20230702青年部礼拝
聖書:エレミヤ1:5-8
題目:使命に生きること
賛美:송축해 내 영혼(10,000 Reasons)
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
はじめに
私たち一人ひとりには、生まれる前から神様によって用意された計画があります。
私たちがその神様の計画の中を歩むとき、人生に立ちはだかる障害物は、神様ご自身が取り除いてくださいます。
今日は、預言者エレミヤの召命を通して、**「使命に生きる人生」**とは何かを学びたいと思います。
1.預言者エレミヤとは誰か
エレミヤは、祭司の家系に生まれた人物でした(1章1節)。
祭司の家系には、モーセ、サムエル、エゼキエル、そして洗礼者ヨハネのような人物がいます。
祭司とは、伝統を守る保守的な家系であり、秩序や律法を重んじる立場にありました。
一方で、預言者は伝統に縛られず、神の言葉を語るために時代に切り込む、革新的な存在です。
ホセアのように、常識では理解できない方法で神の心を伝える者もいました。
エレミヤは、その両方の背景を持つ人物だったのです。
エレミヤは、エルサレムの北東約5kmにあるアナトテという寒村の出身でした。
この地は、かつて祭司エブヤタルが住んでいた場所です。
エブヤタルは、サウル王による祭司虐殺の生き残りであり、ダビデに仕えましたが、後にアドニヤ側についたため、ソロモンによって追放されました。
そのため、アナトテは祭司職を継ぐ者にとって不名誉な土地でもありました。
エレミヤが活動した時代は、ユダの王ヨシヤの時代から、国が滅亡するまでの非常に不安定な時代でした(1章2〜3節)。
エジプトとアッシリアの残存勢力、そしてバビロニアという大国に挟まれ、国は揺れ動いていました。
善王ヨシヤの死後、人々は再び偶像礼拝に戻り、神の言葉を無視するようになります。
神様はついに、「モーセとサムエルがとりなしても、私はこの民を追い出す」と語られました(15章1節)。
そのような絶望的な時代に、エレミヤは召されたのです。
2.エレミヤの召命から学ぶこと
まず神様は、エレミヤにこう語られました。
「わたしはあなたを母の胎に形づくる前からあなたを知り、あなたが生まれる前からあなたを聖別し、国々への預言者として定めていた」(1章5節)。
これはエレミヤだけの言葉ではありません。
私たち一人ひとりも、生まれる前から神様の計画の中にあります。
私たちは、自分の好き勝手に生きるために造られたのではありません。
偶然生まれ、偶然死ぬ人は一人もおらず、すべては神様の御手の中にあります。
しかしエレミヤは、「私は若者にすぎず、どのように語ればよいか分かりません」と答えました(1章6節)。
彼は自分の欠点、限界、未熟さに目を向けていました。
すると神様はこう言われます。
「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、あなたを救い出すからだ」(1章8節)。
神様は、エレミヤ自身を見るのではなく、神様ご自身に目を向けるように導かれました。
神様の計画に従って生きるとき、必ず神様の助けがあります。
逆に、神様の計画から外れた生き方を選ぶなら、神様が助ける理由はありません。
神様の計画に生きる人は、神様の力によって生きるようになるのです。
さらに神様は、「わたしがあなたを遣わすところへ行き、命じることをすべて語りなさい」と言われました(1章7節)。
私たちの人生の目的は、御言葉を述べ伝えることです。
アブラハムには「地のすべての民族は、あなたによって祝福される」と語られ、
イエス様は「行って、すべての民を弟子としなさい」と命じられました。
結婚も、聖書も、教会も、私たちがこの世で豊かに暮らすためだけのものではありません。
イエス・キリストの死は、私たち自身の救いのためだけでなく、他人の救いのためでもありました。
人間は自分のためではなく、他人のために造られています。
造られた目的に逆らって生きると、どれだけ努力しても報われません。
それは、陸に上がろうとする魚のようなものです。
3.私たちはどのように生きるべきか
この世の人は、自分のために生きます。
高い能力を身につけ、多くの財産を得ることが成功とされ、自分のやりたいことが使命だと考えます。
持つ者が幸せで、持たない者は不幸だと考え、実力と運がすべてだと思っています。
そのため、人々は自分の傷や欠点を隠し、幸せなふりをして生きています。
一方、キリスト者は人のために生きます。
先に救われた者として、まだ救われていない人々のために生きるのです。
神様から与えられた使命に生き、神様に認められる人生です。
持つ者も、持たない者も、主と共にいることで幸せになります。
傷や欠点さえも、神様の計画の中で用いられます。
神様の計画に合わせて生きるとき、人生の意味を知ることができます。
ここで、私自身の体験をお話しします。
以前の私は、不満ばかりの人生を送っていました。
父親に対しては、「怒りっぽい」「分かってくれない」「なぜ日本の捨てられた地域なのか」と怒りを抱いていました。
神様に対しては、「祈りを聞いてくれない」「偽りの信徒ばかりだ」と感じていました。
自分自身に対しては、心が弱く、自信がなく、秘密にしたいことが多くありました。
しかし、自分のためではなく、神様のために生きると決めたとき、人生が変わりました。
神様を通して、物事や人が見えるようになったのです。
イェナを通して、人のために考えることの楽しさを学びました。
キンゴン牧師を通して、人の目を気にせず、神様の力で生きる喜びを知りました。
今では、感謝の人生を歩んでいます。
父親の人生を知り、許す心が与えられました。
祈りが聞かれないと感じる時でも、神様が私にしてくださったことが見えるようになりました。
自分の傷や弱さを見せても大丈夫だと思えるようになりました。
4.涙の預言者エレミヤは後悔したのか
エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれます。
しかし、その涙は自分を悲しむ涙ではなく、人々を悲しむ涙でした。
彼は最も迫害を受け、苦しんだ預言者です。
イザヤは国がまだ助かる猶予のある時代に仕え、妻もいました。
エリシャには多くの仲間がいて、多くの奇跡が与えられました。
それに比べると、エレミヤは「席を間違えて座った」「間違えて指された」ように思えるかもしれません。
しかしエレミヤは、神様がどれほど自分を愛し、民を愛しておられるかを知ってしまったのです。
自分中心の考えでは背負えない重荷でも、使命を持つ人にとっては意味ある人生になります。
それは、出産の苦しみを経て命を産み出す母親のようなものです。
5.まとめ
私たちは、どんな人生を送るでしょうか。
自分しか知らない時、人生は不満だらけです。
「なぜ神様は助けてくれないのか」
「なぜ周りは悪い人ばかりなのか」
「なぜ自分はこんなにも無力なのか」
そうして、傷や欠点を隠して生きる人生になります。
しかし、神様を知り、他人のために生きると、人生は意味あるものになります。
神様がどれほど自分を愛しているかを知り、
これまでの人生の出来事の意味が見えてきます。
「どのように生きるか」よりも、「なぜ生きるか」をはっきりさせることが大切です。
世間が望むものを手に入れるよりも、自分の存在の意味を知る方が、はるかに幸せです。
神様の計画の中で、使命を持って生きていきましょう。


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