20230313早天祈祷会
聖書:創世記24:28–59(特に32–33、56–59)
題目:主の判断基準に従って生きる人々の姿
賛美:214
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.主の判断基準に従って生きる人々の姿
教会には、主の判断基準への従い方によって、大きく三種類のクリスチャンがいます。
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自分の利益のために信じる聖徒
自分にとって利益がなくなると判断したら、平気で教会を離れます。
主権を自分に置き、自分の判断基準に従って生きています。 -
自分の判断基準に従って信じる聖徒
主に主権を返して一生懸命に従いますが、
自分に合わないと感じると、嫌々行うようになります。
主が沈黙すると失望し、教会から離れることもあります。 -
神様の判断基準に従って信じる聖徒
主が沈黙しても主にしがみつき、教会を離れません。
2.エリエゼルの姿
創世記24章33節で、エリエゼルは言いました。
「要件をお話しするまでは食事をいただきません。」
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主人アブラハムの命令を最優先している
中東の文化では、要件に入る前に食事をするのが普通です。
しかしエリエゼルは常識に逆らってまでも、使命遂行を優先しました。 -
成功しても失敗しても自分は解放される立場だった
花嫁探しが成功してもしなくても、エリエゼル自身は責任を果たしたことになります。
頑張らなくてもよかったのですが、それでも彼は「必ず成功させたい」という思いを抱いていました。 -
神様に全面的に信頼している
祈りの直後に、素晴らしい女性がやってきました。
しかもその女性がアブラハムの親族であることが分かり、
「この人こそ主が備えた方だ」という期待が高まりました。
主の導きに興奮し、食事をしている場合ではなかったのです。 -
すぐに主人のもとへ帰りたい
主人の夢が自分の夢であり、主人の喜びが自分の喜びだったからです。
3.リベカの姿
創世記24:58でリベカは言いました。
「行きます。」
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リベカは素直に送り出されることに従った
ラバンとベトエルがリベカを妻として送る決断をすると、
彼女はその決定に素直に従いました。 -
10日間の滞在を求められたが、すぐ出発することを選んだ
エリエゼルが翌日に出発しようとしたとき、
ラバンとベトエルは「10日は一緒にいさせてほしい」と願いました。
しかしリベカはエリエゼルの願いを受け入れ、すぐに従いました。
嫌々ではなく、喜んで嫁ぐ先の都合を優先したのです。 -
人生の主権を移し替えた
結婚を通して、リベカは自分の人生の主権を、
ラバンとベトエルからエリエゼル、つまりアブラハムとイサクへと移しました。
ここに真の信仰の姿があります。
4.アブラハムとイサクの姿
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アブラハム
神様の命令どおりに、イサクをささげようとしました。 -
イサク
父アブラハムの言うとおり、祭壇の上に素直に登りました。
→嫌な命令でも、嫌々ではなく、自分の心を入れ替えて従うことの大切さを示しています。
5.私たちはどのように生きるべきか?
(1)妻にも3つのタイプがあるという例え
夫が外で別の女性と歩いていたという状況を例に考えると…
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自分の目的が夫から得られないと判断したら離婚する妻
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夫が納得できる説明をしないと離婚する妻
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夫が沈黙しても夫を信じる妻
この三つは、先に述べた三種類の信仰姿勢と同じ構造です。
(2)ヨブの苦難
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正しく生きていたのに苦難が起きた。
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神様が沈黙していることに耐えられなかった。
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心の中の高慢が現れた。
最初は「主」と呼んでいたが、途中から「神」と呼ぶようになった。
→ヨブは主権を神に返して生きていましたが、
神様の判断基準に完全には従いきれていなかったことが見えます。
→ヨブのような義人でも、苦難を通して神様の訓練を受けるのです。
(3)イエス様の苦難
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自分の死を受け入れられず、苦しみながら祈られた。
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それでも十字架の死を受け入れ、従順に従われた。
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嫌々ではなく、進んで十字架にかかられた。
(4)私たちに必要なこと
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嫌々従う信仰生活は、神の判断基準に従っていない可能性がある。
自分の判断基準を優先しているのかもしれません。 -
必要なのは、嫌なことでも主が望むなら、心を切り替え、進んで御言葉に従う心です。
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アブラハム・イサク・エリエゼル・リベカのように、
進んで、喜んで御言葉に従う者となりましょう。


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