20230623金曜祈祷会
聖書:列王記上22:5ー7
題目:悔い改めた後の訓練
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
中心メッセージ
神の義を最優先させる訓練をしよう。
訓練を受けた者こそが、その国の祝福を楽しむことができる。
祈り(導入)
愛する天の神様、感謝いたします。
今日、私たちはすべてにおいて神様を優先し、教会に集いました。
さまざまな誘惑や試練を乗り越えてここに来ることができたことを感謝します。
私たちは、主の導きなしには生きていけない存在です。
自分の義ではなく、私たちを救ってくださった神様の義を立てる僕として生きることができるよう助けてください。
今日の祈祷会にも主が共にいてくださることを感謝し、
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
聖書朗読
Ⅰヨハネ3章10節
「こうして、神の子どもたちと悪魔の子どもたちとは明らかになります。
すなわち、義を行わない者、また兄弟を愛さない者は、神に属していません。」
1.文化や習慣の違いから学ぶ「訓練」の必要性
国が変われば、文化や習慣も大きく異なります。
たとえば、スクールバス。
日本では特別な決まりはありませんが、アメリカでは子どもが乗り降りしている間、反対車線を含むすべての車が必ず停止しなければなりません。
13歳未満の子どもについても違いがあります。
日本では、子どもが一人で電車に乗って通学することは珍しくありません。
しかしアメリカでは、13歳未満の子どもを一人で外出させたり、留守番させたりすることは許されていません。
また、チップの習慣もあります。
日本にはチップ文化はありませんが、アメリカでは料金の15〜20%を専属のウェイターに支払うのが当然とされています。
このように、その国で生きるためには、その国のルールに従わなければなりません。
最初は慣れなくても、訓練が必要です。
そして、訓練された者こそが、その国での生活を本当の意味で楽しむことができるのです。
2.アハブ王の最後から学ぶ
① 改心後のアハブ
アハブ王は悔い改めた後、3年間の平和の時を与えられました。
しかしその間、神の民としての訓練を受けることができませんでした。
自分の欲を捨てることができなかったからです。
彼は、ラモテ・ギルアデを奪還するために、ダマスコとの戦争を決断します。
そこは逃れの町がある場所であり、正当性のある戦争のようにも見えました。
しかし、その背後にはこの世の富への欲が見えていました。
ユダの王ヨシャパテが訪問した際、アハブは援助を要請します。
ヨシャパテは「私はあなたと一つです」と答えました。
② 神様に尋ねる姿勢
信仰の篤いヨシャパテ王は、「まず主(エホバ)に尋ねるべきだ」と提案しました。
それに対し、アハブ王はお抱えの預言者約400人を集めました。
彼らは王を喜ばせるため、「主(アドナイ)がそう言われた」と口をそろえて戦争賛成の預言をします。
しかし、ヨシャパテ王はそこに違和感を覚え、
「他に主の預言者はいないのか」と求めました。
※ユダヤ人の考えでは、満場一致の決定は無効とされます。
③ 異なる預言
そこで呼ばれたのが、預言者ミカヤでした。
ミカヤはいつも厳しい預言をするため、アハブは彼を呼びたくありませんでした。
最初、ミカヤは皮肉を込めて戦争に賛成します(22:15)。
それは、使いの者が「良いことを言ってほしい」と頼んだからです。
しかしアハブ王はそれが皮肉だと見抜き、真実を語るように求めました。
④ 預言者ミカヤの言葉
ミカヤは、天における主なる神の会議の様子を語ります。
「誰がアハブをラモテ・ギルアデに行かせ、倒れさせるか」という問いが出され、
戦争に出ればアハブは必ず死ぬ、という神のご計画が示されました。
悪霊が、偽りの預言者たちを用いてアハブを戦場に向かわせることが許されました。
ここから分かるのは、悪霊でさえも神様の許可なしには何もできない、ということです。
⑤ 偽預言者ゼデキヤとアハブの選択
偽預言者ゼデキヤはミカヤの頬を打ち、彼を非難しました。
アハブは偽預言者たちの言葉を信じ、ミカヤを牢に入れました。
神様は、ミカヤを通して再び悔い改めの機会を与えられましたが、
アハブはそれを拒み、戦争に出て行きました。
彼は神の言葉を無視し、神の憐れみに気づくことができませんでした。
アハブはすでに、神の声が届かない場所へ戻ってしまっていたのです。
⑥ アハブの知恵と結末
アハブは自分の身を守るため、
ヨシャパテに王の服を着せ、自分は変装して戦場に出ました。
攻撃をヨシャパテに集中させ、自分は安全を確保しようとしたのです。
しかし、アハブに憎しみを抱いていたベネ・ハダデの軍によって見破られ、
名もなき兵士が放った一本の矢によって命を落としました。
どれほど知恵を働かせても、神様の許しがなければ命を保つことはできません。
アハブは神様を無視した結果、自ら災いを招き、倒れたのです。
3.アハブの問題点
① 努力しなかった
ヘブル書12章14節には、
「自ら清くなるように努めなさい。清くならなければ、誰も主を見ることはできません」とあります。
アハブは悔い改めた後、神の義によって清くなる努力をしませんでした。
悔い改めとは、神の義を最優先させることです。
彼はその訓練を怠りました。
② 自分の義は神の義と衝突する
パウロはローマ10章3節で、
「彼らは神の義を知らず、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかった」と語っています。
自分の義を第一に考える人は、神の国にふさわしくありません。
私たちは、自分の義を優先する生き方をやめなければなりません。
③ ラモテ・ギルアデが欲しいのか
それは本当に神様の御心なのか、それとも自分の考えなのか。
自分の栄光ではなく、神様の栄光になるかどうかを考える必要があります。
自分の喜びのためだけなら、立ち止まるべきです。
4.まとめ
① 悔い改めた後、どう生きるのか
アハブは、自分を喜ばせるために自分の法に従って生き続けました。
一方、ヨシャパテは、神様を喜ばせるために神様の法に従って生きました。
自分のために生きる人は、どれほど賢く生きてもアハブのように命を失います。
しかし、神様のために生きる人は、騙されることがあってもヨシャパテのように命を得ます。
② 神の国の民として生きるために
私たちは、
神様に尋ねること(聖書を読み、祈ること)、
自分の義ではなく神様の義に合わせる訓練をすることが必要です。
神の義を最優先して生きるとき、
主の恵みと祝福が必ず与えられます。
結びの祈り
アハブのように自分の義を立てるのではなく、
ヨシャパテのように神様の義を立てる聖徒となれるよう祈りましょう。
さまざまな考えがあっても、自分の考えを下ろし、
神様の考えを喜んで選び取ることができる者となれるよう、祈りましょう。


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