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共に上ろう!(創世記50:7-14)
고요한 2025-12-27 추천 0 댓글 0 조회 3

 

20230529早天祈祷会

聖書:創世記50:7-14
題目:共に上ろう!
賛美:246

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


1.本文解説

7節
ヨセフは父ヤコブを葬るために「上って」行きました。その行列には、パロのすべての家来、王宮の長老たち、さらにエジプト全土の長老たちまでもが加わっていました。

ここで使われている「上って行く」という言葉は、ヘブライ語で「アラー(Go up)」です。この言葉は創世記50章の中で8回も繰り返して使われています。
これは、カナンの地を中心として考える表現で、「ソウルに上がる」「東京に上がる」といった感覚に近いものです。私たちにとっても、神の国は「上って行く」場所なのです。

では、なぜパロの家来たちやエジプトの長老たちまでもが同行したのでしょうか。
ヤコブがエジプトに住んだ期間は17年間でしたが、その間に彼はエジプト人からも深く慕われていました。エジプト人はヤコブの死のために70日間も泣きました。これは、パロが亡くなったときの72日間に匹敵するほどの長さです。
それは、エジプトを救ったヨセフの父であったからです。ヤコブは、イスラエルの家族だけでなく、全エジプト人にとっても大切な存在でした。

8節
ヨセフの家族、兄弟たち、父の家族が共に上って行きましたが、幼い子どもたちと羊や牛はゴセンの地に残されました。
これは、子どもたちが葬儀の意味を十分に理解できないこと、また家畜をすべて連れて行く必要がなかったためだと考えられます。

9節
戦車と騎兵もヨセフに従って上って行き、その行列は非常に大きなものでした。
これは、重要人物を守るための護衛、いわばボディーガードとしての役割があったと考えられます。

10節
彼らはヨルダン川の向こうにあるアタデの打ち場に着き、そこで大いに嘆き、激しく悲しみました。ヨセフは父のために七日間、喪に服して泣き続けました。

この「アタデの打ち場」とは、士師記9章14〜15節にも出てくる言葉で、「いばらの木」を意味します。つまり、いばらのある麦打ち場、風通しが良く広い場所を指します。
マクペラの洞穴は畑の中にあり、大勢が集まるには適していなかったため、この場所が選ばれたと考えられます。

また、「ヨルダン川の向こう」とは、通常ヨルダン川の東側を指します。しかし、マクペラの洞穴はヨルダン川の西側にあります。
それにもかかわらず、わざわざ東側から西側へと入っていった理由として、神の国に入るときの象徴が挙げられます。エデンの園の入口、神殿の入口、約束の地の入口、東方の博士たちなど、神の国への入口は「東」から始まることが多いのです。

もしアタデの打ち場がヨルダン川西側にあったとすれば、エリコとヨルダン川の間に位置していたと考えられ、マクペラまでの距離はそれほど長くなかったでしょう。
七日間嘆いたことも、エジプト式の葬儀の影響であった可能性があります。

11節
この様子を見たカナン人たちは、「これはエジプト人の大いなる嘆きだ」と言いました。そのため、その場所は「アベル・ミツライム(エジプトの牧草地)」と呼ばれるようになりました。

葬儀がエジプト式であったため、地名もエジプトに由来する名前へと変えられたのです。

12〜13節
ヤコブの息子たちは、父が命じたとおりに行い、ヤコブをカナンの地へ運び、マクペラの畑の洞穴に葬りました。
この場所は、アブラハムがヘト人エフロンから正式に買い取った、イスラエルの家族の所有地でした。聖書は、確かにマクペラに葬られたことを丁寧に記録しています。

14節
ヨセフは父を葬り終えると、兄弟たち、そして共に葬儀のために上って来たすべての人々と共に、再びエジプトへ帰って行きました。
誰一人として、カナンの地にとどまろうとする者はいませんでした。それは、まだ神がイスラエルをカナンへ帰らせる時ではなかったからです。


2.ヤコブの葬儀から学ぶこと

ヤコブは、神の約束の地に埋葬されました。
息子たちだけでなく、多くのエジプト人も共に上って行きました。約束の地は、神の国の民にとって「上る」場所なのです。

私たちもまた、ヤコブのように、この地上の生涯を終えるとき、神の国へと入ります。そのとき、自分一人だけでなく、家族や隣人をも共に連れて行くことができたら、どれほど素晴らしいことでしょうか。
途中の形がエジプト式であったとしても問題ではありません。大切なのは、目的地である神の国に正しく入ることです。

イエス様も、復活後に弟子たちの前に現れ、「行って、すべての国の人々を弟子としなさい」と頼まれました(マタイ28:19)。
弟子たちだけが神の国に入るのではなく、多くの人を連れて来ることを願われたのです。

一方、パリサイ人たちは自分たちの救いと祝福に集中していました。しかし神様が望まれているのは、まだ救われていない人々のために福音を伝えることです。
兄弟の「へっチョリ」の例のように、私たちは身近な人を神の国へと導く使命を与えられています。

これは、犠牲と約束の上に成り立つ神様の愛を伝える働きです。


3.結び

ヤコブは17年間エジプトで暮らし、多くのエジプト人の信頼を得ました。そして約束の地へ上るとき、多くのエジプト人を共に連れて行きました。
400年後、モーセがイスラエルの民をカナンの地へ導いたときも、イスラエル人だけでなく、エジプトで共に生活していた人々が一緒に上って行きました。

ヤコブのように、そしてイエス様が願われたように、私たちが神の国へ上るとき、多くの人々を共に連れて行くことができるなら、それは神様にとっても、私たちにとっても大きな喜びとなるでしょう。​ 

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