。
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解決すること自体ではなく、問題を通して成長することが重要である。
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良い結果のための努力なら、立ち止まって考えるべき。
→ 神の計画が成就するまで、忍耐し、日々信仰者として成長し続けよう。


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