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神様の愛(ホセア2:16–20)
고요한 2025-12-27 추천 0 댓글 0 조회 3

 

20230528青年部礼拝

聖書:ホセア2:16–20
題目:神様の愛
賛美:끝없는 사랑(尽きることのない愛)

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


はじめに

ホセア書は、「神様の愛とは何か」を、非常に生々しく、そして痛みを伴う形で私たちに示しています。
預言者ホセアは、不貞を繰り返す妻ゴメルに対して、夫として誠実に接し続けました。同じように神様は、不誠実な私たちに対しても、常に誠実であり続けておられます。

その愛は、私たちの不誠実さにもかかわらず、罪の代価と犠牲を神様ご自身が支払われるほどのものでした。神様は、私たちが神様を人格的に知り、その愛に誠実に応答することを、今も待っておられます。


1.人間の愛

まず、人間の愛の特徴について考えてみましょう。

近年、日本の若者の間で「蛙化現象(개구리화 현상)」という言葉が流行しています。これは、グリム童話の「カエルの王様」が元になった流行語です。
もともとは、「好きな相手が自分を好きだと分かった瞬間に冷めてしまう現象」を指していましたが、最近では「好きな相手のダサい部分を見て冷める現象」という意味で使われています。

たとえば、改札で引っかかる、小銭を数える、インスタグラムのストーリーがダサい、こうした些細なことが原因になります。この背景には、完璧主義や自己肯定感の低さがあると言われています。

このように、人間の愛は感情に左右されやすく、非常に不安定です。


2.神様の愛

それに対して、神様の愛はどうでしょうか。

イスラエルの民は、聖書の中でしばしば「浮気をする妻」として描かれます。その代表例が偶像崇拝です。
そしてこれは、イスラエルだけの問題ではありません。私たちクリスチャンも同じです。

主日礼拝、十分の一献金、奉仕、伝道といった信仰生活を持ちながら、実際には神様以外のものを優先して生きてしまう。
結婚しているのに、夫と会う時間に他の男性に会いに行く妻。
他の男性にはお金を使うのに、夫のためには使いたくない妻。
他の男性には親切なのに、夫のために犠牲を払うことを嫌がる妻。

これは、神様に対する私たちの姿と重なります。

それでも神様は、関係をやり直すことを望んでおられます。


3.預言者ホセア

ホセアは、アッシリア捕囚前のイスラエルで活動した預言者です。預言者とは、神様の言葉を預かり、人々に伝える者です。

しかしホセアの召命は、通常の預言者とは全く異なっていました。
神様は彼に、「淫行の妻と、淫行によって生まれた子らを受け入れよ」と命じられました(ホセア1:2)。

本来、預言者の召命は福音的で栄光ある働きです。また、結婚生活は、神様との正しい関係を学ぶための神聖な場所です。
それにもかかわらず、ホセアは最初から「うまくいくはずのない結婚」を命じられました。

ホセアはゴメルと結婚し、三人の子どもをもうけます。しかしゴメルは、夫と子どもを残して愛人のもとへ行ってしまいます。
夫に献身しようとしたものの、以前の人生に戻りたい誘惑に勝てなかったのです。
あるいは、ホセアの愛が本物なのか信じきれなかったのかもしれません。

その結果、ゴメルは奴隷となってしまいます。刺激的な場所には、必ず罠があります。

ホセアは、代価を支払ってゴメルを買い戻し、再び妻として迎えました。
裏切られたのはホセアであり、彼がゴメルを見捨てても何の非難もされなかったはずです。それでも彼は迎えに行きました。


4.神様の思い

なぜ神様は、ホセアにゴメルと結婚させたのでしょうか。
なぜ、再婚までさせたのでしょうか。
言葉だけで預言を語らせるのでは、なぜ十分ではなかったのでしょうか。

それは、神様がどれほどイスラエルを愛しているかを、目に見える形で伝えるためでした。
目に見えない神様の愛は、言葉だけでは理解しにくいからです。ホセアとゴメルの関係を通して、人々が神様の愛を知るためでした。

イスラエルが不誠実であっても、神様は代価と犠牲を喜んで支払われます。
イスラエルの不誠実さに対しても、神様は誠実に応答されます。

ゴメルは、自分の生き方の結果として奴隷になりました。しかし、自分で人生を変える力はありませんでした。他人に振り回されるだけの存在でした。
そのゴメルのために、ホセアが代価を支払ったのです。

イスラエルにも、自力で自由になる力はありません。しかし、神様にはそれができます。

この出来事は、この世の愛と神の国の愛の違いを明確に示しています。
この世の愛は、感じ方や感情という不安定な土台の上にあります。
一方、神の国の愛は、献身という土台の上にあり、時間制限がなく、一貫しています。

ただし、神様の愛に感情がないわけではありません。
「わたしの信頼するホセアよ、わたしのためにこの使命を背負ってくれるか」
そこには、神様の深い思いがあります。


5.イエス様の愛

この神様の愛は、イエス・キリストにおいて完成しました。

「キリストは、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました」(ガラテヤ1:4)。
イエスは、ローマの法にも、モーセの律法にも照らして無罪でした。逃げる力もありました。それでも十字架を選ばれました。

私たちの身代わりになるほど、愛してくださったのです。


6.私たちはゴメル

ホセアとゴメルの関係は、神様と私たちの関係そのものです。
しかし私たちは、自分がゴメルであることをなかなか認めようとしません。

それは、統制されないことを「自由」だと考える時代に生きているからです。
しかし実際には、犠牲があり、約束があるからこそ、私たちは平安を得ることができます。


まとめ

神様の愛と人間の愛は、根本的に異なります。
人の愛は感情を土台とし、脆く、長続きしません。
神様の愛は、犠牲と約束を土台とし、固く、永遠に続きます。

神様は、罪のために苦しむ私たちを訪ね、大きな代価を支払ってくださいました。
不誠実な私たちを誠実に愛し続け、命を与えてくださったのです。

では、その命を受け取った私たちは、どのように生きるべきでしょうか。
神様が、ホセアが、そしてイエスがしたように、私たちも他者を訪ね、愛することを期待されています。
感情的な愛着ではなく、代価と犠牲を伴う愛で隣人を愛することです。

ホセアを通して示された神様の愛を覚え、 

私たち自身もゴメルのように救われた存在であることを、決して忘れないでください。​ 

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