20230625早天祈祷会
聖書:出エジプト8:20-32
題目:蝿の大群
賛美:338番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説
20節
主はモーセに言われました。
「朝早く起き、川のほとりに出て来るパロの前に立ちなさい。そして言いなさい。
『主はこう仰せられる。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい』」
ここで注目すべき点は、「朝早く」「水のところ」です。
パロはこの時間帯、水のところで自分の神に礼拝していたと考えられます。
また、ここには十の災いの法則が見られます。
災いは「三つ一組が三セット、そして最後に一つ」という構成になっています。
各セットの最初の災いでは、モーセが朝早くパロの前に立ちます。
水を血に変える最初の印も、朝早く行われました。
さらに、各セットの一番目と二番目には警告があります。
蛙の災いにも警告はありましたが、時間は明記されていません。
しかし三番目の災いは、警告なしに突然行われました。
21節
「もし、わたしの民を去らせないなら、あなたとあなたの家来、あなたの民、あなたの家々にアブの群れを送る。エジプト中の家々はアブで満ち、彼らの住む土地もそうなる」
ここで出てくる「アブ」は、日本語では吸血性の蝿を指します。
英語や韓国語では単に「蝿」と訳されます。
ヘブル語では「アローブ」と呼ばれ、吸血性の蝿と通常の蝿、両方を含む言葉です。
蝿には意外な有用性があります。
死体に集まる蝿の状態から死亡時期を推定することができ、
また、蛆を使って腐った傷口をきれいにすることもあります。
しかし、なぜ神様は蝿を用いられたのでしょうか。
それは、エジプトでは昆虫が崇拝されていたからです。
蝿には「死を命に変える力がある」と信じられていました。
神様は皮肉を込めて、「昆虫を信頼するなら、その望み通り与えよう」と示されたのです。
22節
「その日、わたしはわたしの民の住むゴセンの地を区別し、そこにはアブの群れを入れない。こうして、わたしがこの地で主であることを、あなたが知るようになる」
ここから区別が始まります。
イスラエル人とエジプト人の間に明確な違いが設けられました。
これは、
・イスラエルの神がゴセンの地におられることを示すため
・災いが偶然ではなく、神の御手によって完全に支配されていることを示すためです。
本来なら、家畜を多く飼っているゴセンの地の方が、蝿は多く発生するはずでした。
23節
「わたしは、わたしの民とあなたの民を区別する。このしるしは、明日起こる」
ここでは、あり得ないことが起こります。
蝿を嫌い、蝿が多く発生するはずのイスラエル人の地には蝿がいなくなり、
蝿を神聖視し、蝿が少ないはずのエジプト人の地が、蝿に襲われるのです。
24節
おびただしい数の蝿が、パロの宮殿、家来の家、エジプト全国に広がり、
その地は蝿によって荒れ果てました。
これは第四の災いの始まりであり、主の言葉どおりに起こりました。
メソポタミアでは、蝿は死の神ネルガルの象徴で、
死や腐敗を連想させるネガティブな存在でした。
一方、エジプトでは、蝿は忍耐と勇気の象徴であり、
神聖な存在として首飾りにも使われていました。
死や腐敗を運ぶ存在とは考えられていなかったのです。
そのため、蝿が群がって地を荒廃させるという現実は、
エジプト人にとって計り知れない衝撃でした。
25節
パロはモーセとアロンを呼び、
「国内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」と言いました。
これはパロの第一の提案です。
国外に出れば逃げられる可能性があるため、
貴重な労働力を失いたくなかったのです。
26節
モーセは答えました。
「それはできません。エジプト人が嫌うものを犠牲としてささげるからです。
もしそうすれば、私たちは石で打たれるでしょう」
エジプト人の嫌うものとは、牛でした。
27節
モーセは続けて言います。
「三日ほど荒野に行き、私たちの神、主に犠牲をささげ、
主が命じられたとおりにしなければなりません」
ここでモーセは一切妥協しません。
神様の命令を絶対に守る姿勢を貫きました。
危険があっても、妥協してはならなかったのです。
28節
パロは言いました。
「よい。ただし、あまり遠くへ行ってはならない。私のために祈りなさい」
これは第二の提案です。
国外へ出ることは許しましたが、三日間の旅は認めていません。
29節
モーセは答えました。
「私はあなたのもとを去り、主に祈ります。
明日には蝿の群れは去るでしょう。
ただし、もう一度私たちを欺き、民が主に犠牲をささげに行くのを妨げないでください」
国外への許可が出たため、モーセは蝿を取り除くことを約束しました。
しかし、再び騙さないよう、強く念を押しました。
30〜31節
モーセがパロのもとを去り、主に祈ると、
主はその祈りに応え、蝿の群れを一匹も残さず取り除かれました。
32節
しかしパロは、この時も心を頑なにし、
民を去らせませんでした。
災いが去ると、再び心を閉ざしたのです。
2.この箇所から学ぶこと
第一に、神様の計画には秩序があり、決して行き当たりばったりではないということです。
うまくいかないから次の手段に切り替えたのではありません。
「イ」がだめだったから「蝿」になったのではなく、
すべては初めから神の計画の中にありました。
第二に、私たちのなすべきことです。
私たちは、神の計画に従順に従うべきです。
うまくいっていないように見えても、従うことが求められます。
妥協してはいけません。
結果を作られるのは神様です。
第三に、結果よりも、神様のための決断をしているかどうかが問われます。
「何をするにも、神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリント10:31)
「主はあなたに、正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むことを求めておられる」(ミカ6:8)
重要なのは結果ではなく、動機です。
御霊の実を求めることは、人生が変えられることを望むことですが、
それは人間の力で成し遂げられるものではありません。
私たちの努力は、結果を生み出すためではなく、
神様の前で正しい決断をするためのものなのです。
3.まとめ
良い結果のためではなく、神様のための決断をするべきです。
結果にこだわると、必ず妥協が生まれます。
この世と妥協してはなりません。
神様の計画が必ず成し遂げられることを信じ、
そのご計画に参加する者となりましょう。


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