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主の判断基準に従って生きる人々の姿(創世記24:28–59)
고요한 2025-12-22 추천 0 댓글 0 조회 63

 

20230313早天祈祷会

聖書:創世記24:28–59(特に32–33、56–59)
題目:主の判断基準に従って生きる人々の姿
賛美:214

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


1.主の判断基準に従って生きる人々の姿

教会には、主の判断基準への従い方によって、大きく三種類のクリスチャンがいます。

  1. 自分の利益のために信じる聖徒
    自分にとって利益がなくなると判断したら、平気で教会を離れます。
    主権を自分に置き、自分の判断基準に従って生きています。

  2. 自分の判断基準に従って信じる聖徒
    主に主権を返して一生懸命に従いますが、
    自分に合わないと感じると、嫌々行うようになります。
    主が沈黙すると失望し、教会から離れることもあります。

  3. 神様の判断基準に従って信じる聖徒
    主が沈黙しても主にしがみつき、教会を離れません。


2.エリエゼルの姿

創世記24章33節で、エリエゼルは言いました。
「要件をお話しするまでは食事をいただきません。」

  1. 主人アブラハムの命令を最優先している
    中東の文化では、要件に入る前に食事をするのが普通です。
    しかしエリエゼルは常識に逆らってまでも、使命遂行を優先しました。

  2. 成功しても失敗しても自分は解放される立場だった
    花嫁探しが成功してもしなくても、エリエゼル自身は責任を果たしたことになります。
    頑張らなくてもよかったのですが、それでも彼は「必ず成功させたい」という思いを抱いていました。

  3. 神様に全面的に信頼している
    祈りの直後に、素晴らしい女性がやってきました。
    しかもその女性がアブラハムの親族であることが分かり、
    「この人こそ主が備えた方だ」という期待が高まりました。
    主の導きに興奮し、食事をしている場合ではなかったのです。

  4. すぐに主人のもとへ帰りたい
    主人の夢が自分の夢であり、主人の喜びが自分の喜びだったからです。


3.リベカの姿

創世記24:58でリベカは言いました。
「行きます。」

  1. リベカは素直に送り出されることに従った
    ラバンとベトエルがリベカを妻として送る決断をすると、
    彼女はその決定に素直に従いました。

  2. 10日間の滞在を求められたが、すぐ出発することを選んだ
    エリエゼルが翌日に出発しようとしたとき、
    ラバンとベトエルは「10日は一緒にいさせてほしい」と願いました。
    しかしリベカはエリエゼルの願いを受け入れ、すぐに従いました。
    嫌々ではなく、喜んで嫁ぐ先の都合を優先したのです。

  3. 人生の主権を移し替えた
    結婚を通して、リベカは自分の人生の主権を、
    ラバンとベトエルからエリエゼル、つまりアブラハムとイサクへと移しました。
    ここに真の信仰の姿があります。


4.アブラハムとイサクの姿

  1. アブラハム
    神様の命令どおりに、イサクをささげようとしました。

  2. イサク
    父アブラハムの言うとおり、祭壇の上に素直に登りました。

→嫌な命令でも、嫌々ではなく、自分の心を入れ替えて従うことの大切さを示しています。


5.私たちはどのように生きるべきか?

(1)妻にも3つのタイプがあるという例え

夫が外で別の女性と歩いていたという状況を例に考えると…

  1. 自分の目的が夫から得られないと判断したら離婚する妻

  2. 夫が納得できる説明をしないと離婚する妻

  3. 夫が沈黙しても夫を信じる妻

この三つは、先に述べた三種類の信仰姿勢と同じ構造です。


(2)ヨブの苦難

  1. 正しく生きていたのに苦難が起きた。

  2. 神様が沈黙していることに耐えられなかった。

  3. 心の中の高慢が現れた。
     最初は「主」と呼んでいたが、途中から「神」と呼ぶようになった。

→ヨブは主権を神に返して生きていましたが、
 神様の判断基準に完全には従いきれていなかったことが見えます。
→ヨブのような義人でも、苦難を通して神様の訓練を受けるのです。


(3)イエス様の苦難

  1. 自分の死を受け入れられず、苦しみながら祈られた。

  2. それでも十字架の死を受け入れ、従順に従われた。

  3. 嫌々ではなく、進んで十字架にかかられた。


(4)私たちに必要なこと

  1. 嫌々従う信仰生活は、神の判断基準に従っていない可能性がある。
    自分の判断基準を優先しているのかもしれません。

  2. 必要なのは、嫌なことでも主が望むなら、心を切り替え、進んで御言葉に従う心です。

  3. アブラハム・イサク・エリエゼル・リベカのように、
     進んで、喜んで御言葉に従う者となりましょう。

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