20231119青年部礼拝
聖書:ネヘミヤ8:9
題目:御言葉で悔い改めよう!
賛美:비 준비하시니
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.はじめに(礼拝の主題)
不可能にも思える状況の中で、エルサレムの城壁は完成しました。その完成を目の当たりにした民は、律法の言葉を聞くために自ら集まり、深く悔い改めました。その結果、彼らの心には感謝が溢れ、使命感に燃える存在へと生まれ変わっていきました。
周囲の環境が変わったことは、あくまで一つの「きっかけ」にすぎません。問題の本質は、常に自分自身の内側にあります。生まれ変わるために、私たちはまず集まり、御言葉を聞き、悔い改める必要があるのです。
問い:あなたの生活の中で、御言葉を聞くことを邪魔しているものは何ですか。それをどのようにすれば取り除くことができるでしょうか。
2.聖書朗読(ネヘミヤ記 8章9節)
「総督であるネヘミヤと、祭司であり学者であるエズラと、民を教えるレビ人たちは、すべての民に向かって言った。『今日は、あなたがたの神、主の聖なる日である。嘆いたり、泣いたりしてはならない。』民が皆、律法の言葉を聞いて泣いたからである。」
3.前回のおさらい
前回は、エルサレムの城壁再建に至るまでの流れと、その背後にある神様の導きについて学びました。人の力では到底不可能に思える状況の中で、神様はご自身の計画を確かに成し遂げられました。
4.城壁完成後の民の動き
① 水の門の広場に集まった民(8:1)
城壁工事という不可能にも思えた働きが完成した時、民の心は一つにされました。彼らは皆、一人の人のようになって、水の門の広場に集まりました。
水の門に集まったことは、魂(ネフェシュ)の渇きを象徴しています。神殿ではなく広場に集まった理由としては、祭司長との関係や人数の多さなど、さまざまな事情が考えられますが、重要なのは「神の言葉を求めて集まった」という事実です。
② 自ら律法を求めた民(8:1〜3,7)
民は、学者エズラにモーセの律法の書を持ってくるよう求めました。それは義務ではなく、自発的な願いでした。
彼らは夜明けから正午まで、約6時間にわたって律法の朗読を聞きました。肉体的な疲れよりも、霊的な渇きを満たすことを優先したのです。また、14人のレビ人が補佐として立ち、翻訳や解説を行い、民が理解できるよう助けました。
③ 御言葉を聞いて泣いた民(8:9)
すべての民は、律法の言葉を聞いて泣きました。それは、城壁を再建させてくださった神様に対し、自分たちがどれほど間違った歩みをしてきたかに気づいたからです。長い間愛し続けてくださった神様に、何も報いることができていなかったという事実が、彼らの心を打ちました。
この涙は、責められて流す自分中心の涙ではなく、後悔と悔い改めの涙でした。自分をまだ正しいと思い込んでいる心が砕かれた瞬間でもありました。
④ 泣くことをやめ、喜びへ(8:11〜12)
ネヘミヤとエズラ、レビ人たちは、民に「泣くのをやめなさい」と語りました。その後、民は飲み食いし、分け与え、大いに喜びました。
彼らは互いを責めるのではなく、赦し合いました。御言葉を通して、自分たちが知らずに神様を悲しませていたこと、そしてこれからどう生きるべきかを知ったからです。悔い改めと赦しが起こるとき、人は自然に従いたくなり、賛美したくなります。
人々は詩篇147篇を歌い、仮庵の祭り(スコット)を再開し、神の民として生きる固い契約を結びました(9:38)。
⑤ 詩篇147篇の意味
詩篇147篇は、城壁完成を通して主の偉大さを賛美する歌です。自分の生活が良くなったから感謝する、という内容ではありません。
律法の朗読によって、恵み深い神様の偉大さが示され、人ではなく、神様が造られた自然や、世の力ではなく神様の力に目が向けられました。神様は、すべての生き物のために雨を備え、地を潤してくださるお方です。
5.私たちが学ぶべきこと
① 御言葉を聞くために集まろう
私たちは、少しでも不快になると、すぐに携帯電話に目を向け、現実逃避をしてしまいます。それはサーカスや小説、漫画、テレビ、ゲーム以上に深刻な問題です。
だからこそ、御言葉を聞くための環境づくりが必要です。自ら集い、共に御言葉を聞き、分かち合う場が大切です。自分で考え、語り、他人の意見を聞くことで、思いが整理されます。賞賛や雰囲気を求めること、礼拝に出席するだけで満足することは、本来の姿ではありません。
イエスは「私について来なさい」(マタイ9:9)と語られました。これは、ギリシャ語で「アコルフェオ」と言い、すべてを捨てて弟子になることを意味します。弟子たちは寝食を共にしながら、イエスの言葉を聞き続けました。教会の交わりの中心には、必ず神様の言葉がなければなりません。
② 悔い改めよう
私たちは本来、道に迷いやすい存在です。だからこそ、毎日悔い改めるために、毎日御言葉を求める必要があります。
イエスが伝道の最初に語られた言葉は、「悔い改めよ。天の御国が近づいた」(マタイ4:17)でした。悔い改め(メタナイオ)とは、後悔することではなく、心を変え、新しい方向へ進むことです。悔い改めと神の国を知らずして、救いも信仰生活もあり得ません。すべての始まりは悔い改めです。
自分が責められて流す涙ではなく、相手を悲しませてしまったことに気づいて流す涙に至るまで、心を変え続ける必要があります。誰かを赦せていないなら、心の変化はまだ十分ではありません。人を赦すなら神様も赦し、人を赦さないなら父も赦さない、と聖書は語っています(マタイ6:14–15)。
③ その結果としての変化
真の悔い改めは、御言葉への従順を強く求めるようになります。主の恵みを経験できないのは、努力不足ではなく、罪の問題です。聖殿完成の時に老人たちが嘆いていたのは、悔い改めがなかったからでした。
祝福は、奉仕や人からの賞賛によって得られるものではありません。教会よりも聖書が重要であり、奉仕を通してこの世的な祝福を得ようとするのは誤りです。奉仕そのものが祝福なのです。この時代以降、神殿よりも律法が中心的な位置を占めるようになりました。
6.結び
① 御言葉を聞くために集まろう
さまざまな障害がありますが、それを一つずつ取り除きましょう。悔い改めることができるまで、御言葉を聞き続けましょう。
② 御言葉を聞いて悔い改めよう
周囲が変わるのを待つのではなく、自分が変わることで生まれ変わります。すべての人を赦し、感謝が溢れ、御言葉に従う情熱が生まれるまで、悔い改め続けましょう。
分かち合いのための質問
1.あなたの生活の中で、御言葉を聞くことを妨げているものは何ですか。
2.御言葉を聞くために集まるため、あなたは何ができると思いますか。
3.今、あなたが悔い改めるべきことは何だと思いますか。


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