20240527早天祈祷会
聖書:ヨシュア10:28–43
題目:ユダの地の征服
賛美:352番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説
① カナン征服戦争の流れ
ヨシュア記10章後半では、カナン南部における征服戦争がまとめて記されています。
イスラエルは、
エリコ → アイ → ギブオン → エルサレムとその周辺四王、
そしてユダの各地へと、戦いを進めていきました。
この戦いによって、イスラエルはカナンの南部一帯を征服します。
特徴的なのは、王だけでなく、町にいるすべての者が剣によって処刑されたことです。
聖書には、「息のある者はすべて滅ぼした」と、はっきりと記されています。
② 戦ったのは人ではなく、神様であった
この戦争を通して、繰り返し強調されていることがあります。
それは、「人が戦ったのではなく、神様が戦われた」という事実です。
本文では、
「主がイスラエルの手に渡された」
「主がイスラエルのために戦われた」
と、何度も語られています。
ここで、私たちは疑問を持たずにはいられません。
神様は憐れみ深いお方なのに、なぜこのようなことが許されたのか。
なぜ、ここまで残忍に見える行為が行われたのでしょうか。
③ 神様は義なる神様である
その答えは、神様が義なる神様であるという点にあります。
神様は、罪が満ちている状態を見過ごすお方ではありません。
神様は愛なるお方であると同時に、義なるお方でもあります。
もし「愛」だけを強調し、「義」を忘れてしまうなら、
私たちは神様を正しく理解することができなくなります。
一見すると残忍に見えるこの行為も、
実は、それほどまでにイスラエルを愛しておられた、ということでもあります。
イスラエルの民を守るためには、
罪に満ちたカナン人との明確な分離が必要でした。
また、神様がイスラエルに戦わせたのは、
罪がどれほど恐ろしいものであるかを、身をもって知らせるためでもありました。
2.新約聖書からのメッセージ
「彼らの間から出て行き、分離せよ。
汚れたものに触れてはならない。
そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
わたしはあなたがたの父となり、
あなたがたはわたしの息子、娘となる。」
(Ⅱコリント6章17–18節)
① 私たちは分離された神の子である
私たちは、神様によって分離された存在です。
ただし、それは物質的な分離ではなく、霊的な分離です。
伝道のためには、人との肉体的・社会的な接近は必要です。
しかし、霊的な意味で世と混ざることは、非常に危険です。
神の子は、霊的には神様だけに近づく必要があります。
聖書には、
カナンに移住したアブラハム、
エジプトに移住したヤコブの家族、
ソドムに移住したロト、
シェケムに移住したユダの例が出てきます。
彼らは皆、住む場所と霊的妥協の結果、罪に巻き込まれていきました。
② 私たちの父は義なる神様である
神様は、愛なるお方であり、赦しに満ちたお方です。
しかし同時に、罪を犯すことができず、
罪を見過ごすこともできない義なる神様です。
私たちは、その神様の子供です。
だからこそ、私たちも同じように罪を遠ざけなければなりません。
パウロがコリント教会に対して厳しく語った理由も、
この「義なる神様の性質」に基づいています。
③ 義なる神様の子として、分離された生活を送ろう
人間の感覚では、残忍に見えることがあるかもしれません。
しかし、残酷か優しいかが問題なのではありません。
重要なのは、神様にくっついているかどうかです。
祈りとは、この世との分離です。
祈りとは、人の声を聞くことではなく、神の声を聞くことです。
祈祷院とは、この世から隔離され、
神様と出会うための場所です。
私たちは、神様の国の価値観で生きるよう招かれています。
人からは馬鹿にされることもあるでしょう。
しかし、霊的な分離こそが、
この世を征服するための最も良い方法なのです。
3.まとめ
① 私たちは分離された存在である
しかし、それはパリサイ人のように自分を高めるためではありません。
② 私たちは義なる神様の子供である
愛だけでなく、義なる神様であることを忘れてはいけません。
③ 義なる神様の子として、分離された生活を送ろう
それは物質的な隔離ではなく、霊的な隔離です。
その最も良い方法の一つが、祈りです。
そうすれば、ヨシュアたちがユダの地を征服できたように、
私たちもこの世を征服することができると信じましょう。


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