20230219早天祈祷会
聖書:創世記17:9-14
題目:切る契約
賛美:407
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.アブラハムの契約
まず、9節に「あなたもあなたの子孫も私の契約を守りなさい」とあります。
①「あなたもあなたの子孫も」
これはアブラハム一人だけが対象ではありません。神様の契約はアブラハムの子孫へと続いていく、大きな恵みの契約です。しかし同時に、その契約を「代々引き継いで守らなければならない」という意味も含まれています。
この時、創世記15章で契約が結ばれてからすでに23年が経っていました。アブラハムはイシュマエルが約束の子だと思い込んでいました。つまり、アブラハムは神の約束を自分の力で成し遂げようとしていたのです。
②「私の契約を守りなさい」
創世記15章の契約は一方的なものでした。しかし今回は、一方的ではなく双方に義務がある契約です。
ここで使われている契約(「ベリース」)という言葉は「cut off(切る)」を意味します。ヘブル語では契約を“結ぶ”とは言わず、「契約を切る」と言います。創世記15章では動物を引き裂き、神様だけがその間を通られました。
「もし神様が約束を破れば、この動物のように引き裂かれる」という意味を持つ、神様が一方的に責任を負う契約でした。
10節:全ての男子は割礼を受けよ
ここでも契約(ベリース)が繰り返し「cut off」と語られます。
① 全ての男子が割礼を受ける
割礼を受ける(ムール)という言葉も「cut off」の意味です。女性が割礼を受ける必要がなかったのは、男尊女卑ではなく、神の恵みです。古代では女性の割礼は命がけであり、神は女性にも同じ契約の恵みを与えました。
割礼自体は古代エジプトにも存在していたものです。神様は既存の文化を用いて、新しい意味を与えることがあります。
たとえば、仏教用語をキリスト教が使ったり、ローマ帝国の文化を用いて福音が広まったり、教会がクリスマスツリーを用いるようなことです。
③ 割礼をする理由
割礼は「契約を結んだ証明」です。しかし割礼を受けたから契約が成立するのではありません。
ちょうど結婚式で指輪をするようなものです。指輪は結婚の印ですが、指輪が結婚そのものではありません。
11節:男性器と包皮を切り裂く契約
ここでも「切り捨てる(ナマール)=cut off」が用いられます。今回の契約は、前回のように動物を引き裂くのではなく、男性器と包皮を切り離すという形で行われます。
前回は「違反者は命を失う」という意味でしたが、今回は「男性器を失う」つまり「子孫を失う」ことにつながるほど重大な意味を持ちます。
12節:8日目に割礼を行う
ここでも割礼(ムール=cut off)が語られます。
① 8日目の意味
イエスも8日目に割礼を受けられました。
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6日目…天地創造が完了
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7日目…神が休まれた=神の国の完成
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8日目…新しい始まり、新しい創造の象徴
ノアの箱舟で生き残ったのは8人、ダビデは8番目の息子、イエスもエルサレム入場から8日目に復活されました。
また、安息日と重なっても割礼が優先されるほど重要な儀式でした。
② 家のすべての人に
同じ家に信者と不信者が共に住むことは本来あり得ません。パウロも「不信者と同じくびきを負ってはならない」と語ります。
アブラハムが選ばれた目的は「彼を通してすべての人々に祝福を与えるため」です。家に不信者がいて放置することは、神様の思いに背くことになります。
13節:割礼は永遠の契約の印
ここでも割礼(ムール=cut off)、契約(ベリース=cut off)が繰り返し語られます。
割礼という印を男性器に刻んだ理由は二つあります。
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男性器を見るたびに、神との契約を思い出し、罪を犯さないようにするため。
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印が人に見せびらかすものではなく、神の前での印であるため。
14節:割礼を受けない者は断ち切られる
「割礼を受ける(ムール=cut off)」「断ち切る(カラース=cut off)」と、契約(ベリート=cut off)が重ねて語られます。
割礼をしないから契約から外れるのではなく、すでに契約の中に入れられているからこそ、その結果の印として割礼が求められます。
これは洗礼とよく似ています。
2.現代教会における契約
① 洗礼(割礼の代わり)
洗礼は罪を洗い流す儀式ではありません。
自分のために生きていた自分を捨て、神のために生きるという信仰告白です。
結婚式に近い意味を持ちます。
② 聖餐式(契約の確認)
パンはイエスの体、杯はイエスの血です。
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これは単なる記念ではなく、霊的な意味があります。
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パンを食べることは、イエスが自分の身代わりとなって裂かれた事実を受け入れること。
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杯を飲むことは、イエスの血の契約を受け入れること。
新しい契約(聖霊を与える契約)は、キリストが私たちの代わりに血を流されたことによって成立しました。
血なまぐさいと嫌う人もいますが、罪はそれほど深刻であり、血を流すことは命をかけることです。
殺さずに肉を食べられないように、血を流さない救いはありません。
3.結論
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割礼と聖餐式は「血の契約」を思い起こす大切な儀式です。
血を流さない救いはありません。救いは犠牲の上にあります。 -
今日の箇所では「切る」という意味の言葉が13回も出てきました。
救いは“ただ”ではありません。 -
私たちは聖餐式を通して、私たちの救いとなる新しい契約が、
イエス・キリストの血の契約の上に成り立っていることを
心に刻んで歩んでいきましょう。


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