20240512青年部礼拝
聖書:マタイ21:33-46
題目:悪い農夫の比喩
賛美:또 하나의 열매를 바라시며
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
はじめに
悪い農夫の比喩は、神様の子となる特権を与えられている私たちが、
その特権にふさわしい責任を果たさず、イエス・キリストを人生の主人として受け入れないなら、
忍耐深い神様であっても、最終的には私たちを拒絶されるという厳粛な事実を教えています。
私たちは、霊的な実を結ぶことに努め、
その実りを神様にお返しする「神の子」としての人生を選ぶべきです。
そうすることで、つまずくことなく、神の国に入ることができるのです。
Ⅰ.私たちは神様の子どもである(Slide1)
① 前提条件
「みんな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである」
(ガラテヤ3章26節)
私たちは、何かを成し遂げたから、頑張ったから神の子になったのではありません。
信仰によって、すでに神の子とされています。
神の子とは、父なる神のそばにいて、同じ道を共に喜ぶ存在です。
② 今日のお話の流れ
比喩の内容
比喩の解釈と、イエスの意図
比喩の適用と、私たちの受け止め方
大切な問い
私たちは本当に神の子として生きているでしょうか。
神様を、まるで「いない者」のように扱っていないでしょうか。
神様がいないかのように生きる者は、どうなるのでしょうか。
Ⅱ.悪い農夫の比喩(Slide2〜8)
① 背景(Slide2)
この比喩は、エルサレム入城後にイエスが語られた比喩の一つです。
特に、宗教指導者たちを最も辛辣に批判した比喩の一つでもあります。
対象は民衆ですが、宗教指導者たちも同席していました。
② 葡萄園の作成(Slide3)
主人は丹精込めて葡萄園を造りました。
そして農夫たちに貸し、管理を任せて旅に出ます。
主人は彼らを信頼し、留守の間も忠実に働き、豊かな実りをもたらすと期待していました。
当時、大地主が地方に畑を持ち、農夫に任せて自分は都会に住むことは珍しくありませんでした。
雅歌に登場する、新郎(エルサレム)と新婦(ガリラヤ)の関係も、その一例です。
③ 収穫のために僕を送る(Slide4)
葡萄の木が実を結ぶまでには、約3年かかります。
主人が求めたのは、収穫のすべてではなく、事前に決められた分だけでした。
たとえば、雅歌では新婦の家が1000シェケルを納める場面が描かれています。
④ 農夫たちの反逆(Slide5)
農夫たちは、送られてきた僕たちを三度にわたって袋叩きにし、追い返しました。
収穫までの3年間、彼らは一生懸命働き、豊かな実りを喜んでいたでしょう。
しかし、僕が来た時、葡萄園が自分たちのものではないことを思い知らされます。
彼らは自分たちを主人だと思い込み、契約そのものを無かったことにしようとしました。
それでも主人は、彼らが契約を守ることを期待し続けていました。
⑤ 息子を送ろう(Slide6)
「僕は身分が低いから軽く扱われたのかもしれない。
しかし、私の愛する息子なら、敬ってくれるだろう」
主人は最後まで、農夫たちを信頼していました。
⑥ 愛する息子の死(Slide7)
ところが農夫たちは、さらに悪い考えを抱きます。
「跡取りを殺せば、相続財産は自分たちのものになる」と考えたのです。
当時、持ち主がいなくなった土地は農夫のものになる慣習がありました。
彼らは主人を、まるで死んでしまったかのように考えていたのです。
そして息子を葡萄園の外に追い出し、殺してしまいました。
⑦ イエスの問い(Slide8)
イエスは問われます。
「この葡萄園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか」
民衆は答えました。
「悪人どもを滅ぼし、他の農夫たちに葡萄園を貸すでしょう」
イエスは、悪い農夫がイスラエルを指し、
新しい農夫が異邦人であることを示唆されました。
Ⅲ.この比喩の解説(Slide9〜10)
① 登場人物の意味
主人:神様
葡萄園:イスラエルの民
農夫たち:祭司長、律法学者、長老たち
僕たち:預言者たち
愛する息子:イエス・キリスト
他の農夫たち:異邦人
② 特権に見合う責任を果たさなかった(Slide9)
イスラエルには、ローマ書9章に記されている七つの特権がありました。
神の子とされ、栄光、契約、律法、礼拝、約束、先祖たちが与えられていました。
その責任は、御言葉を伝え、悔い改めへ導き、神の民を造ることでした。
しかし彼らは、自分たちを高めることばかり考え、
人々を救う働きをしませんでした。
③ イエス・キリストを拒絶した(Slide10)
イスラエルは聖書を通してメシアを知ることができました。
それでも自分たちの地位を守るために、イエスを拒絶しました。
イエスは詩篇118篇22〜23節を自分に適用し、
救いと審判をもたらす要石(コーナーストーン)であると示されました。
④ その結果:神に拒絶される
神は忍耐深い方ですが、その忍耐にも終わりがあります。
実を結ばない民は退けられ、実を結ぶ者に託されるのです。
Ⅳ.私たちへの適用(Slide12〜14)
① 特権には責任が伴う(Slide12)
私たちが祝福されているのは、努力の結果ではなく、神の憐れみによります。
その祝福を、何のために用いているでしょうか。
② 私たちの主人はイエス・キリスト(Slide13)
私たちは僕であり、すべては主から与えられたものです。
イエスに仕えているのか、それとも利用しているのか、
人生の目的を問い直す必要があります。
教会もまた、人のものではなく、イエス・キリストのものです。
③ 神は愛だけでなく義なる方(Slide14)
恵みだけを語り、審判を語らないイエス像は虚像です。
神の義のために、忍耐にも終わりがあることを覚えましょう。
Ⅴ.まとめ(Slide15)
神の国の民として、神様がどのような方であるかを知りましょう。
神の国の民という特権には責任が伴う
イエス・キリストを人生の主人として受け入れる必要がある
義のために、神の忍耐には終わりがある
この比喩の核心は、
農夫たちが主人を「いないもの」として生きたことです。
神との関係が断たれた時、人は与えられた恵みに中毒になります。
特権を自分の欲のために使い始めてしまうのです。
私は福音を、
「イエス様との関係」として、正しく伝えているでしょうか。


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