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称賛は神様へ(創世記14:19-23)
고요한 2026-02-04 추천 0 댓글 0 조회 24

 

20240621金曜祈祷会

聖書:創世記14:19-23
題目:称賛は神様へ
賛美:성도여 다 함께、주 찬양합니다

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


1.人はなぜ「称賛」を求めるのか

スウェーデンは「世界で最も子育てしやすい国」と言われています。
そこで興味深い教育法があります。

子どもがテストで100点を取った時、どのように褒めるかです。

「賢いね!」と褒めるのは良くないと言われています。
なぜなら、勉強そのものよりも「褒められること」が目的になってしまうからです。点数が悪いと嘘をついたり、自信を失ったり、挑戦を恐れるようになります。人の目ばかり気にし、結果だけがすべてになってしまいます。

代わりに「頑張ったね!」と認めることが大切だと言います。
そうすると、自分の考えや努力が認められていると感じ、自尊感が育ちます。失敗しても人の目を気にせず、難しいことにも挑戦できるようになります。過程を大切にする人になるのです。

しかし私たちの多くは、「賢いね」「すごいね」と結果で評価されて育ってきました。
そのため、知らず知らずのうちに「名誉」に縛られています。

アリストテレスは「人は名誉を求めて競う」と言い、
キケロは「ローマ人は人から受けた名誉を数えて暮らす」と語りました。
また「名誉より神聖なものがあるだろうか」とまで言われました。

それほどまでに、人は称賛と名誉を求める存在なのです。

聖書を見ると、アブラハムもまた「生命・富・名誉」という試練を受けました。


2.物語 ― 二人の王の訪問

① ロト救出

五人のカナンの王たちが、四人のメソポタミアの王たちに戦いを挑みましたが敗北し、ロトは捕虜となりました。

アブラハムは三百八十人の仲間を率いて戦い、奇跡的に勝利し、ロトと財産を取り戻しました。

カナンの王たちが束になっても勝てなかった相手に、一人の外国人であるアブラハムが勝利したのです。


② サレムの王メルキゼデク

そこにサレムの王メルキゼデクが現れます。
彼はパンとぶどう酒を持って来ました。これは生命を象徴し、イエス・キリストの型でもあります。

彼は言いました。
「救いは神様がなさったのだから、神様をほめたたえなさい。」

アブラハムは、得た物の十分の一をささげました。
つまり、勝利の栄光を自分のものにせず、すべて神様に返したのです。


③ ソドムの王

次にソドムの王が来ました。
彼はこの世の神を象徴する存在です。

「人は私に返しなさい。財産はあなたが取りなさい」と言いました。

これは、「名誉も富もあなたのものにしてよい」という誘惑です。

しかしアブラハムは断言しました。
「あなたがアブラハムを富ませたと言わせないために、糸一本でも受け取らない。」

彼は自分への称賛と名誉を拒み、神の栄光だけを選びました。


3.ここから分かること

① この世の神は、称賛を求める心を利用する

ローマ3:23
「すべての人は罪を犯し、神の栄光を受けられなくなっている」

本来、人は神の栄光を表すために造られました。
しかし罪によってそれを失いました。

そこで悪魔は、その栄光への渇望を「名誉」にすり替えます。

良い学校、良い会社、評価、肩書き…。
社会は絶えず「あなたが称賛されなさい」と誘惑します。


② すべては神様がされたこと

ローマ3:24
「価なしに、神の恵みにより義とされる」

イエス様は最も恥ずかしい十字架刑にかかって死なれました。
私たちの努力ではありません。

だから私たちは義とされ、再び神の栄光を表す存在となりました。

誇るべきものは何一つありません。
達成すべきものもありません。

イエス様は言われました。
「完了した。」

すべては終わっているのです。

しかし悪魔はささやきます。
「もっと努力しろ。お前はまだ足りない。」

努力そのものが悪いのではありません。
自分を誇るための努力が問題なのです。


③ 神の栄光にあずかる希望

ローマ5:2
「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる」

私たちが神様に栄光を返すとき、実は私たちもその栄光にあずかります。

アブラハムは自分の名誉を選びませんでした。
自分の義を立てず、神の義に立ちました。

その姿こそ、義とされた者の証拠です。

反対にサウル王は、悔い改めよりも「人の前で私を立ててください」と名誉を求めました。
自分を高める者は低くされるのです。

しかし自分を低くする者は、神様が高くしてくださいます。


4.まとめ

第一に、この世の神は私たちの「称賛されたい心」を利用します。

第二に、しかし真実は「すべては神様がされた」ということです。
私たちの口からいつもこの告白が出るべきです。

第三に、神様に栄光を返すとき、私たちもその栄光にあずかります。

だからこそ、自分を誇る人生ではなく、
「神様がしてくださいました」と言える人生を歩みましょう。

称賛は自分へではなく、すべて神様へ。

そのような信仰の道を、共に歩んでいきましょう。​ 

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