20240414早天祈祷会
聖書:申命記32:4–6
題目:主人はどんなお方?
賛美:64番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書本文(申命記32:4–6)
主は岩であって、そのみわざは全く、
その道はみな正しい。
主は真実なる神であって、偽りなく、
義であり、正である。
彼らは主に向かって悪を行い、
そのきずのゆえに、もはや主の子らではなく、
よこしまで、曲がったやからである。
愚かな、知恵のない民よ、
あなたがたは、このようにして主に報いるのか。
主は、あなたを生み、あなたを造り、
あなたを堅く立てられた、あなたの父ではないか。
1.本文解説
① 主はどんなお方か
まず聖書は、主なる神がどのようなお方であるかを明確に語ります。
第一に、主は岩であると語られています。
岩とは、動かされることなく、不変で、永遠の存在を意味します。
中東の世界観において、岩は揺るがない確かさの象徴でした。
旧約聖書の神も、新約聖書の神も変わることはありません。
この岩である神に信頼する者は、決して揺るがされることがないのです。
第二に、主のみわざは完全であり、その道はすべて正しいと語られます。
古代オリエントの神々は、移り気で、不道徳な行いをし、予測不能な存在でした。
しかし、イスラエルの神は違います。
常に正しく、契約に基づいて行動され、不正をなさらないお方です。
第三に、主は真実で、偽りがなく、義であり、正しいお方です。
神様は嘘をつくことができません。
嘘の父であるサタンとは、完全に対照的なお方です。
そして神様は、ご自分の民が嘘をつくことも望まれません。
② イスラエルはどんな民か
一方で、イスラエルの姿は厳しく描かれています。
第一に、主の恵みに対して、恩を仇で返す民でした。
主がどれほど多くの良いことをしてくださっても、それを忘れ、父である神に悪をもって報いました。
第二に、主の子どもとしての面影がなくなってしまったと語られます。
罪によって、神のかたちがさらに失われてしまったのです。
第三に、愚かで、知恵がない民と呼ばれています。
嘘をついて自慢し、神様が嫌われることも平気で行ってしまう姿です。
モーセは、主は正しく、イスラエルは悪いという厳然たる事実を、「歌」として民に残しました。
2.新約聖書の光
① イエスは岩である
新約聖書は、この「岩」がイエス・キリストであることを明らかにします。
「主は、人には捨てられたが、神には尊い、生ける石である」(Ⅰペテロ2:4)
「あなたがたも、生ける石として用いられ、聖なる祭司となる」(Ⅰペテロ2:5)
イエス・キリストもまた、動かされることなく、不変で、永遠のお方です。
イエスは旧約の時代から存在しておられました。
このイエスに信頼する者は、決して揺るがされることがありません。
また、ペテロも信仰告白によって「岩」とされました。
② イエスは道である
イエスはこう言われました。
「わたしが道であり、真理であり、命である。
わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに来ることはできない」
(ヨハネ14:6)
イエスは、ローマ皇帝のように、移り気で、不道徳で、予測不能な神ではありません。
常に契約に基づき、父なる神の御心に従って行動されます。
私たちは、契約や父の御心を十分に理解できなくても、
イエスに従って歩むなら、その道が分かるようになります。
③ イエスは真実である
「互いに偽りを言ってはならない。
あなたがたは古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着たのだから」
(コロサイ3:9)
イエスは罪を犯さず、嘘をつかれませんでした。
ですから、私たちも嘘をつくべきではありません。
たとえ、良い結果が生まれそうに見えたとしてもです。
聖書には、嘘をついても直接責められていない場面もあります。
たとえば、ヘブル人の助産婦やラハブです。
それは、自分の利益や平穏のためではなく、この世ではなく神の御心に従うためでした。
自分が楽に生きるためにつく嘘は、決して良いものではありません。
そして、この世の真実を求め続ける人が、最終的にイエスに辿り着くこともあります。
イエスこそが、真実だからです。
3.まとめ
第一に、我が主は岩である。
イエスにしっかりと結びつき、揺るがされない生き方をしましょう。
第二に、我が主は道である。
唯一の正しい道であるイエスの道を、今日も歩みましょう。
第三に、我が主は真実である。
良い結果を求めるために嘘をつくのをやめ、
イエスのように、真実を追い求めて生きていきましょう。


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