20230619早天祈祷会
聖書:出エジプト6:28-7:7
題目:あり得ない状況を作る神様
賛美:440
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書朗読(出エジプト6:28–7:7)
主がエジプトの地でモーセに語られたその日、
主はモーセに仰せられた。
「わたしは主である。わたしがあなたに語ることを、すべてエジプトの王パロに語りなさい。」
しかしモーセは主の前で言った。
「ご覧のとおり、私は口下手です。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょうか。」
主はモーセに言われた。
「見よ。わたしはあなたを、パロに対して神のような者とする。あなたの兄アロンは、あなたの預言者となる。
あなたは、わたしがあなたに命じることをすべて、兄アロンに告げなさい。アロンはそれをパロに告げ、イスラエルの子らをその地から去らせるであろう。
しかし、わたしはパロの心を頑なにし、わたしのしるしと不思議をエジプトの地で多く行う。
パロはあなたがたの言うことを聞かない。そこで、わたしはエジプトに手を下し、大きなさばきをもって、わたしの軍勢、すなわちわたしの民イスラエルの子らを、エジプトの地から導き出す。
わたしがエジプトの上に手を伸ばし、イスラエルの子らをその地から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るであろう。」
モーセとアロンは、主が彼らに命じられたとおりに行った。
彼らがパロに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。
1.本文解説
28節
「主がエジプトの地でモーセに語られた日」
神様は、ミデアンの地で語られたことを、エジプトでも同じように語っておられます。
モーセは、同じ言い訳を何度も繰り返しており、読んでいる側が混乱するほどです。
しかしそのたびに、神様も同じことを繰り返し語られています。
29節
「わたしは主である。わたしが語ることを、すべてパロに語りなさい」
神様は理由や詳細な計画を説明する前に、まず「わたしは主である」と宣言されました。
それは、「主人であるわたしが語るのだから、あなたは従いなさい」という意味です。
モーセは、嫌でも、すべてをパロに語らなければなりませんでした。
30節
モーセは言いました。
「私は唇に割礼のない者です。どうしてパロが私の言うことを聞くでしょうか。」
ここで言う「唇に割礼のない者」とは、話すことにおいて不完全な者、口下手であるという意味です。
モーセは言い訳をして、パロの前に立つことを避けようとしています。
自分の期待が外れ、神様が見えなくなると、自分の弱さばかりが大きく見えてしまうのです。
7章1節
主は言われました。
「見よ。わたしはあなたをパロに対して神のような者とする。アロンはあなたの預言者となる。」
ここで神様は、モーセが神様の役割を果たし、アロンがモーセの代弁者になると語られています。
モーセが何度も言い訳をするのに対し、神様も何度も同じ励ましを与えておられます。
2節
神様は、これから起こる未来をすでに見通して語られます。
モーセはアロンに語り、
アロンはパロに語り、
そして最終的に、パロはイスラエルの民を去らせることになります。
すべては、神様がすでにご存じの未来です。
3節
「わたしはパロの心を頑なにする」
これは、すでに一度モーセに語られていたことですが、弱気になったモーセに、神様はもう一度はっきりと伝えています。
パロが勝手に行動しているのではなく、そこにも神様の御手が働いていることを強調しています。
4節
「パロはあなたがたの言うことを聞かない」
これは驚くべきことではなく、すべて想定内であると言っています。
神様は、エジプトに裁きを下し、その中でイスラエルの民を導き出すと、あらかじめ語っておられます。
だから、これから起こる出来事に、必要以上に驚く必要はありません。
5節
神様がエジプトの上に手を伸ばし、イスラエルの民を導き出すとき、
エジプト人でさえ、主が神であることを知るようになります。
この出来事は、イスラエル人のためだけでなく、エジプト人が神様を知るためでもあったのです。
6節
モーセとアロンは、命じられたとおりに行いました。
彼らは気持ちを切り替え、神様の命令に従いました。
勝利の秘訣は、自分が何を持っているかではなく、従う心にあります。
7節
モーセは80歳、アロンは83歳でした。
この年齢での召命は、人間の力ではなく、神様の力によって行われたことを明らかにします。
すべては、人間の努力ではなく、神様の御業なのです。
2.あり得ないこと
神様は、あえて「あり得ない状況」を作られるお方です。
パロの心がますます頑なになること。
無職の者がエジプトの王に会いに行くこと。
80歳の老人が戦いに出ていくこと。
これらはすべて、人間の常識では考えられない状況です。
しかしそれは、「主がおられる」ということを明らかにするためです。
イエス様の十字架の死
イエス様は、ユダヤ法でもローマ法でも明らかに無罪でした。
本来、安息日の関係で十字架刑は行われないはずでした。
さらに、十字架刑は通常、数日かけて衰弱し、窒息死に至る刑でした。
それにもかかわらず、イエス様は一日で亡くなりました。
これらすべては、旧約聖書の預言が成就するためでした。
モーセの困惑
モーセは、自分の考えとは違う結果に、ずっと困惑し続けています。
しかし神様は、すべてが想定内であることを繰り返し伝えています。
私たちも、神様の言葉に従っているはずなのに、想定外のことが起こると驚いてしまいます。
しかし、すべては神様の想定内であることを忘れてはいけません。
私自身の人生
私は牧師になりたくありませんでした。
アメリカにも行きたくありませんでした。
35歳で仕事を辞めるのは危険だと思っていました。
それでも、アメリカで神学を学び、牧師になりました。
これは、神様が生きておられるとしか言いようがありません。
3.覚えておくべきこと
神の民の生活
私たちは、自分の考えられる範囲の中で生きようとします。
しかし、神の民は、神様の考えの範囲で生きる者です。
だからこそ、人間の想像を超えた出来事を、神様によって体験することができます。
心構え
物事が自分の想定内で進んでいるかどうかよりも、大切なことがあります。
それは、神様の言葉に従順に従っているかどうかです。
モーセのように、結果に縛られて立ち止まってしまうのは、非常にもったいないことです。
結び
私たちの想像を超えて働かれる神様を信頼して、
その神様とともに、人生を歩んでいきましょう。
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