20231001青年部礼拝
聖書:エステル4:13–17
題目:心を一つに
賛美:하나님의 부르심
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
質問:あなたの教会に集まる理由は何ですか?
はじめに(主題)
エステルは、自分が得た地位や立場を、自分自身の平穏な暮らしのためではなく、民の救いのために用いる決断をしました。彼女は自分の人生を懸けて民と心を一つにし、神様の救いの計画に参加したのです。
同じように、私たちが持っているもの、与えられている環境や能力も、自分の安定や満足のためだけにあるのではありません。それらは、人々の救いのため、神様の救いの計画に用いられるために与えられたものです。私たちは自分の人生を懸けて聖徒たちと心を一つにし、神様の救いの計画に参加するよう招かれています。教会は、そのために存在しています。
1.教会とは何か
① なぜ教会に集まる必要があるのか
現代では、オンライン礼拝も普及し、家にいながら礼拝することも可能になりました。そのため、「家でも礼拝できるなら、わざわざ教会に集まる必要はないのではないか」と考える人もいます。
しかし、教会に集まる理由は、礼拝をささげることだけではありません。教会に集まり、心を一つにして果たすべき使命があるのです。
② 教会の宣言(マタイ16:13–20)
イエスは弟子たちに「あなたがたは、わたしを誰だと言うか」と問われました。ペテロは「あなたは生ける神の子キリストです」と告白しました。
それに対してイエスは、「あなたは幸いである。これは天の父があなたに示されたのだ」と言われ、さらに「わたしはこの信仰告白の上に、わたしのエクレシア(教会)を建てる。黄泉の力もそれに打ち勝つことはできない」と宣言されました。そして、天国の鍵が与えられることが語られました。これは、ダビデの鍵(イザヤ22:22、黙示録3:7)を背景とする表現です。
③ エクレシアとは何か
エクレシアとは、ギリシャ語で「集会」「呼び出された者たち」という意味を持ちます。この世から呼び出され、天国の鍵を託された人々の集まりです。それは建物そのものを指すのではなく、神様に召された人々の共同体を指します。ここで言う教会は、特定の地域教会(ローカル・チャーチ)に限定されない、普遍的教会(ユニバーサル・チャーチ)を意味しています。
つまり教会とは、死に打ち勝つ福音を人々に伝えるために集められた者たちの集まりです。
ローマ・カトリックでは、ペテロを初代教皇とし、サン・ピエトロ大聖堂を最初の教会と理解し、天国の鍵が教皇に独占的に与えられていると解釈します。
一方、プロテスタントでは、ペテロ個人の上ではなく、ペテロの信仰告白の上に建てられた人々の集まりを教会と理解します。天国の鍵は一人に与えられたのではなく、同じ信仰告白に立つすべての者に与えられているのです。
教会とは、救われた者が、まだ救われていない者のために集まる場所なのです。
2.エステルの行動
① エステルという人物
エステルは孤児であり、叔父モルデカイに育てられました。ペルシャの地で、ユダヤ人であることを隠して生きる外国人でしたが、紀元前479年頃、その若さと美しさによって、アハシュエロス王の王妃となります。
彼女の人生には、「神に捨てられた」と感じてしまうような要素が多くありました。
② アハシュエロス王
アハシュエロス王(ギリシャ名クセルクセス)は、ダレイオス王の息子で、キュロス王の系譜に属します。外見にも恵まれ、人の意見を尊重する性格を持っていたと考えられます。
紀元前480年のギリシャ遠征では、テルモピュライの戦いやサラミスの海戦などで敗北し、後世では否定的なイメージが強くなりました。また、王妃ワシュティは王命を拒んだため、戦争前に追放されました。
③ モルデカイ
モルデカイは、かつて王の暗殺計画を未然に防いだ門番でした。しかし、ハマンに跪かなかったために恨みを買い、その結果、ユダヤ人殲滅計画が立てられてしまいます。
④ ハマン
ハマンはその能力によって王の信頼を得たペルシャ帝国の実質的ナンバー2でした。彼は出エジプトの際、イスラエルを最初に攻撃したアマレク人の子孫です。
自分を特別扱いしないモルデカイに激しい怒りを抱き、王と国のためという名目で、ユダヤ人殲滅計画を進めました。定められた日にユダヤ人を捕らえ、財産を没収するという内容でした。
⑤ 使命に動く人々
王の名で出されたお触れに、人々は絶望しました。しかしモルデカイは調査し、その元凶がハマンであることを突き止めます。そしてエステルに助けを求めましたが、彼女は当初、方法がないとして断りました。
それに対してモルデカイは、「王宮にいるから助かると思ってはならない。あなたが黙っていても、救いは他のところから起こるが、あなたとあなたの家は滅びる。あなたが王妃となったのは、この時のためではないのか」と語ります。
エステルは決断し、「すべてのユダヤ人を集め、私のために三日三晩断食してください。私も断食し、死ぬ覚悟で王のもとへ行きます」と答えました。
⑥ ここから分かること
私たちには、神様の計画の中で与えられた役割があります。モルデカイが門番であったこと、ハマンが元凶であると知ったこと、エステルが王妃として宮廷にいたことは、偶然ではありません。
しかし同時に、神様の計画は特定の人に依存するものではありません。もし彼らが拒否しても、神様は別のところから人を立てて、ご自身の計画を成し遂げられます。
それでもエステルは、神様の計画に参加することを選びました。断食し、死を覚悟して王の前に進み、神様の栄光が現される計画に加わったのです。
これは、神様の主権的な計画の中で、与えられた場所と役割を果たして生きるという、クリスチャンの姿そのものです。
3.ゲッセマネにおけるイエスの祈り(ヨハネ17章)
① 最後の祈りの内容
イエスは、「彼らを世から取り去ってください」とは祈らず、「悪しき者から守ってください」と祈られました(ヨハネ17:15)。私たちがすぐに天に移されないのには理由があります。
また、「彼らが皆一つとなるためです。それを見て世があなたがわたしを遣わされたことを信じるためです」と祈られました(ヨハネ17:21)。教会が一つになる姿を通して、世はイエス・キリストを見るのです。
さらに、「あなたがわたしを愛された愛を、世が知るためです」と祈られました(ヨハネ17:23)。教会を通して、世は神様の愛を知ることになります。
② 教会に集まる理由
教会に集まる目的は、ただ礼拝することだけではありません。礼拝は人生の目的ですが、教会の最終目的ではありません。救われた者だけが集まり、恵みを受けて終わる場所ではないのです。
教会とは、先に救われた者が、まだ救われていない者のために集まる場所です。未熟な人々がいるために、教会が世の中以上に問題を抱えることもあります。しかし、その人々を成熟させ、救いへと導くことが教会の使命です。奉仕や伝道のない教会は、本来の教会の姿ではありません。
教会に集う私たちは、建物に縛られるのではなく、教会の一部として集まることが求められています。それぞれに与えられた賜物を用い、役割を果たすためです。
確かに、あなたがいなくても神様の計画は進みます。しかし、神様があなたに与えた環境と能力、そして使命があることを忘れてはなりません。教会は、その使命を果たすために存在しています。
エステルのように、心を一つにする選択をしてください。教会とは、福音を宣べ伝える使命を持った人々の集まりなのです。
4.まとめ
エステルは、自分に与えられた能力や地位が、神様の計画の中にあることを理解しました。同時に、自分が拒否しても神様の計画は止まらないことも知っていました。それでも彼女は、命を懸けて人々と心を一つにし、神様の計画に参加する道を選びました。
私たちが先に救われたのも、自分の努力や才能によるものではなく、神様の計画によるものです。私たちが教会に集っていることも、神様の導きの中にあります。
確かに、私たちが奉仕しなくても、神様の計画が止まることはありません。しかし、その上で、ぜひ教会の働きに参加してください。そうする時、エステルのように、神様の栄光を表す存在として生きることができます。それ以上に喜びに満ち、意味のある生き方はありません。
私たちの教会が、単なる建物ではなく、人々をキリストへと導く教会となりますように。


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