20221126土曜祈祷会
聖書:創世記38:1-30
題目:神に選ばれる者
賛美:542
説教:高曜翰 講道師
場所:大阪中央教会
主題:ユダの失敗と、そこに現れる神様の憐れみを覚える
1.背景 ― 創世記38章を理解するために
創世記38章を理解するためには、当時のユダヤの習慣を知ることが重要です。
当時は、兄が子を残さずに亡くなった場合、兄嫁は弟と結婚し、家系を存続させる責任がありました。この制度はレビラート婚と呼ばれ、ハンムラビ法典にも見られる、当時の一般的な慣習でした。もし弟がいない場合には、父がその役割を担うことさえありました。それほどまでに、個人よりも家族の存続が重んじられていたのです。
そのような背景の中で、ユダは家を離れます。おそらくヨセフを売り渡した罪の意識があり、悲しむ父ヤコブの姿を近くで見続けることができなかったのかもしれません。ユダはアドラム人ヒラという友人を通して、カナン人のシュアの娘と結婚します。これは、神の民でありながら、不信者の友人を通して不信者と結婚するという選択でした。
この結婚によって、ユダにはエル、オナン、シラという三人の息子が生まれます。
2.息子たちの結婚と悲劇
ユダは長男エルを、カナン人の女性タマルと結婚させます。自分自身が不信者と結婚したため、息子にも同じように不信者を与えることに抵抗がなかったのでしょう。
しかしエルは悪事を働き、主によって命を取られてしまいます。そこで、次男オナンがレビラート婚の習慣に従ってタマルを妻としました。しかしオナンは、兄の名のために子を残すことを拒み、意図的に子作りを避ける行為を繰り返しました。ESVでは Whenever と表現されており、一度きりではなく、意識的で継続的な不従順であったことが分かります。問題は性行為そのものではなく、責任を拒否した態度でした。その結果、オナンも主によって命を取られます。
ユダは恐れ、残された末子シラをタマルに与えることをせず、「成長するまで待つように」と言って、彼女を実家に帰します。しかし問題の原因はタマルではなく、ユダ自身とその息子たちにありました。ユダは責任をタマルに押し付けたのです。
3.タマルの決意と罪の発覚
やがてユダの妻が亡くなります。喪が明けた後、ユダは友人ヒラと共に神殿娼婦のもとへ向かいます。これは、不信者の親友を通して起こる霊的堕落であり、背後にはアシュタロテ信仰がありました。
一方タマルは、シラが成人してもなおユダから与えられないことを知り、自ら神殿娼婦に偽装してユダと関係を持ちます。彼女は家系を存続させる使命を果たすため、命がけの決断をしました。
三か月後、タマルが姦淫によって妊娠したことが明らかになります。ユダは彼女を焼き殺すよう命じますが、タマルはユダから預かった印章、ひも、杖という証拠品を示します。その結果、タマルは無事に双子のペレツとゼラを出産しました。
4.それぞれの行いと変化
この出来事を通して、ユダの多くの失敗が明らかになります。
彼はアドラム人ヒラと親友になり、神の民でありながら異邦人と結婚し、タマルをだましてシラを与えませんでした。さらに妻の死後、神殿娼婦のもとへ行くという性的堕落にも陥ります。これは、39章に登場するヨセフが誘惑に打ち勝った姿とは対照的です。
一方、タマルの行動は決して正当化できるものではありません。彼女は嘘をつき、ユダを欺きました。しかし同時に、彼女は命をかけて自分に与えられた使命を果たそうとしました。その姿を前に、ユダは「彼女は私よりも正しい」と告白します。
この出来事を境に、ユダは大きく変えられていきます。
後に彼は、長男が与えられなかった父ヤコブを説得し、ベニヤミンのために自分の命を差し出す覚悟で訴えるようになります。そして最終的にユダは十二部族のリーダーとなり、ダビデ王、さらにはイエス・キリストの系図につながっていくのです。
5.この物語が語られる理由
ここで疑問が生じます。
なぜ、これほど人間的にも霊的にも問題の多い物語が、聖書にあえて記されているのでしょうか。また、人間的にも信仰的にも優れていたヨセフではなく、なぜユダが選ばれたのでしょうか。
第一に、この物語は人間がどのように堕落していくかを示しています。
不信者の親友から始まり、不信者との結婚へ、そして責任転嫁、嘘、性的堕落へと進んでいく過程が描かれています。
第二に、神様の選びは能力や性格の良さによるものではないことが示されています。重要なのは、失敗の中で神様に立ち返るかどうかです。神の選びは一方的な恵みであり、すべての人に立ち返る機会が与えられています。
第三に、この物語は神様の憐れみの深さを示しています。
ユダヤ人の祖先は、異邦人との姦淫という汚点から始まっています。それは、イエス・キリストが馬小屋で生まれ、社会的に低い羊飼いたちに最初に知らされたこととも重なります。
6.結び
創世記38章は、失敗だらけの人間の姿と、それでも見捨てることなく導かれる神様の憐れみを示しています。
神に選ばれる者とは、完璧な者ではなく、失敗の中で悔い改め、神様に立ち返る者なのです。


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