20240616早天祈祷会
聖書:ヨシュア17:1-13
題目:マナセ族の土地
讃美:359
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説 ― マナセ族に与えられた土地
今日の箇所には、ヨセフの子マナセ族に与えられた土地の分配について記されています。
① ヨルダン川の東側
まず、東側の地です。
マナセの長子マキルは勇士、軍人でした。
そのため、強い敵が住んでいたギレアデとバシャンという困難な地域が与えられました。
危険な地ではありましたが、彼にはそれを勝ち取る力があったのです。
神様は、その人の賜物と力に応じて使命を与えられるお方です。
② ヨルダン川の西側 ― ツェロフハデの娘たち
次に西側です。
ここでは特別な出来事が記されています。
ツェロフハデには息子がおらず、娘しかいませんでした。
当時、土地は男子が相続するのが原則でした。
このままでは彼女たちは嗣業を受けられません。
そこで彼女たちは、祭司エレアザルとヨシュアの前に出て訴えました。
「私たちにも嗣業を与えてください。」
神様はすでにモーセを通して命じておられました。
その結果、彼女たちにも土地が与えられました。
ただし条件がありました。
「マナセ族の中で結婚すること」。
それによって、部族の土地が他に移らないようにされたのです。
ここに、神様の公正さと配慮を見ることができます。
弱い立場にある者を、神様は決して忘れられません。
③ カナン人を追い払えなかった
しかし、問題も起こります。
マナセ族は、その地のカナン人を完全に追い払うことができませんでした。
彼らは強くなった後、追い出す代わりに、カナン人を使役しました。
つまり、
「追い払う」よりも
「利用する」ことを選んだのです。
神様は完全に取り除きなさいと命じておられました。
しかし彼らは目先の利益を優先しました。
鉄の戦車などの技術や労働力に目がくらんだのかもしれません。
結果として、不従順が残りました。
これは後にイスラエルの信仰を大きく蝕む原因となっていきます。
2.新約聖書的適用 ― 祝福とは何か
この箇所から、私たちは「祝福」について深く考えさせられます。
① 祝福には責任が伴う
「祝福する」というヘブル語の「バラーク」は、「ひざまずく」という意味を持ちます。
つまり、神様がかがんで、私たちに仕えてくださること。
それが祝福です。
しかし、それは私たちが楽に暮らすためではありません。
神様が祝福を与えるのは、
使命を果たすためです。
多くの祝福を望むなら、
多くの責任も伴います。
祝福は特権であると同時に、任務なのです。
② 祝福は憐れみから来る
「恵み(ハーナン)」は「憐れみ」という意味を持ちます。
私たちは、自分が優れているから祝福されるのではありません。
頼み方が上手だったからでもありません。
ただ神様の憐れみによって与えられているのです。
だから自慢する理由は一つもありません。
祝福は功績ではなく、恵みです。
神様は、誇る心を喜ばれません。
③ 祝福に満足して誘惑を拒絶する
さらに「ナシャー」という言葉には「顔を上げる」という意味があります。
上の者が下の者に顔を向けること、すなわち祝福することです。
私たちは、すでに神様から十分な祝福を受けています。
その祝福を神様の栄光のために用いるのは良いことです。
しかし、
「もっと欲しい」
「もっと豊かに」
というこの世の価値観に支配されると危険です。
マナセ族がカナン人を残したのは、
「便利だから」「得だから」
という理由でした。
それが不従順の始まりでした。
私たちも同じ誘惑に直面しています。
3.まとめ
今日の御言葉から、三つのことを覚えましょう。
第一に、祝福には責任が伴います。
祝福は、私たちに任された使命を果たすために与えられています。
第二に、祝福は憐れみから来ます。
私たちの努力や功績ではなく、ただ神様の恵みによるものです。
第三に、祝福に満足し、誘惑を拒絶しましょう。
目先の利益を選ぶなら、神様の御心を失ってしまいます。
マナセ族の失敗を繰り返してはなりません。
与えられた祝福の中で、
神様に従い、
神様の目的を果たす者となりましょう。
それが、主に喜ばれる歩みなのです。


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