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水の上を歩くイエス(マタイ14:22-33)
고요한 2026-02-04 추천 0 댓글 0 조회 25

20240616青年部礼拝

聖書:マタイ14:22-33
題目:水の上を歩くイエス
讃美:예수로 사는 인생

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


はじめに

今日の箇所には、水の上を歩かれるイエス様の姿が描かれています。

この出来事は単なる奇跡の物語ではありません。
困難な状況を含む、あらゆる状況の主権者がイエスであることを教える出来事です。

私たちは苦しみに出会うと、
「早くこの問題がなくなってほしい」
「嵐がすぐに過ぎ去ってほしい」
そう願います。

しかしイエスは、ただ嵐を消すことよりも、
私たちが頼っているものを手放し、イエスだけに頼ることを願っておられます。

ペテロは嵐の中で、命綱であった船を手放し、イエスに近づきました。
その時、彼は水の上を歩くことができました。

しかし恐怖を見た瞬間、沈み始めます。
それでも、助けを求めた時、イエスはすぐに手を伸ばしてくださいました。

私たちが不誠実でも、イエスは誠実なお方です。
このイエスの姿を見て、弟子たちは礼拝するしかありませんでした。

そして、この礼拝こそが、イエスの求めておられるものなのです。


1.終わりのない今の時代

① 社会生活

現代は、昔よりも科学も技術も医療も、給料も自己啓発も大きく発展しました。
しかし皮肉にも、私たちの生活はより忙しくなり、心の余裕はなくなっています。

稼いでも足りない。
努力しても満たされない。

ほんの一部の人だけが成功する社会です。

② 信仰生活

これは信仰生活も同じです。

一生懸命努力したからといって救われるわけではありません。
努力したから清くなるわけでもありません。

努力は大切ですが、時には努力そのものが信仰の妨げになることがあります。

気づけば、
礼拝が楽しくない。
教会が楽しくない。

そんな状態になってしまうことがあります。


2.物語の流れ

① 別れるイエス

五つのパンと二匹の魚の奇跡の後、イエスは群衆を解散させました。
そして弟子たちを無理やり舟に乗せ、先に出発させます。

ご自身は祈るため、ひそかに山に登られました。

② 再会するイエス

弟子たちの舟は嵐にあい、沈みそうになります。
逆風と波に翻弄され、どうすることもできません。

その時、夜明けの四時ごろ、イエスは海の上を歩いて彼らのもとへ来られました。

弟子たちはそれを見て、幽霊だと思い、恐怖で叫びます。

③ 申し出るペテロ

イエスは言われました。
「しっかりしなさい。わたしだ。恐れるな。」

ペテロは答えます。
「主よ、あなたでしたか。私に命じて水の上を歩いて行かせてください。」

イエスは言われました。
「おいで。」

するとペテロは、本当に水の上を歩き始めたのです。

④ 溺れるペテロ

しかし風を見た瞬間、恐怖に支配され、沈み始めます。

「主よ、助けてください!」

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかみ、言われました。
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」

二人が舟に乗り込むと、風はやみました。

弟子たちは礼拝して言いました。
「本当にあなたは神の子です。」


3.ここから分かること

① すべての状況の主権者はイエス

聖書はイエスを「唯一の主権者」と呼びます。

嵐の水の上さえ、イエスは自由に歩かれます。
弟子たちは舟に乗っていても何もできず怯えていました。

しかしイエスは、ペテロさえも水の上を歩かせることができました。

それはペテロの能力ではありません。
神様から与えられた力です。

この主権は決して侵害されません。
悪魔でさえ妨げることはできません。

それでも私たちは思います。
「なぜ今すぐ助けてくれないのか」と。

苦しい状況を見ると、怒りさえ込み上げてきます。


② イエスはあなたが完全に頼る時を待っている

イエスは主権者ですが、ご自身も父なる神に完全に頼っておられました。

人間は、神なしには生きられない存在として造られました。

イエスは私たちが100%頼ることを喜ばれます。

たとえるなら、妻が夫ではなく他の男に頼るならどうでしょうか。
それは関係の裏切りです。

ペテロは命綱である舟を手放しました。

困難はスキルアップのためではありません。
イエスに頼るためにあるのです。

イエスが弟子たちをしばらく嵐の中に置かれたのも、
自分たちの無力さを知り、主に頼るためでした。

「信仰が薄い」とは、
「もっと頼りなさい」という意味なのです。


③ 完全に頼る時、平安が与えられる

イエスは言われました。
「わたしの平安をあなたがたに与える。」

この平安は、世の平安とは違います。

ローマ的な平安は、安全や繁栄です。
しかしキリストの平安は、救いの確信と恐れのない心です。

何かを達成したから得られる平安ではありません。
共にいてくださる方から来る平安です。

努力したから平安なのではなく、
平安があるから努力できるのです。

やがて私たちは気づきます。
「自分は何もしていない。すべて神様がしてくださった」と。

それが礼拝です。
主に喜ばれる礼拝です。

逆に「自分の努力のおかげだ」と思うなら、それは自分を礼拝することになります。


4.まとめ

では、信仰生活を「頑張る」とはどういうことでしょうか。

第一に、すべての状況の主権者はイエスであると認めること。
主権者は自分ではありません。

第二に、イエスに完全に頼ること。
達成するために努力するのではなく、頼る努力をすることです。

第三に、完全に頼る時、嵐の中でも平安を得られること。

何も持っていなくても、
何もできなくても、
平安を持てる。

それが神の民です。

揺れるこの世の舟ではなく、
決して揺れることのないイエスに頼りましょう。

そして私たちも、 

嵐の中でも水の上を歩く者として、生きていきましょう。​ 

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