20240602早天祈祷会
聖書:ヨシュア12:7-24
題目:王座を明け渡す時
賛美:353番
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
聖書本文(ヨシュア記 12章7–24節 要旨)
ヨルダン川のこちら側、西の方、レバノンの谷にあるバアル・ガデから、セイルへ上って行く道のハラク山までの間で、ヨシュアとイスラエルの人々が打ち滅ぼした国々の王たちが列挙されています。
ヨシュアは、これらの地をイスラエルの諸部族に、それぞれの分として嗣業として与えました。
そこには、山地、平地、アラバ、山腹、荒野、ネゲブに住んでいた
ヘテ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の地が含まれています。
聖書は、
エリコの王、ベテルのほとりのアイの王、エルサレムの王、ヘブロンの王、
ヤルムテ、ラキシュ、エグロン、ゲゼル、デビル、ゲデル、ホルマ、アラデ、
リブナ、アドラム、マッケダ、ベテル、タップア、ヘペル、アペク、シャロン、
マドン、ハツォル、シムロン・メロン、アクサフ、タアナク、メギド、
ケデシュ、カルメルのヨクネアム、ドルの高地のドル、ギルガルのゴイイム、
テルツァの王――
合わせて三十一人の王であったと記しています。
1.本文解説
① ヨシュアとイスラエルが打ち滅ぼした三十一人の王
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カナン南部の王たちは、イスラエルに戦いを挑み、敗れました。
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この戦いは、イスラエルの戦争ではなく、神様ご自身の戦争でした。
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彼らは神様の裁きと審判を受けたのです。
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これらが作り話ではなく、実際の歴史であることを証明するため、
また、ヨシュアたちが実際に歩んできた道を明確にするために、
聖書は一人ひとりの王の名を丁寧に記録しています。
② 私たちがここから学ぶこと
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王として君臨しているものは、必ず神様の前で引きずり下ろされます。
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それは、私たちの人生も同じです。
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もし自分が人生の王として君臨しているなら、
神様の前に立つとき、必ずその王座から下ろされます。 -
だからこそ私たちは、その時を待つのではなく、
自ら進んで王座を降り、神様に王座を明け渡すべきなのです。
2.新約聖書的な適用
① 自分の人生の目標は何か
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私たちは王ではなく、**僕(しもべ)**です。
王は神様お一人だけです。 -
人生の目的が「自分を喜ばせること」なら、それは間違いです。
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私たち一人ひとりには、生まれる前から
神様によって与えられた計画があります。
② 誰を称賛して生きているのか
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自分が称賛を受けたいと思っているなら、それは間違いです。
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自分の努力や行動を誇り、称賛しているなら、それも間違いです。
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例:「これだけ祈った」「これだけ奉仕した」
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すべては自分ではなく、神様がなさったことであり、神様のものです。
努力とは、称賛を受けるためのものではなく、
喜びの結果として自然に現れるものであるべきです。
③ 困難の中でも平安があるか
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この世の基準を満たしていなくても、平安があります。
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御言葉を聞くとき、心に安らぎがあります。
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十字架を背負って歩んでいても、そこには平安があります。
3.まとめ
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自分が「王」として生きていないか、確認しましょう。
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もし自分が王だと感じているなら、
その王座から降りましょう。 -
僕(しもべ)として生きる姿こそが、
私たちに本当の平安をもたらします。
三十一人の王たちのように滅びの結末を迎えるのではなく、
ヨシュアたちのように、僕として生きる姿を通して勝利を収める人生を
共に歩んでいきましょう。


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