20240617早天祈祷会
聖書:ヨシュア17:14-18
題目:ヨセフ族の役割
賛美:360
説教:高曜翰 副牧師
場所:중앙성서교회
1.本文解説 ― ヨセフ族の問題
本日の箇所には、ヨセフ族の姿が描かれています。ヨセフ族とは、マナセ族とエフライム族の二つの部族のことです。
本来、長子の祝福はルベンが受けるはずでした。しかしルベンの失敗によって、その祝福はヨセフに与えられ、彼は二倍の祝福を受けました。その結果、ヨセフ族は他の部族よりも人数が多く、豊かで、力のある部族となりました。
しかし、人数が多いということは、同時に責任も大きいということです。彼らは他の部族よりも難しい地域、未開拓の地、敵の強い地域を占領する使命が与えられていました。
ところが彼らは、その使命よりも不満を口にします。
「人数が多いのに、土地が足りません」とヨシュアに訴えたのです。
しかし、その原因は本当に土地不足だったのでしょうか。実際は違いました。原因は彼らの怠け心と恐れでした。カナン人を追い払っていないために土地が狭く感じ、森林を切り開いていないために住める場所が少なかったのです。
彼らはすでに神様の力によって敵を追い払う体験をしていました。それでもなお、「できない」と恐れたのです。
そして最終的に彼らは、カナン人を追い払う代わりに奴隷として共存する道を選びました。土地が足りないと不満を言いながら、敵と一緒に住むことを選んだのです。
彼らの心を支配していたのは、神の約束ではなく、人の力や技術への恐れでした。
2.新約聖書から見る神様の御心
このヨセフ族の姿は、実は私たち自身の姿でもあります。そこで新約聖書から、神様の御心を見ていきましょう。
まず聖書は、神様は必要な分を必ず与えてくださるお方であると教えています。
イエス様は五千人に食事を与えられました。また、ご自身が悲しみの中にあった時でさえ、人々の癒しを優先されました。さらにイスラエルの民には、荒野で四十年間マンナを与え、服も靴もすり減らないように守られました。
つまり、神様は常に「足りるだけ」を与えてくださるお方なのです。
では何が足りないのでしょうか。祝福ではありません。足りないのは私たちの信仰です。
弟子たちは「五つのパンと二匹の魚しかありません」と言いました。しかしイエス様は「あなたがたが配りなさい」と命じられました。彼らが従った時、奇跡が起こりました。
ペテロも同じです。船という安全を手放し、イエスに向かって踏み出した時、水の上を歩くという奇跡を体験しました。
またヨルダン川を渡った後、マンナは止まりました。これからは自分たちの手で戦い、地を得るためです。神様は信仰によって前進する民に、次の恵みを与えられるのです。
そして、イエスに完全に頼る時、私たちは嵐の中でも平安を得ます。
この世の平安は、お金や地位を持つことで得られるもの、つまり「Doing」や「Having」による平安です。しかし神の国の平安は違います。「共におられる」という「Being」から来る平安です。
十字架の上でイエス様は「完了した」と言われました。すべてを成し遂げたのはイエス様です。
私たちは、達成したから平安を得るのではありません。平安が与えられているからこそ、大胆に歩むことができるのです。ヨシュアのように、目に見える強さに怯える必要はありません。
3.まとめ ― 私たちへの適用
最後に三つのことを覚えましょう。
第一に、神様は必要な分をすでに与えておられるということです。私たちは主から与えられた使命を果たすために、神様によって生かされています。
第二に、足りないのは神様の祝福ではなく、私たちの信仰です。信じて踏み出す時、神様が働かれます。
第三に、神様に完全に頼る時、私たちは真の平安を得ます。失敗を恐れるのは、自分の力で生きようとしているからです。しかし神様に頼る者は、恐れず大胆に前進できます。
ヨセフ族のように不満を言うのではなく、信仰によって山地を切り開く者となりましょう。
主に頼り、主と共に進む人生こそが、神様が私たちに与えてくださった本当の勝利の道なのです。


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