20240114早天祈祷会
聖書:申命記4:1-14
題目:服従命令
賛美:436番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説 ― 神様の要求
① 「聞きなさい」から始まる神の命令(シェマー)(4:1〜9)
申命記4章は、「イスラエルよ、聞きなさい」という呼びかけから始まります。
神様はまず、「わたしが教える掟と定めを聞き、それを守り行いなさい」と命じられました。
神様の約束は明確です。
掟を守るなら、あなたがたは生きることができ、神が与える土地に入り、それを自分のものとすることができるというのです。
実際、神の命令を守らなかった人々は滅び、
命令に従ったイスラエルの民は生き残りました。
次に神様は、非常に重要な警告を与えられます。
命令に何かを付け加えたり、取り除いたりしてはならない。
ただ、そのまま守りなさい、という命令です。
しかし人は、しばしばこの命令を歪めてしまいます。
自分の好きな御言葉だけを聞いたり、
自分の都合の良いように御言葉を利用したり、
御言葉を意味も考えず、呪文のように繰り返すことがあります。
一つの例として、エホバの証人の創始者チャールズ・ラッセルは、
「地獄」という教えを聖書から取り除きました。
その結果、十字架は「私たちの罪のための犠牲」ではなく、
「エホバの証人として忠実に仕えることが救いの道」という教えへと変えられてしまいました。
神様の命令をそのまま守ることには、明確な意味があります。
神の国に属する神の民が、神の法を守って生きる姿そのものが、周囲の国々に神の栄光を示すことになるのです。
たとえば、韓国に住む韓国人が韓国の法律を守る姿は、
周辺の国々に「韓国という国がどのような国か」を自然に伝えることになります。
同じように、神の民が神の法を守る姿は、神の素晴らしさを証しするのです。
2.十戒が与えられた目的(4:10〜14)
神様がホレブ山で十戒を与えられた目的は、三つあります。
第一に、
イスラエルの民が神を恐れることを学び、その教えを子どもたちに伝えるためです。
信仰は個人で終わるものではなく、次の世代へと受け継がれるべきものです。
第二に、
約束の地に入ってから、その教えを実際の生活の中で行うためです。
律法は、荒野のためだけのものではなく、
日常生活の中で実践されるために与えられました。
第三に、
神様の命令は、霊的なことだけでなく、物理的・現実的な生活も含んでいるという点です。
つまり、信仰は心や霊だけの問題ではなく、
生活全体において従順であることを求めています。
私たちは時々、
「天国に行くことは神様に任せるが、この世の生活は自分で何とかする」
という態度を取ってしまいます。
しかし神様は、霊的にも肉体的にも、全面的な従順を求めておられます。
従順命令とは、神の国で神の民として生きる以上、神の法を守るのは当然である、という宣言なのです。
3.イエスの教え ― 神の国の律法
① 神の国の中心となる戒め
イエスは、律法の本質を次のように語られました。
人は外見を見るが、主は心を見られます。
律法の中で最も大切な戒めは何かと問われたとき、イエスはこう答えられました。
「心と思いと力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」
(マタイ22:37、申命記6:5)
そして、
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
(マタイ22:39、レビ記19:18)
この二つは、同じほど大切だと言われました。
神様が求めておられるのは、
「どこまで守れたか」以上に、
守ろうとして心を尽くす姿勢です。
マルコ12章33節では、
心を尽くして神と人を愛することは、
どんないけにえや捧げ物よりも優れていると言われています。
神様は、私たちが弱く、完全には守れない存在であることをよく知っておられます。
それでも、守ろうとする心を神様は喜ばれます。
たとえば、韓国人が韓国で法律を破ってしまっても、
すぐに国外追放されることはありません。
しかし、意図的であったり、外国人である場合には、追放されることもあります。
イスラエルの最大の失敗は、
律法を守る行為そのものではなく、心が伴っていなかったことでした。
② 旧約と新約で変わらない神様の目的
神様の思いは、旧約時代も新約時代も変わっていません。
まず、自分が守るだけでなく、
人に伝えることが重要です。
イエスはこう命じられました。
「行って、すべての国民を弟子とし、
わたしが命じておいたすべてのことを守るように教えなさい」
(マタイ28:19〜20)
一見すると、律法とイエスの教えは違うように見えるかもしれません。
しかし、神様の目的は同じです。
ユダヤ人たちは今もなお、律法を守ることに強くこだわっています。
しかし、それが「自分たちの正しさ」を誇るものになったとき、
それはすでに偶像崇拝になっています。
イスラエルの失敗は、
自分たちを誇り、異邦人に教えようとしなかったことです。
イエスが罪人と共に歩き、共に食事をされたのは、
正しさを教え、神に立ち返らせるためでした。
牧師が悪評を恐れて罪人との関わりを断つなら、
それは神様の心とは一致しません。
③ 律法は廃棄されたのではなく、成就された
イエスは言われました。
「律法の一点一画も廃れることなく、すべて成就する」
(マタイ5:18)
新約時代に生きているからといって、
モーセの律法を学ばなくてよい、ということではありません。
律法の中に込められた神様の思いを知る必要があります。
申命記は、新約聖書でも特に多く引用されています。
たとえば、イエスが悪魔の試練を受けたときに用いられた御言葉も、申命記でした。
4.まとめ ― 服従命令の意味
第一に、
神の国で生きるなら、神の国の法を守らなければなりません。
現代において私たちが守るべき中心は、
モーセの律法ではなく、イエスの第一の戒めと第二の戒めです。
第二に、
神の命令は、そのまま守るべきものです。
自分の都合の良い部分だけを守ろうとする態度は、
神様を誤解しています。
第三に、
神の法を守って生きる私たちの姿そのものが、神の栄光となり、伝道となります。
奉仕の量や聖書知識、富が神の栄光になるのではありません。
だからこそ、
神様を愛し、隣人を愛することによって、
神の国の法を守る力を神様に求めていきましょう。


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