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中風病者の赦し(マルコ2:1-12)
고요한 2026-02-05 추천 0 댓글 0 조회 29

20240623青年部礼拝

聖書:マルコ2:1-12
題目:中風病者の赦し
讃美:예수 나의 치료자

説教:高曜翰 副牧師

場所:중앙성서교회


はじめに ― イエスだけが真の癒し主

本日の中風病者の物語は、イエス・キリストだけが、肉体的な癒しと霊的な赦しの両方を与えることのできるメシアであることを明確に示しています。

私たちは苦しみの中で、さまざまな方法に頼ろうとします。しかし聖書は、「イエスに来なさい」と語ります。
イエスに癒しを求める信仰を持つとき、私たちは単なる身体の回復だけでなく、もっと深く、もっと切実な「罪の赦し」という霊的癒しを受けることができます。

あなたの肉体的苦痛と霊的苦痛は、今イエスによって和らげられているでしょうか。
今日の御言葉を通して、自分の信仰をもう一度見つめ直してみましょう。


1.心が癒された人 ― フランク・レンティーニの証し

ここで一つの例話を紹介します。

フランク・レンティーニという、三本足(正確には四本足)のフットボール選手がいました。彼は生まれつき体に障がいがあり、自分の不幸を嘆きながら生きていました。

ある日、病院で一本足の少年に出会い、彼を慰めようとしました。しかしその少年は明るく前向きに生きていました。

その姿を見たとき、レンティーニの考え方は変えられました。
「自分は不幸なのではない。与えられた体を生かして生きればよい」と気づき、三本足を武器にフットボール選手として活躍するようになったのです。

彼の体は変わりませんでした。
しかし、心が癒されたのです。

本当の癒しとは、外側だけでなく、内側が変えられることなのです。


2.中風病者の癒しの出来事

① カペナウムに戻られたイエス

イエスがカペナウムに戻られると、その噂はすぐに広まりました。家の中だけでなく、戸口まで人でいっぱいになるほど群衆が集まりました。

そこに、中風病者が四人の友人に担がれてやって来ます。彼らはどうしてもイエスに会わせたかったのです。

しかし、人が多すぎて中に入ることができませんでした。


② 屋根を壊してでも近づく信仰

普通ならあきらめるでしょう。
「今日は無理だ、また今度にしよう」と帰るはずです。

しかし彼らは違いました。

屋上に登り、屋根に穴を開け、病人を床ごとつり下ろしたのです。非常識とも言える大胆な行動でした。

しかしイエスは、その行動の中に「信仰」を見られました。

信仰とは、体裁のよい態度ではありません。
イエスに頼り切ること、イエス以外に望みはないと決断することです。

そしてイエスは言われました。
「子よ、あなたの罪は赦された。」


③ 律法学者との対立

これを聞いた律法学者たちは心の中でつぶやきます。
「神以外に誰が罪を赦せるのか。これは神への冒涜だ。」

するとイエスは問いかけました。
「罪は赦されたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。」

口で言うだけなら「罪は赦された」の方が簡単です。証明できないからです。

そこでイエスは、「人の子が罪を赦す権威を持っていることを示すために」と言い、
「起きよ、床を取り上げて歩け」と命じられました。

すると男は本当に立ち上がって歩いたのです。

目に見える奇跡によって、目に見えない赦しが真実であることが証明されました。

イエスこそ、肉体も魂も救うメシアなのです。


3.この御言葉から学ぶ三つのこと

① イエスに完全に頼る信仰

彼らは常識や評判よりも、イエスを選びました。
非難されても、屋根を壊してでも、友のためにイエスのもとへ行きました。

それは後戻りできないほどの決断でした。

イエスは言われます。

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。」

完全に依存する信仰こそ、本当の信仰です。
イエスは、そのような姿に信仰を見られました。


② イエスは肉体も霊も癒される

イエスは罪の赦しを宣言し、同時に体も癒されました。

「すべて重荷を負う者は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

イエスは魂に休みを与える方です。

ただし、必ずしも私たちの望む形で肉体の癒しが起こるとは限りません。
パウロの「体のとげ」のように、残される苦しみもあります。

しかし最も重要なのは、霊的な癒しです。罪の赦しこそ、最大の奇跡なのです。


③ 祈りによって与えられる癒し

フィリップ・ヤンシーはこう言いました。

「Prayer is a declaration of dependence upon God
(祈りとは、神に依存しているという宣言である)」

癒しは私たちの努力や能力によって得られるものではありません。
神に頼るとき、与えられるのです。

「信じている」と言いながら、実は自分の力に頼ってはいないでしょうか。

本当に依存する信仰があるのか、今日もう一度自分に問いかけてみましょう。


4.まとめ

他の何かではなく、イエスに完全に頼る信仰を持ちましょう。

たとえ自分の望む形でなくても、イエスは必ず私たちを肉体的にも霊的にも癒してくださいます。

今あなたが辛いのは、努力不足や能力不足ではありません。
神に十分頼れていないからかもしれません。

祈りを通して、イエスに完全に依存する信仰をいただきましょう。 

そして真の赦しと癒しを受け取る者となりましょう。​ 

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