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苦しみは何のために?(列王記上17:1-7)
고요한 2025-12-20 추천 0 댓글 0 조회 29

20230224金曜祈祷会


聖書:列王記上17:1-7
題目:苦しみは何のために?
説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회

 

内容:私たちの苦しみは、神の栄光を表す者に変えられるため。


1.アハブ(아합)

アハブという名前には「父の兄弟」、すなわち「父のように偉大である」という意味があります。その名の通り、彼の父オムリは強力なリーダーシップを持ち、イスラエルを安定化させました。外国軍隊であるペリシテ人を追い出し、2つに分かれて争っていた国内の戦いを終息させ、サマリヤを買い取って首都と定め、モアブに十万の子羊と十万の牡羊の毛を毎年納めさせるほどに力を持っていました。軍事的・政治的・歴史的に高く評価された人物です。

アハブ自身も国際的地位を大きく向上させました。シドンの王女イゼベルと結婚し、レバノン杉の供給地を確保し、エジプトへ至る通商路を押さえ、アッシリアの侵攻を防ぐための12人のアラム王たちの同盟の中心となりました。このように軍事・政治・経済のすべてにおいて強固な国を築いた人物でしたが、ただ一つの決定的な欠点は、不信仰でした。


2.エリヤ(엘리야)

エリヤの名は「私の神は主(YHWH)」という意味で、彼はイスラエルの預言者です。出身はヨルダン川東側、マナセ半部族が住むギレアデ地方でした。ギレアデはマナセ部族とはいえ、その細かい背景については分かっていません。何もない田舎の出身でありながら、彼には確かな信仰がありました。その信仰ゆえに、命を賭けても王アハブに立ち向かい、神の言葉を大胆に語る人物となりました。

アハブは成功者であり、エリヤは田舎者。しかし神はこの二人に同じように言葉をかけられます。


3.アハブに対する神の言葉

「私の言葉のないうちは、数年雨も露も降らない」(17:1)。これは国を強くした王アハブとその父に対する厳しい裁きでした。人間的に見れば、力ある王として認められたアハブに、なぜ神はこんな仕打ちをされるのかと思うほどです。

しかし、その怒りの理由は明らかです。ヤラベアムが金の子牛像を礼拝に用いた罪よりさらに深刻なことに、アハブはイゼベルを通してバアルという異教の神を堂々と国家に導入しました。そしてバアルの神殿と祭壇をサマリヤに建て、イスラエルだけでなく南ユダにまで悪影響を及ぼしました。

ここから分かるのは、神は人の成功ではなく、神に対する態度を見られるということです。


4.エリヤに対する神の言葉

17:1の預言を語ったエリヤは、王や民に憎まれる立場となり、身を隠さねばならなくなります。彼は悪事を働いたわけではありませんが、神の言葉ゆえに逃れる生活を強いられました。

神はエリヤに「身を隠しなさい」(17:3)と言われ、天使を送って守るのではなく、カラスに命じて彼を養わせると語られます。カラスはレビ記11章で汚れた動物とされていますが、そのカラスを通して神はエリヤの命を養われました。

さらに神はヨルダン川の東へ移り住むように導き、ついにはイゼベルの故郷であるシドンへと向かわせます。そこでエリヤを養うのは、社会的に最も貧しいやもめでした。やもめの最後の食事を差し出させるという行為は、人々から見れば非難され、馬鹿にされるようなことでした。

この屈辱的な訓練には意味がありました。神の僕として用いるため、エリヤの間違った価値観や世界観を砕くためでした。アロンも神殿に入るには清めが必要であり、モーセも一度ヘブル人に拒絶されてミデヤンで鍛えられたように、エリヤにも訓練が必要だったのです。

やがて3年後、エリヤはアハブの前に再び現れ、あり得ない方法で勝利を得ます。そのために先に価値観を砕かれる訓練が必要だったのです。


5.イエス様

イエスの時代にも同じ原則があります。マルコ10:17–22の金持ちの青年は、「永遠の命を得るには何をしたらよいか」と尋ねました。青年の目的は、自分が神の国に入るにふさわしい人間だと認めてもらうことでした。

イエスが「戒めを守りなさい」と言うと、青年は「小さい時からみな守っています」と答えます。しかしイエスは「持ち物をすべて売り払い、貧しい人々に与えなさい」と言われました。これは、善行を求めたのではなく、青年がこの世の富を愛し、自分の力に頼っているという「間違った価値観」を指摘されたのです。

金持ちは神の祝福の証とされる文化の中で、イエスは「この世の富が祝福ではない」と明らかにされました。神の国に入る者は、この世の価値観が砕かれなければならないのです。


6.祈る時のお願い

私たちは祈りの中で、この世のものを求めがちです。「良い大学に入れますように」「良い会社に入れますように」「試験に合格しますように」「お金が稼げますように」。しかし目に見えるものがすべてではなく、努力だけではどうにもならないこともあります。

むしろ祈りとは「神の国のためになるもの」を求めるべきです。「どの大学でも神の導きがある大学に入れますように」「どんな会社でも神の栄光を表せますように」「試験勉強を通して主の知恵が得られますように」「どんな仕事でも神の生きておられる御業を体験できますように」と祈ることです。

イエスは「異邦人のようにこの世のものを追い求めるな」と語られました。それでも私たちはなぜアハブのようにこの世の成功を求めてしまうのでしょうか。苦しみとは、この世の間違った価値観を捨て去るために神が与える訓練だからです。

だからこそ苦難の中で、「この困難を通して自分の間違った考えが砕かれ、エリヤのように神に用いられる器にしてください」と祈るべきです。


7.結論

神の言葉を聞いたとき、アハブとエリヤは正反対の反応をしました。アハブは偉大な自分に対する神の言葉を拒み、エリヤを殺そうとしました。一方エリヤは従順に神の言葉を受け入れ、困難な道であっても最後まで従いました。困難は、将来神の大きな御業が現れるための準備でした。

では私たちは何を求めるのでしょうか。生きるのがしんどいからと言って、この世のものだけを求めてはなりません。苦しみは、この世の価値観を砕く神の訓練です。どんな時でも神の言葉にしがみつく者は、神の栄光を表す者へと造り変えられ、今の苦しみが喜びへ変わる日が必ず来ます。​ 

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